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烏賊墨色ノ悪夢 第二話

 10月26日正午。

だん永樹えいきです。大変な時期にお呼びだてしてしまい申し訳ありません」
「……佐藤根さとね佐那さなです」
「玖瑠美の兄の雨谷光賢だ」

 玖瑠美の葬儀が終わってから二日後。光賢は玖瑠美の通っていた大学に近い喫茶店で、玖瑠美の友人の段永樹、佐藤根佐那の二人と相席していた。

 通夜の会場で妹の友人だった二人と知り合い、後日改めて顔合わせする約束をしていたのだ。玖瑠美の死からまだ十日。隈の目立つ光賢の面差しには、不条理な現実に対する悲愴感ひそうかん怨色えんしょくとが混在している。長身と色白な肌も相まって、その姿は幽鬼のようでもあった。

「お兄さんに聞くのは不謹慎かもしれませんが、その……玖瑠美さんの件について警察の捜査に何か進展は?」

 玖瑠美の一年先輩で、所属する映像研究会で部長を務める段が光賢の顔色を伺いつつ尋ねる。最愛の家族を喪って間もない遺族に、それを掘り返すような質問をするのは心が痛むが、抱えている事情は段と佐那も深刻だ。

「状況は何も変わらない。何らかの理由で錯乱状態に陥った玖瑠美が、マンション八階のベランダから誤って転落し死亡した。第三者が関与した可能性は低く、玖瑠美の叫び声を聞いてベランダに飛び出した複数の近隣住民が、玖瑠美が手すりを乗り越える瞬間も目撃している。事故か自殺か。いずれにせよ事件性は低いというのが警察の見解だ」

「ご遺体は出血が異様に黒かったと聞いています。そのことについては?」

「司法解剖が行われたが、転落死であることを除けば、医学的見地からは何の異常も見つからなかったそうだ。謎が多いのは事実だが、警察としてはこれ以上動くことは出来ないと断言されたよ。知り合いの刑事が独自に捜査を行ってくれているが、組織としての動きには期待出来そうにない」

「……そうですか」

 段は宛てが外れたような渋い顔をすると、額の大粒の汗をハンカチで拭った。友人の死の真相を知ろうとする気持ちは理解出来るが、どことなく警察の動きに探りを入れているような印象を受ける。

「前置きは十分だ。何も故人の思い出話のためだけにやってきたわけじゃないだろう?」

 段と佐那が何か複雑な事情を抱えていることには感づいていた。そうでなければ、通夜の席で兄である光賢と、あらためて顔合わせの機会を設けようとは思うまい。二人は友人の死を悼むと同時に、遺族と接触する機会を求めていたのだ。

 段と佐那はお互いの顔を見合わせて頷き合う。内容が内容だけに切り出すタイミングを図りかねていたが、光賢に促されたことで覚悟が決まった。

「玖瑠美さんの死には予兆があったのかもしれません」
「詳しく聞かせてもらおうか」

 獲物を求める肉食獣のように光賢の眼光は鋭かった。光賢だって玖瑠美の思い出話をしに来たわけではない。死の真相に近づけるのなら、今はどんな些細な情報でも欲しい。

「光賢さんは【FUSCUS】というAIをご存じですか?」
「絵を描くいわゆる画像生成AIの一種だろう。セピア調で作品を描くのが最大の特徴だったな」

 AI関連の話題はITジャーナリストとしての守備範囲だ。昨今注目を集めるAIが絵を描く技術にもアンテナを張っている。今のところ記事にする予定はないが、新たに誕生したAI画像生成サービスとして、【FUSCUS】の存在も把握していた。

「僕たち映像研究会は、学祭に向けて短編の映像作品を製作中でした。演出の一環で、【FUSCUS】で描いた絵を使用しています」
「それが玖瑠美の死とどう関係してくる?」

「ネット上の都市伝説とでも言いましょうか。【FUSCUS】には、【未来の私】というキーワードを入力すると、入力した人間の未来を描いてくれるという噂がありました。僕たちだって本気で信じていたわけではありませんが、興味本位で僕と玖瑠美さん、佐那の三人でそれぞれ試してみたんです。だけど画像を生成中というメッセージが出るだけで、誰の絵も一向に仕上がらなかった。結局隠し要素なんてものは無くて、エラーでも起きたんだろうって、話はそこで一度終わったんですけど……しばらくすると全員のパソコンに【FUSCUS】の描いた絵が保存されていて、その内容があまりにも衝撃的で……」

