アナログ派の愉しみ/本◎ウェーバー著『職業としての政治』

日本の未来の
政治家へのメッセージ


現在の日本の政治状況に関してわたしが最も強い懸念を持つのは、この国の未来を担う世代の目に果たして政治家という職業がどんなものに映っているのか、そこのところだ。毎日のニュースが流す政治家たちのありようを眺めていれば、小中学生でも呆れ返って、かれらが国家の重責を担う存在とはとうてい受け止められないのではないか。その結果、政治家という職業を見下してみずからがめざすことなど考えもつかず、政界には依然として二世・三世の世襲議員が跳梁跋扈するとしたら、日本の未来はどうなってしまうやら……。

 
こうしたときに、じゃあ、政治家というものについて若い世代にどう語り伝えればいいのだろう? そのひとつの手本として社会学者マックス・ウェーバーの『職業としての政治』(1919年)を読み直してみたい。脇圭平訳。

 
 われわれにとって政治とは、国家相互の間であれ、あるいは国家の枠の中で、つまり国家に含まれた人間集団相互の間でおこなわれる場合であれ、要するに権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である、といってよいだろう。〔中略〕政治をおこなう者は権力を求める。その場合、権力を別の目的(高邁な目的または利己的な目的)のための手段として追求するか、それとも権力を「それ自体のために」、つまり権力自体がもたらす優越感を満喫するために追求するか、そのどちらかである。

 
第一次世界大戦の敗北により深刻な社会不安のもとにあった当時のドイツで、ウェーバーは学生たちを対象とする公開講演で理想主義を振りまわしたりせず、政治家が身を置く現実をあからさまに解き明かしてみせる。こうしたリアリズムに立って、ヨーロッパとドイツの歴史における政治家という職業が辿ってきた道筋をつぶさに検討したうえで、その根底にある問題へと立ち返ってくるのだ。

 
 それでは、倫理と政治との関係は本当はどうなっているのか。時おり言われてきたように、この二つの間にはまったく関係がないのか。それとも逆に、政治行為には、他のすべての行為の場合と同じ倫理が妥当すると見るのが正しいのか。この二つの主張の間には、よく、一方が正しいか、他方が正しいか、ようするに絶対的な二者択一の関係が存在すると信じられてきた。しかし、この世のある一つの倫理に基づいて立てられた掟は、恋愛・商売・家族・役所のどの関係についても、従って、相手が細君・八百屋のおかみさん・息子・競争者・友人・被告と変わっても内容的にはいつも同じ、というのは果たして本当だろうか。政治が権力――その背後には暴力が控えている――というきわめて特殊な手段を用いて運営されるという事実は、政治に対する倫理的要求にとって、本当にどうでもよいことだろうか。

 
はなはだ格調の高いアカデミックな講演のなかで、この個所だけいやに砕けたもの言いとなっているのは、おそらく目の前の学生たちに身近な問題として受け止めてほしかったからだろう。すなわち、国家の運営にかかわる政治が拠って立つ倫理と、世間の諸事万般が拠って立つ倫理がすべてひっくるめて同じものであって本当にいいのかどうか、と。これはまさにいまの日本の政治家と一般国民とのあいだにもずっしりと横たわっている問いかけに他ならない。

 
そこで、ごくざっくりとまとめてしまうと、人間世界の倫理にはだれもが心情的に共有する「心情倫理」とものごとの結果責任に対する「責任倫理」のふたつがあるとして、こう結論づけるのだ。

 
 およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時も忘れてはならない。繰り返して言うが、彼はすべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶのである。〔中略〕これをなしうる人は指導者でなければならない。いや指導者であるだけでなく、――はなはだ素朴な意味での――英雄でなければならない。そして指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志でいますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。

 
もとより、ウェーバーが生きた時代や社会状況は今日のわれわれとまったく異なる。しかし、そうであっても、ここに述べられた言葉の数々にわたしは耳をそばだてずにはいられない。かれの言う「天職」の政治家は、果たして現在の日本にどれだけ存在するのだろうか? いや、それ以上に肝心なのは、この国の未来を担う世代に対してもこうした真摯な言葉を語り伝え、そこから本来の政治家が出現するための精神風土を醸成していくことだと思うのである。
 

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