アナログ派の愉しみ/音楽◎冨田 勲 演奏『月の光』

シンセサイザーの
月光が照らし出すものは


わたしたちは音楽においても、人間相互の心情のやりとりを疎ましく受け止めている部分があるらしい。だれでも覚えがあるはずだ、何かの機会にふとオルゴールが奏でるメロディに出会うと、純粋な音色に安らぎを覚えて引き込まれてしまうのは、そうした理由からではないだろうか。

 
かつて山梨県・河口湖畔の「オルゴールの森」(現在は「音楽と森の美術館」)に立ち寄ったことがある。あいにくの荒天にもかかわらず老若男女でごった返し、世界じゅうから集められたコレクションに群がり聴き入っていた。なかでもわたしが感興を催したのは、ドイツの会社が1912年に製造した「フィルハーモニックオーケストリオン」という、ひとの身長の倍くらいの高さの機械で、もともとあの悲劇の豪華客船「タイタニック」に搭載される予定だったところ完成が遅れたせいで沈没の運命を免れたという。女性ガイドの説明を受けながら、頭のなかにはありありと、北大西洋の冷たい海底で、だれひとり聴く者とてないのに、この巨大なオルゴールが永遠に音楽を鳴らし続けているイージが浮かんだのだ。

 
こうした体験に触れたのは、あらためて冨田勲の仕事について考えてみたいからだ。その名前はわたしたちの世代にとって、手塚治虫原作のTVアニメ『ジャングル大帝』の壮麗なテーマ音楽の作曲者のものであり、また、シンセサイザーという得体の知れない機械で未知の音楽世界を切り開いたパイオニアのものでもあり、写真のなかのスモークのサングラスをかけた不敵な印象とあいまって、ふたつの顔を持つローマ神話のヤヌスさながらの怪物を思わせる存在だった。

 
前記の「フィルハーモニックオーケストリオン」が世に現れて約60年後、アメリカの電子工学博士ロバート・モーグは機械仕掛けの楽器をさらに進化させて、ほとんどフルオーケストに匹敵する多彩な表現が可能という「モーグシンセサイザー」を発明した。当時の金額で2000万円を支払って世界で二番目の所有者となった冨田が、たったひとりでこの機械と格闘し、1年4か月をかけて完成したアルバムが『月の光』(1974年)である。世界的な大ヒットを記録した。

 
シンセサイザーによる初めての演奏にあたり、フランス印象派の作曲家クロード・ドビュッシーの小さなピアノ曲たちを選んだところが、冨田のしたたかな怪物のゆえんだろう。アルバムのタイトルとなったのは、ドビュッシーがまだ28歳のころに作曲した『ベルガマスク組曲』のなかの最も有名な第3曲で、これは象徴派の詩人ポール・ヴェルレーヌの詩集『雅びなる宴』(1869年)に収められた『月の光』にもとづく。

 
お前の心はしとやかな景色のやうだ、そこに
見慣れぬ仮面して仮装舞踏のかへるさを、
歌ひさざめいていて人は行くけれど
彼等の心もあんまり陽気ではないらしい。
 
誇らしい恋の歌、思ひのままの世のさまを
鼻歌にうたつてゐるが
どうやら彼等も自分たちを幸福だとは思つてはゐぬらしい。
さうして彼等の歌の声は月の光にまじります。

(堀口大學訳)

 
華やかなりしルイ王朝を回顧してのことだろうか、仮面舞踏会で乱痴気騒ぎを繰り広げた連中がようやく帰途について、かれらの背中は物憂げな気配をまとっているのを月の光が照らし出す。この曲のそんなデカダンスの気配を、これまでさまざまなピアニストの指先が、ときには妖しく、ときには儚げに、ときには皮肉めかして紡いできた。しかし、冨田の設計になるシンセサイザーが奏でたのは、およそ別物の音楽世界だった。現在に較べれば技術的水準には限界があったろう、そこから出てくるのはまだピコピコという機械の合成音を引きずったものだけれど、それだけにいっそう、人間の心情を介在させない無機的で純粋な音のつらなりが際立つのだった。

 
ここでの月の光は、あくまで澄み切っている。深海に沈んだ「タイタニック」の貴賓室にまで差し込もうとするばかりでなく、さらには、やがて世界から人類が絶滅したあとの地球上を青白く照らし出そうともするかのように眺められて、わたしは戦慄しないではいられない。
 

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