「【FUSCUS】が何を描いたというんだ?」
「僕たちの……死の瞬間ですよ」

 段は苦い表情を浮かべながらも気丈に説明を続けていたが、隣の佐那は見る見る顔色が悪くなっていた。その時の出来事が思い返すだけで怖気が走る。

「玖瑠美もか?」
「……はい」
「遺族の目の前で本気か?」

 最愛の妹の死をオカルトに結び付けるかのような発言に、光賢は思わずコーヒーの入ったカップに手が伸びた。このまま感情的に永士に中身を浴びせかけてしまいそうだ。

「非常識なのは百も承知です。だけどこれが僕らの現実なんですよ」

 覚悟の据わった目で、段は鞄からタブレット端末を取り出し、画面に表示した一枚の画像を光賢に突きつけた。画像は段がパソコンからタブレット端末に保存した、【FUSCUS】が描いた【未来の私】。すなわち段の死相だ。

 絵の中の段は、苦悶の表情を浮かべて浅く水が流れている場所に倒れている。首と背骨があらぬ方向を向き、負傷ヶ所から水に滲んだ血液は、セピア調の色彩で黒っぽく表現されていた。写真と見紛うような、現実をそのまま切り取ったかのような圧倒的なクオリティだ。

 それを見た瞬間、光賢の脳裏にあの夜の変わり果てた玖瑠美の姿が蘇る。突然激しい悪寒に襲われ、グラスから自然と手が離れた。これまでの人生で霊感を意識したことなどないが、その絵は悪趣味である以前に、作り物とは思えない本物の死臭を纏っているようにさえ感じられた。例えば本物の呪物なんてものが存在したら、こんな感覚に襲われるのかもしれない。

「玖瑠美さんが亡くなった時の状況を聞いて、あの日見た【FUSCUS】の絵を思い出さずにはいられませんでした。玖瑠美さんのパソコンにはまだあの絵が残されているはずです。お兄さんなら中身を確認することが出来るでしょう。そうすればまた見え方も変わるはずだ」

「画像生成AIが描いた通り人間が死ぬ。そんなことが本当にあり得るのか?」
「僕たちだって未だに半信半疑です。だけど実際に【FUSCUS】に【未来の私】と入力した人間がすでに二人も亡くなっている」
「二人? 玖瑠美だけじゃないのか?」

「僕に【FUSCUS】を紹介してくれた二輪にわ和仁かずひとという男性が、玖瑠美さんが亡くなる二日前に亡くなっています。動画投稿者として活動していたので、検索すれば名前が出てくるはずです。二輪さんは突然錯乱状態となり、踏切に進入して電車と接触しました。現場に残された血液は異様に黒かったそうです。亡くなる直前に、【FUSCUS】は危険だというメッセージと共に、【FUSCUS】が描いた二輪さんの画像が送られてきました……見るも無残な轢死体がね」

 光賢がスマホで二輪和仁の名前を検索すると、確かに玖瑠美が亡くなる二日前に、同姓同名の人物が列車事故で亡くなっていた。二輪は「庭鰐ニワワニ」という名前で動画投稿活動をしており、チャンネル登録者数は七万人。その知名度もあって、ネット上では死亡記事が話題になっていた。

「二輪さんのことはショックでしたが、それだけなら不幸な偶然で終わっていたと思います。だけど、今度は玖瑠美さんがあんなことに……【FUSCUS】に死を描かれた人間が立て続けに二人も亡くなっている。ひょっとしたら僕らの知らないところでも、同じことが起きているのかもしれない」

「正直、気が狂いそうです……【FUSCUS】で死の未来を見た私たちも当事者ですから」

 これまでは無言を貫いていた佐那がここに来て感情的に声を震わせた。その表情はまるで死神と対峙するかのように強張っている。

 多弁で誤魔化しているが、異様に汗をかいている段も内心では相当追い詰められているように見える。今の二人を突き動かしているのは死への恐怖だ。二人は迫る死の影に心の底から怯えている。

 ――恐怖心は本物だ。藁にも縋るというやつか。

 光賢にこの話しを打ち明けたのは、亡くなった玖瑠美の身内であると同時に、AIの分野に明るいITジャーナリストという肩書にも期待を持っているのだろう。【FUSCUS】の真実に迫るきっかけを二人は欲しているのだ。

「正直、情報過多で頭の整理が追いつきそうにない。俺の中では、玖瑠美のパソコンに保存されているという画像を見るまでは、何も始まらないな」

 黙考していた光賢が静かに口を開く。その眼には再び、肉食獣のような眼光の切れ味が蘇っていた。

「光賢さん。それって」
「半信半疑ではあるが、俺の方でも調べてみる。結果ただの与太話だったら、その時は只じゃおかないぞ」
「半殺しや社会的に殺されるだけで済むのなら、僕にとってはハッピーエンドですよ」

