アナログ派の愉しみ/映画◎丸根賛太郎 監督『狐の呉れた赤ん坊』

イエス・キリストと
狐のあいだに横たわるもの


女が慈善病院で出産した子を育てられず街中に捨ててしまう。その赤ん坊を見つけたのは、山高帽にちょび髭、だぼだぼズボン、ドタ靴のなりの浮浪者(チャールズ・チャップリン)で、やむなく自分の手で養育することを決める。それから5年後、すくすく育った男の子(ジャッキー・クーガン)と貧しくも情愛のこもった日々を送っていたが、世間の風当たりは厳しく、孤児と判明した子どもが孤児院に送られそうになったのを必死で取り戻す。さらに、この間にオペラ歌手として大成功した女がわが子を探し当てると、浮浪者はからだを張って抵抗するが、最後には実の母親のもとへ返すことに……。

 
愛の名作『キッド』(1921年)のあらすじだ。チャップリンが監督・主演した初の長篇映画で、これが世界じゅうで上映されて喝采を博したことから、その名前と浮浪者のスタイルが国境を超えて知れわたるきっかけとなった。

 
ただし、一般的に考えて上記の設定には大きなトリックがあるのではないか。そのひとつは、ふつうの男がひとりで乳飲み子を育てるなどまず不可能なことだ。人間のみならず自然界の鳥獣たちを眺めても、オスには子育てという高度な能力が欠けているのは明白だろう。もうひとつは、子どもが可愛い盛りのタイミングで実の母親が名乗り出ることだ。だから父性愛・母性愛の葛藤が涙を催させるのであって、もしその前のまだ物心のつかない幼児期だったり、逆にその後の自我が芽生えた少年期だったりしたら、涙の勢いはずっと差し引かれるに違いない。つまり、こうしたふたつのトリックを導入したからこそ、国家や宗教・民族を問わず、だれでも安心して笑って泣ける感動のドラマが成り立ったのだ。

 
このチャップリンの名作を下敷きにしたといわれている丸根賛太郎監督の時代劇『狐の呉れた赤ん坊』は、数奇な運命にもてあそばれた映画だ。太平洋戦争下にまだ20代だった監督のもとで企画が立てられ、制作が進むさなかに日本は敗北して、1945年8月15日にラジオで玉音放送が流れ、9月2日に戦艦ミズーリで降伏文書の調印を見て戦争が終結する。かくて、マッカーサー元帥をトップとするGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策が本格化して、映画の分野では軍国主義を鼓吹するチャンバラ時代劇は禁止措置に。そこで、監督はみずからGHQに乗り込み、この『狐の呉れた赤ん坊』はあくまで人道的な内容であると力説して、からくも同年11月6日に「占領軍許可第一号作品」として公開に至ったという。その際、世界じゅうで愛好される『キッド』にもとづくことも免罪符となったのではないか。

 
江戸時代の昔、大井川の金谷宿の川越人足・寅八(阪東妻三郎)は、ある日、街道筋に出没するという悪狐の退治に出かけて赤ん坊を拾ってくる。てっきり狐が化けたものと思ったところが、どうやら本物の人間の子らしい。そのうち情が移って捨てるに捨てられず、寅八は酒もバクチも喧嘩もやめて子育てにいそしむ。7年の歳月が去り、年齢の割に利発な善太(のちの津川雅彦)は、近所の腕白どもをしたがえて大名行列ごっこをしていると、向こうから本物の大名行列がやってきても道を譲らず、あわや処刑されそうになったのを、寅八が身代わりを申し出たことで褒賞にあずかり許される。その後、善太はさる10万石の大名家の血を引くことが判明して、家臣たちが迎えにやってくると、寅八は涙ながらにこう自分に言い聞かせて引き渡すのだった。

 
「善太、ちゃんはもう一度死ぬぜ!」

 
ざっくりとあらすじを並べただけでも双方の相似が見て取れよう。やはり、子育てなどできそうもない男が赤ん坊を育て、可愛い盛りのタイミングで実の親元が名乗りをあげて、泣き笑いの葛藤の末に返還することを決める……。しかし、表面上はそっくりでも、その感動のドラマを支える精神風土には途方もないギャップの横たわっているのが興味深い。ひと言で表すなら、イエス・キリストと狐の違いと要約できるだろう。

 
『キッド』では、冒頭に十字架を負ったキリストのシーンが重ねられるように、人間の原罪と救済がドラマの根底にあり、したがって、ラストでは大金持ちとなった母親がわが子だけでなく浮浪者も引き取ってひとつの家族をつくることが示唆されている。これは、日本人の感覚からするとぴんとこないのではないか。一方の『狐の呉れた赤ん坊』では、いまや大名家の跡取りとなって着飾った善太を、寅八が喜び勇んで肩車で大井川を渡すところで結ばれる。前者が天上の神を前にして人間は平等という垂直軸の世界観なら、後者は同じ地平の狐の不思議を受け入れながら現実社会の上下によって丸く収めようとする水平軸の世界観だ。

 
果たして、GHQの目にはこのギャップがどう映ったことだろう? そしてまた、マッカーサー元帥が後年、日本の天皇制存続を決断することになった事情の一端もここに窺えるのかもしれない。


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