アナログ派の愉しみ/映画◎内田吐夢 監督『飢餓海峡』

ひとは命懸けでなければ
自己の過去と向きあえはしない


内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1965年)は、わたしがこれまで繰り返し観た映画のひとつだ。そのたびにただならぬ感動に襲われてきたのだが、いちばんのキモのはずのラストシーンだけはずっと腑に落ちないでいたところ、この年齢になってやっと理解できた気がする。そのへんを書いてみたい。

 
水上勉原作。敗戦後間もなく、北海道で刑務所を仮出所したふたりの男が質店一家を殺害し大金を奪ったうえ放火して、もうひとりの復員服の大男とともに、大型台風の襲来による青函連絡船転覆事故の混乱にまぎれて、津軽海峡にボートを漕ぎ出し本州へ向かった。しかし、下北半島に上陸したのは大男の犬飼多吉(三国連太郎)だけで、かれは青森県大湊の花街で親しんだ女郎・杉戸八重(左幸子)に札束を渡して立ち去る。一方で、函館警察署の弓坂刑事(伴淳三郎)は犯人の手がかりを求めて、東京に出奔した八重の行方を追って出張したものの、ついに接触できないまま捜査は行きづまった。

 
それから10年。赤線地帯の娼妓となった八重は、偶然にも新聞記事で犬飼そっくりの顔写真を見つけ、その樽見京一郎なる人物と面会するために京都府舞鶴へ出かける。篤志家として知られる樽見は、八重に向かって自分は別人だと否定したが、相手が親指の形状から犬飼であることを突き止めると、いきなり首を絞めつけ、現場を目撃した書生の青年も殺害して、ふたつの死体を心中に見せかけ若狭湾に遺棄する。だが、警察の捜査陣(高倉健ら)は次第に疑惑をふくらませ、函館から弓坂元刑事も呼び寄せて、10年の歳月を隔てた事件の全容を解き明かしていく。ついに追いつめられた留置場の樽見こと犬飼は、明日北海道へ帰るという弓坂に同行を懇願し、現場検証の必要からそれが認められて、一行が青函連絡船の船上にあったとき、かれは突如津軽海峡へ身を躍らせた……。

 
わたしが長らく不可解だったのは、犬飼が甲板から海に飛び込むと、刑事たちは驚愕して身を乗り出すが、だれひとり連絡船を停止させようとも救命ボートを降ろそうともしないことだ。いくら重大事件の容疑者とはいえ、いや、むしろだからこそ、おいそれと自死を許さず真相解明のために万全を尽くすのが筋だろう。それが、あたかも女神メドゥーサに睨まれて石像と化したかのように、全員が固まってしまったのはなぜか?

 
それを解くカギは、犬飼が墓穴を掘った八重殺しにある。実は、かれが巨大な両手で八重の口をふさぎ、首を絞めたのはこのときだけではない。かつてふたりが一度だけ交わった寝床で、彼女が恐山のイタコの真似をして「戻る道ないぞ、帰る道ないぞ」と戯れかかると、かれはおののいて相手の首筋を血が滲むほど絞めつけた。そして、10年後に思いがけず再会し、相手が正体を見破って「やっぱり犬飼さんよ、犬飼さん、犬飼さん」と迫ってくると、同じ暴力で報い、八重は笑みを浮かべて死んでいく。すなわち、どちらの場合も犬飼には八重を殺そうという意識は微塵もなく、彼女の無邪気な口を介して自分の過去と向きあわせられた瞬間、反射的にその口をふさいでしまったのに過ぎない。かれが恐懼したのは八重でも事件の発覚でもない、ただおのれの過去だったのである。

 
 一重(ひとつ)積んでは父のため
 二重(ふたつ)積んでは母のため
 三重(みっつ)積んでは故里の兄弟吾が身を回向して
 南無阿弥陀仏阿弥陀仏 南無阿弥陀仏阿弥陀仏

 
この地蔵和讃は映画のラストシーンで、犬飼が投身したのち、えんえんと津軽海峡の波浪がせめぎあう光景に重なるものだ。海面にはカモメたちが飛び交っているが、脚本を担当した鈴木尚之の回想によれば、内田監督はそれを「極楽鳥」と呼んでいたという。

 
そう、犬飼はみずから生命を差し出すことで初めて自己の過去と向きあえたのであり、もはやかれに残された救いはそれしかなかったとみなが知っていたために、女神メドゥーサに睨まれるまでもなく、あえて連絡船を止めることも救命ボートを降ろすこともしなかったのだ。これは戦後社会を物質的・精神的な飢餓が覆っていた時代ならではの物語だろうか。そうではないはずだ、人生がきれいごとでは済まない以上、ひとは命懸けでなければ自己の過去と向きあえはしない。現在のわたしにはそんな思いが強い。もし平気で自己の過去と向きあえるなら、それは人生の価値となんら関係なく、たんに飽食の時代の上澄みを啜って生きてきたことを意味するだけだろう、と――。


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