 たった一度のやり取りで全てを受け入れてもらえるとは段だって思ってはいない。興味を示してくれただけでも上々だ。

「連絡先を交換しておこう。何かあれば連絡する」
「分かりました」

 その場で段と連絡先を交換すると、光賢はコーヒーを飲み干し立ち上がった。

「俺はこれで失礼する。釣りは不要だ」

 千円札をテーブルに置くと、光賢は足早に喫茶店を後にした。一刻も早く、玖瑠美のマンションに行ってパソコンの画像を調べなくてはいけない。

「光賢さんが深刻さが伝わって良かった。これで何か変わるかもしれない」

 光賢が去った後、段は確かな手ごたえを感じて小さくガッツポーズした。大学生の自分達では情報を収集するにも限界があるが、ジャーナリストである光賢ならばより詳細な調査が出来るはずだ。事情を自分たちだけで抱え込まず、第三者である光賢に打ち明けることが出来た心の解放感も大きい。

「佐那。ずっと震えていたけど大丈夫かい?」

 亡くなった玖瑠美の兄である光賢との対面の緊張を踏まえても、ずっと押し黙っていた佐那の怯え様は段には過剰に思えた。少なくとも普段の佐那は、そういった場でも己を律して平静を装えるタイプの女性だ。

「……永樹は何ともないの?」
「僕は何ともないけど君は?」
「さっきから耳の調子が悪くて」
「耳鳴り?」
「耳鳴りというよりも、何だか水中にいるみたいな変な感覚で……玖瑠美のことで神経質になってるのかな」

 そう言っている最中にも、佐那は耳に違和感を覚えていた。それは突然水中に放り出されたような、そして水中で何かが近づいてくるような、そんな気味の悪い感覚だった。

 ※※※

 玖瑠美の部屋に到着した光賢は、デスクの上に置きっぱなしになっていたノートパソコンを発見した。遺品整理も済んでおらず、部屋は玖瑠美が亡くなった当時のままとなっている。

 水切りに置かれたまま乾いた食器や、脱衣籠に入ったままの衣類に生活感を覚える一方で、ベランダの近くは、本や本棚の上に置かれていた小物が床に散乱し、白いラグもよれて不格好になっている。これらは全て、錯乱した玖瑠美がベランダに向かうまでの間に接触して散らばったものだ。この部屋には生と死の空気が混在している。

「パスワードはそのままか……困った妹だ」

 ノートパソコンを立ち上げ、思い当たるパスワードを入力したらあっさりと入れた。玖瑠美がこのノートパソコンを購入した際に光賢が初期設定を手伝ってあげたのだが、その時に仮で設定した簡単なパスワードをそのまま使い続けていたようだ。後でちゃんと自分の考えたパスワードに変更するように言っておいたのに。死に別れた今となってはもう、説教をすることも出来ない。

 映像研究会という名前の画像フォルダを発見し、開くと中には数枚の画像データが保存されていた。一枚ずつ確認していくと、抽象画や静物画、風景画など種類は様々だが、全てがセピア調で表現された画像データだった。これが段の言っていた、演出の一環で使用する予定だった【FUSCUS】の作品なのだろう。

「未来の私」

 フォルダに保存されていた【FUSCUS】が生成した最後の一枚。これだけは【未来の私】というタイトルで保存されていた。

 この画像は光賢にとっていわば、日常と非日常との境界線。一度足を踏み入れればもう後戻りは出来ない。

「玖瑠美……」

 妹の死の真相を解き明かさんとする光賢は迷わず画像を開いた。
 画面いっぱいに表示されたセピア調の絵は、高所から転落し、歪な卍型を象る玖瑠美を俯瞰している。不自然な腕の向きや髪が流れる方向。寸分違わずあの夜の惨劇の再現している。否、あの夜がこの絵を再現しているだ。どうして最愛の妹の死を二度も瞳に焼き付けなければいけないのかと、激しい憤りを覚える。

 画像の保存日時を調べると、10月1日の23時11分であることが分かった。玖瑠美が亡くなったのは10月16日の3時台。絵は玖瑠美が亡くなるおよそ2週間前に完成している。絵の方が先だったなら、段の言うように【FUSCUS】が玖瑠美の死を予見していたことになる。

「感謝するぞ段永樹。これで俺は前に進める」

 乾いた笑いが室内に響く。最愛の妹を喪い人生に絶望していた。妹の死が殺人だったなら、犯人を見つけ出して殺すことに目標に生きたことだろう。事故死だったなら、やはりその原因を作った人間に対して復讐を考えただろう。

