アナログ派の愉しみ/本◎フロイト著『トーテムとタブー』

日本の少子化対策の
ヒントがここに!?


21世紀の日本にとって最大の問題は、未来を担うべき世代が減少の一途を辿っていることだ。岸田首相は「異次元の少子化対策」として、大規模な予算による児童手当の拡充などを打ち出しているものの、テレビの街頭インタビューでは子育て中の母親たちがせせら笑うように、こんなふうにカネをばらまくことで出生率の「V字回復」が達成できると期待したらよほどオメデタイのではないか。

 
とは言え、ただケチをつけていてもはじまらない。わたしなりに実効性のある少子化対策の方向性を考えてみたいと思うが、そのヒントを精神分析の創始者、ジークムント・フロイトの論文『トーテムとタブー』(1912~13年)に求めるとしたら突飛に過ぎるだろうか?

 
この著作は、当時の社会人類学がオセアニアやアフリカの原住民の部族に発見したトーテムという制度に対して、フロイトが強い関心を寄せて書かれたものだ。かれら未開人のあいだではしばしば縁の深い動物、あるいは植物や自然力(雨や水)といったものが守護神とされる風習が存在する。それは特定の地域に結びつくのではなく、おもに母系によって(のちには父系でも)継承されていき、同じトーテムに所属する者同士の一体感をもたらし、他のトーテムに所属する者と平和に過ごすための社会的な枠組みを成り立たせている。こうした制度はおそらく太古の人類に普遍的なもので、やがてそこから宗教が誕生していくのだろうが、とりわけフロイトが関心を持ったのはつぎのところだ。

 
「さていよいよ、われわれはトーテミズムの制度のあの特色(これがあるために精神分析学者の興味もトーテムに向けられているのであるが)を想起しなければならない。トーテムの行なわれるところはほとんどどこでも、同一のトーテムに属する者はたがいに性関係を結んではならない、したがって、たがいに結婚してはならないという規則がある。これがトーテムと結びついた族外婚である」(西田越郎訳)

 
すなわち、トーテムが規定する部族の成員はたとえ血縁関係がなくても兄弟姉妹と見なされて性交渉はタブーとされ、その相手となる異性は他のトーテムの部族に求めなければならず、こうした族外婚は宗教の倫理観が支配する以前の段階にあって、近親性交を回避するために必然的な制度だったと考えられる。一方で、フロイトは近親性交のタブーに関して人類の生まれながらの本能とする説は取らず、こうした欲求は小児が親きょうだいに対して抱いたり、また、ある種の神経症患者の傾向に見られたりするものと重なるとして、たとえば世間一般の成年男女が近親性交をテーマとする芸術に対して反対を示す態度に触れてこう述べている。

 
「われわれは、何よりもこのような反対こそ、人間がかつて持っていて、久しく抑圧されてしまった近親性交願望にたいする深刻な嫌悪の所産にほかならぬと信ぜざるをえない。それゆえに、後には無意識的なものとされてしまった人間の近親性交願望を、未開民族がいまだに恐ろしいものと感じ、きわめて厳格な防御策を必要とみなしていることを指摘できるのは、われわれにとってあながち無用なことではないのである」

 
無用なことではないどころか、わたしはここに日本の少子化の要因を考える鍵があると思うのだ。すなわち、この日本列島の歴史においてもさまざまなトーテム(アイデンティティ)のもとで部族が形成され、相互に族外婚の関係を結んでやってきたのだが、もともと肌の色や言語・習慣などの均質性が高かったところへ、1990年代からのデジタル革命による高度情報化社会を迎えて、おたがいの距離感がいっそう縮まり、あたかもだれもかれもが同じひとつの部族の兄弟姉妹かのような状態になってしまった。その結果、広汎にフロイトの指摘する「近親性交願望にたいする深刻な嫌悪」が作用して、年を追うごとに出生率の低下をもたらしたと考えてみたらどうだろうか?

 
もしこの見立てが成り立つならば、いくら児童手当の拡充といった経済的支援を行ったところで大した効果は挙がらないだろう。もっと大所高所に立って、世界各地から若い世代がやってくるような魅力のある国づくりを行い、この日本列島に人種や文化を超えたトーテムの多様性が実現して、それらのあいだに活発な族外婚の関係を生じさせていくことでしか、出生率の「V字回復」は望めないという結論になるのだけれど……。

 

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