アナログ派の愉しみ/映画◎今井 正 監督『キクとイサム』

「年ごろだからな、おら」
未来に立ち向かう異形の少女の輝き


日本映画史上、指折りの異形のヒロインではないだろうか。キク、12歳。ブス、デブ、お転婆、黒ん坊……と、口にするのも憚られる形容がふさわしいキャラクターでありながら、その全身にみなぎるヴァイタリティは観る者の鼻面をつかんで新たな認識の次元へと引きずっていく。今井正監督の『キクとイサム』(1959年)は、敗戦後に日本人女性とアメリカ黒人兵とのあいだに生まれたハーフの子どもたちの、もはや逃げも隠れもできない現実を直視した作品だ。

会津磐梯山のふもとの農村で、混血児のキクとイサムのきょうだいは両親がなく、祖母と3人で暮らしている。貧しい生活のなかでも、女の子のくせにガキ大将のキクと腕白のイサムは元気いっぱいに過ごしていたが、その肌の色の違いに世間はそろそろ目を据えるようになり、否応なくふたりに人生の岐路が訪れる。イサムはアメリカの養父母のもとにもらわれていき、あとに取り残されたキクを見やって、近在の主婦は苦々しげにつぶやくのだ。「イヌの仔もらうときもオス、オスと」……。

このキク役を見出したのは、脚本を担当した水木洋子だった。残されたノートによると、今井監督らがオーディションの結果、すでに京都在住の利発でかわいらしい顔立ちの混血少女に決めていたところ、水木は「私の描こうとする主人公は、こういうお利口さんでは全くない」と拒み、みずから落選候補たちと面接して、東京荒川小学校6年の高橋恵美子に出会ったとたん、「顔は怪異で、デブッチョである。ただ底抜けに明るいのがコレダ」と白羽の矢を立てたという。

この映画のテーマは、果たして60年ほど前の遠い過去のものだろうか。わたしは決してそう思わない。当節、スポーツの分野ではエリート・アスリートたちのめざましい活躍によって意識改革が進み、いまや日本代表を黒い肌の選手がつとめることにだれも違和感を持たなくなった。一方で、そのスポーツのテレビ中継を行うのが黒い肌のアナウンサーとなるまでにはまだかなりの時間を要するのではないか? とするなら、日本が世界に向かっていっそう門戸を開こうとするなか、肌の色をめぐる偏見の解消はいまなお現在進行形のテーマと言えるだろう。そして、そうした将来を実現するために必要なのは、いたずらに絶望や希望に動じたりしない、ただ底抜けに明るい異形のパワーなのだとこの映画は訴えかけているようだ。

キクは些細な不始末をしでかしたことを気に病み、祖母にまで見放されたと思い込んで、納屋で首をくくろうとする。が、からだの重みで縄が切れて尻もちをついてしまい、そのショックで初潮を見る。翌日、祖母がつくってくれた赤飯の弁当を手に学校への道を闊歩しながら、いつものようにからかってくる同級生の悪童どもに向かって彼女は胸を張る。

「年ごろだからな、おら。かまってやらねじェもう……」

水木がキクに与えたラストシーンのこの台詞のおかしさと輝かしさはどうだろう! 未来に立ち向かう少女のこれだけ強靭な姿を描いた映画を、わたしは他に知らない。


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