 不可解ながらも事件性を感じられない玖瑠美の死に対しては、怒りの矛先が見つけられず暗鬱あんうんに閉ざされてきたが、これでようやく道が開けた。例えそれが鮮血に染まったレッドカーペットだとしても、光賢は前へと進むことが出来る。

「玖瑠美を傷つけた奴は絶対に許さない」

 AIが描いた絵によって予言された死。常識では考えられない事態だが、そんなものは光賢には関係ない。相手が人間だろうとAIだろうと怪異だろうと、妹を死に追いやった存在がいるのなら絶対に許さない。復讐への陶酔とうすいが光賢を現実へと引き留めてくれている。

「お前の正体はなんだ?」

 光賢はそのまま玖瑠美のノートパソコンを使用して、履歴から【FUSCUS】へと飛んだ。セピア調の作品に特化していることを除けば、高性能で扱いやすい画像生成AIといった印象だ。

MEDIAメディア NOXノクス?」

 画面をスクロールしていくと、開発元として【MEDIA NOX】の名前があった。【FUSCUS】の発表に対する抱負と、利用者への感謝のメッセージが載せられているが、当たり障りのない内容で主義思想のようなものは見えてこない。

 隅々まで確認してみたが、開発者の連絡先の記載や、意見や不具合を報告するような機能は無く、開発者と連絡を取る方法が存在していなかった。どうにもきな臭い。

 別のウインドウを開いて、光賢は【MEDIA NOX】の名前で検索をかけた。ラテン語で「深夜」を意味するその言葉を冠したIT関連の会社や、アプリ開発などを行っているプログラマー集団が存在しないかを調べてみるが、実在のバーの店名や、成人向けのBL漫画のタイトルがヒットしたぐらいで、【FUSCUS】の開発者に辿り着くようなヒントは得られなかった。

「既存の会社や集団じゃない。まさか個人でこれ程のAIの開発を?」

 まだ可能性の話に過ぎないが、だとすれば相当凄腕のプログラマーがこの【FUSCUS】を開発したことになる。だからといって、AIの描いた通りに人間が死ぬ事象にどう結び付くのかは、現段階では皆目見当がつかない。

「深淵を覗く時、深淵もまた、か」

 普通に利用している分には、【FUSCUS】は便利で友好的な画像生成AIに過ぎないのだろう。だが一転、【未来の私】というキーワードを打ち込んだ瞬間に悪辣な本性を露わにする。真の意味で【FUSCUS】と対峙するには、同じ土俵に上がらなくてはいけない。

「お前はどうやって人を殺すんだ?」

 物言わぬPC画面を睨み付け、光賢は慎重に一つずつキーボードを叩いていく。入力フォームに【未来】の文字までが打ち込んだが。

「ちっ、こんな時に」

 光賢の行為を遮るようにスマホに着信が入った。発信者を確認すると、一時間程前に喫茶店で連絡先を交換した段永樹であった。入力する指を止めて光賢は電話へと出た。

『光賢さん大変です』

 開口一番、段の声は電話越しでもはっきり分かる程に震えていた。

「落ち着け。何があった?」
『佐那が……佐藤根佐那が死にました』
「嘘だろ。だって、ついさっき喫茶店で」

 突然の報告は脳を揺らさんばかりの衝撃だった。顔色こそ優れなかったが、今日喫茶店で顔を合わせたばかりの佐那が亡くなったなど、あまりにも現実味が無さすぎる。

『……喫茶店で光賢さんと別れた後、俺と佐那も帰るために駅に向かったんですけど、突然佐那が錯乱状態になって……車道に飛び出したんです……引き戻そうとしたけど間に合わなくて……走って来たトラックと……』

 嗚咽交じりに段が顛末を語った。錯乱状態に陥った末の行動で死に至った点は、玖瑠美の時と類似している。

「また【FUSCUS】の描いた未来の通りなのか?」
『……はい。折れた首や……複雑骨折で露出した骨の位置まで』
「出血の色は?」
『黒かったです。墨でもぶちまけたみたいに……他の目撃者は車のオイルと誤認していた程です』
「分かった。俺の方でも状況を確認しておく」

 その事実を、光賢は冷静に受け止めていた。佐那には申し訳ないが、彼女の死で【FUSCUS】の危険性を再認識することが出来た。【FUSCUS】と繋がりを持つために【未来の自分】を試そうかと思っていたが、今は一度保留だ。玖瑠美の仇さえ取れればその後はどうなっても構わないが、その前に死んでしまっては本末転倒。敵討は相手の顛末を見届けてこそ成立する。


第三話

第一話

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