アナログ派の愉しみ/本◎森 鴎外 著『文づかひ』

近代日本思想界の
「二大離婚」がもたらしたものは


「近比(ちかごろ)日本の風俗書きしふみ一つ二つ買はせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむやうに記したるありしが、こはまだよくも考へぬ言にて、かゝることはこの欧羅巴(ヨーロッパ)にもなからずやは。〔中略〕そを誰か知らむ。恋ふるも恋ふるゆゑに恋ふるとこそ聞け、嫌ふもまたさならむ」

森鴎外がドイツから帰朝後、陸軍軍医としての煩瑣な任務のかたわら、『舞姫』『うたかたの記』についで発表した三作目の小説『文づかひ』(1891年)の一節だ。前二作と同じく留学先での体験に材を得て、日本人の若い士官がたまたま地方貴族の令嬢から手紙を託されたことを機に、彼女がフィアンセとの結婚を破談にした胸のうちを聞かされるというストーリーで、その告白中、日本の旧弊な結婚制度と同様のことはヨーロッパにもある、自分は自分の気持ちに素直でありたい、と述べたのが引用個所だ。

むろん鴎外ならではの知見を踏まえたものだろうが、それにしても、かつての『舞姫』に見られた肺腑をえぐるような筆勢がすっかり鈍り、どこか言い訳がましい迂遠な印象が強いのはどうしたことだろう。実は、その『舞姫』のヒロイン「エリス」のモデルとなったドイツ人女性と別れてから、鴎外は赤松則良海軍中将の娘・登志子と結婚して一子をなしたものの1年半で離婚に至り、間もなくこの『文づかひ』を発表したのだ。

旧来の封建社会のうえに欧米世界から近代化の高波が押し寄せ、双方の文化・習俗が激しくぶつかりあっていた疾風怒濤の時期、鴎外と前後して、内村鑑三もキリスト教徒同士の浅田タケと結婚して半年で破局に終わったことを、わたしはひそかに明治思想界の「二大離婚」と呼んでいる。この結果、内村はアメリカへと脱出したあげく、かの地のキリスト教社会に身を置いて忍辱の歳月を送る一方、鴎外もまた『文づかひ』に心境の一端を託したのち、以降18年間にわたって創作の筆を折ってしまう。

森鴎外、内村鑑三といった近代日本の思想界を代表する巨人をもってしても、みずからの離婚についてはほとんど語るべき言葉を持ち合わせなかった――。こうした事態は後世の男たちにも影を落としたのではないだろうか。かく言うわたしもかつて結婚に失敗したバツイチの身の上で、それまで想像の外にあった離婚と直面したときに何より困惑したのは、この現実を受け止めるための言葉がどこにも見当たらないことだった。もはや離婚など珍しくもない今日においてさえ、男たちはあたかも失語症に罹ったかのように足掻いている気がする。

のちに大正デモクラシーの風が吹きはじめたころ、女たちによって新たな言論活動が企てられ、鴎外の二番目の妻・しげ子や実妹の小金井喜美子が参加したことにもよるのだろう、創刊雑誌のタイトル『青鞜』は鴎外が考案したと言われている(18世紀イギリスでフェミニズム運動の嚆矢となった「ブルーストッキング」協会にちなんで)。そして、誌上では当時の厳しい検閲のもとにもかかわらず、たとえば新劇女優・松井須磨子が演じて評判となったイプセンの芝居『人形の家』にかこつけて、家族制度に対しても真っ向から斬り込んでいった。こんなふうに。

「今またすべての女は、悉(ことごと)く妻たち、母たらねばならぬといふこともない。〔中略〕現に欧米諸国では、年々歳々独身者を増してゐるとか。それらの人々はいづれ何か職業を採つて、自営自活をしてゐる人であらう。かうなつて来れば、女性も純然たる独立の人間で、男の独身者と少も選ぶ所はないはず。要するに妻となつても、あるいは独立しても、男性に対する女性の地位は、全然共通均衡のものたるが至当。敢(あへ)て男の法律に従ふべきものでもあるまい」(「葉」の署名で、1912年1月号)

まさに火を吹く舌鋒というにふさわしい。文豪鴎外も、女たちには遠く及ばなかったのである。

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