アナログ派の愉しみ/映画◎山中貞雄 監督『丹下左膳余話 百万両の壺』

ずぼらな剣豪が演じる
稀有なホームコメディが照らしだすのは


春風駘蕩の趣と言ったらいいのか。柔らかなぬくもりが全身を通りすぎていくような、こんな映画をわたしはほかに知らない。きっと、どんなにこわばった心も和ませてしまうだろう。

日本映画史において天才・秀才・鬼才を愛されてきた監督は数多いが、いまだにその死が惜しまれている監督となれば山中貞雄に止めを刺すに違いない。1909年(明治42年)京都生まれ、17歳でサイレント時代の映画界に飛び込み、トーキー時代へと移りゆく転換期に監督として23本(別に共同監督3本)の作品を発表しながら、1937年(昭和12年)軍隊に召集され、中国大陸の開封で戦病死した。享年満28歳。さらに無念の思いを掻き立てるのは、山中の監督作品のほとんどが失われてしまい、今日ほぼ完全な形で観ることができるのはわずか3本だけという事情だ。そのいずれもが傑作とされるなかで、ただひとつの喜劇が『丹下左膳余話 百万両の壺』(1935年)なのだ。

そもそも、日本には心置きなく笑える喜劇が少ない、とりわけ家族をテーマとしたものでは。「寅さん」に代表されるとおり、その多くは喜劇と銘打っていても、家族のしがらみと情愛をストーリーの軸にして、とかくお涙頂戴でオチがつく。ハリウッド映画のような、天真爛漫なホームコメディが見当たらないのは、一体どうしたわけか? そこには、東アジア儒教文化圏ならではの、家族をめぐる重ったるい社会風土が作用しているのだろうか?

話が大きくなりすぎた。ともあれ、こうした観点から眺めると、『丹下左膳余話 百万両の壺』はチャンバラ劇でありながら、日本では稀有なホームコメディとも言えるだろう。それを支える最大の仕掛けは、ここに描かれる家族が血縁ではなく、おたがいの意思によって結びついていることだ。

この映画の公開当時、「シェーはタンゲ、ナはシャゼン」という豊前なまりの台詞まわしと隻眼隻手の風体で一世を風靡していた大河内伝次郎演じる剣豪・丹下左膳が、ここでは矢場の女将(喜代三)の情夫兼用心棒として登場する。魁偉な外見はそのままに、ずぼらでひとの好い中年男で、女将とのあいだにはいさかいが絶えない。そこへ、みなし子となった少年(宗春太郎)を引き取ったことから、ふたりは自然と父母の立ち居振る舞いに変じていく。一方で、ライヴァルたるべき柳生源三郎(沢村国太郎)は、気位の高い妻(花井蘭子)の尻に敷かれ、その重圧から逃れるために連日、矢場に入り浸る始末。百万両の隠し場所が塗り込められた「こけ猿の壺」の争奪戦など、どこ吹く風、とだれもが太平楽を決め込んで……。

 
この映画を観ている1時間半ばかり、われわれは微笑、苦笑から、破顔、爆笑まで、さまざまな笑いを発するに違いない。それらの笑いは決して涙に濡れることなく、つねに清々しくカラリと乾いているはずだ。

 
わたしがかねて不可解なのは、公共放送のNHKが『ファミリーヒストリー』といった番組でいやに「血縁」に執着していることだ。空前の少子高齢化社会を迎えて、全国で単身者世帯が半数近くに達するといういま、もし現代人の孤独を分かち合う新たな家族像があるとしたら、それはもはや血縁ではなく、おたがいが意思をもって結びつき、みずから絆を築いていく方途しかないのではないか。とすれば、かつて暗黒の時代に一条の光明をもたらした山中の作品は、はるかな歳月をへて、われわれにとっての明日の希望も照らしだしていると言えるのかもしれない。


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