アナログ派の愉しみ/映画◎トリュフォー監督『野性の少年』

言葉という暴力装置への
プロテストの記録


1798年、フランス南部の森で全裸の少年が見つかった。四つん這いで地を駆け、木に登って枝を伝い、渓流の水を啜り、木の実や殺した獣の肉を食糧にしていたのを、村の猟師らが捕獲して連れ帰ったことから広く世間に知られるようになった。やがて政府の指示により、その身柄はパリへ移送されて国立聾唖学校に託される。身長1m39、推定年齢11~12歳、首筋に刃物の傷痕があることから、おそらくは幼いころに両親が殺すつもりで森に遺棄したものと考えられた。学校での月日を経ても一切周囲とコミュニケーションが取れないため、もともと精神疾患があるらしいとの見解をよそに、医師のイタール博士は少年を自宅に引き取って独力で教育しようと決める。

 
「アヴェロンの野生児」として歴史的に有名なこの出来事をドキュメンタリー・タッチで映画化したのが、フランソワ・トリュフォー監督の『野性の少年』(1969年)だ。幼少時に家庭や学校に馴染めずに感化院送りとなった自己の体験にもとづき『大人は判ってくれない』(1959年)を発表して、ヌーヴェルヴァーグの旗手と目されるようになったトリュフォーにとって、この題材は重い意味を持ったのだろう、主役のイタール博士にはみずからが扮して老獪な演技を披露している。前作が「文明」と折り合いのつかない少年の心理を子どもの側から描いたとするなら、こちらの作品は反対に、大人の側からその深い闇に迫ろうとするものだ。

 
イタール博士は家政婦のゲラン夫人の支援のもと、少年にまずは二本の足で歩くことを教え、服を着て靴を履くことを教え、スプーンを使ってスープを飲むことを教え、ついでコップや人形を使ったゲームで集中力を養ったり、近在の知り合いの家へ出かけて同世代の子どもと交友させたりしたうえで、いよいよ言葉の学習に取りかかる。真っ先にヴィクトールという名前を授けたのは、かれが「オ」の母音にひときわ反応を示すことに気づいたから。だが、ここからのっぴきならない悪戦苦闘の連続となる。木製のアルファベットで綴りを教えようとしても、それを声に出して発音させようとしても、ヴィクトールは受けつけず、博士が無理強いすると床に引っ繰り返って大暴れの発作を起こしてしまう。

 
「言葉は音楽だよ、それをわからせたいんだ」

 
少年をかばうゲラン夫人に向かって博士は宣言する。しかし、そうした信念と熱意を注いでも、かれはせいぜい好物の牛乳を示す「レ」の綴りと発音ができるくらいだった。そして、ついにその日がやってくる。ヴィクトールはふいの衝動に突き動かされ、着の身着のままで屋敷を逃げ出すと、かなたに広がる森へ一目散に向かって、四つん這いで駆けまわり、木の枝から枝へと飛び移り、小川のせせらぎにうつ伏せになって喉を鳴らし、近くの農家からニワトリを盗み……と、すっかりもとの野性に返ってしまうのだ。髪を振り乱し、あっという間に全身泥まみれとなった姿の輝かしいこと! この皮肉な逆説こそ、トリュフォー監督が描きたかったものではないか。

 
ドラマの時代背景となっているのは、フランス革命が瓦解したのち、あとをついだ総裁政府からナポレオンの第一帝政へとめまぐるしく国家体制が移ろっていく時期だ。ジャン=ジャック・ルソーの著作によって火をつけられた「文明」と「自然」が鋭く対立する思潮のもとで、ヴィクトールは歴史の舞台に登場した。われわれは「文明」の基礎をなすのは言葉であり、現生人類はそれを手に入れたことで他の動物と一線を画して豊かな精神世界を生きるようになったと信じている。だが、かれの断固としたプロテストの態度を目の当たりするにつけ、言葉というものが「自然」から隔たったデッチ上げの暴力装置かもしれないことに気づかされるのだ。

 
「アヴェロンの野生児」の出現から200年あまりを経て、人類が当時とは比較にならないぐらい濃密な情報空間に棲息しているいま、この映画が突きつけてくる問いはいっそう深刻だと思う。果たして、言葉は音楽だろうか――。

 
 

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