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烏賊墨色ノ悪夢 第五話

 段永樹の死亡現場に居合わせていた瞳子は警察への証言を終えた後、ショッキングな光景を目の当たりにした影響で体調不良を訴え、近くの総合病院で診察を受けていた。幸いにも少し休んだら不調は回復し、これから帰路へとつくところだ。

「烏丸瞳子さんね?」

 病院を出た直後、瞳子にスーツ姿の女性が声をかける。段が亡くなったとの一報を受けて、急遽出先から戻って来た刑事の虎落繭美だ。段の死は繭美の担当ではないが、どうしても目撃者の証言を得たくてこうして接触を図った。

「どちら様ですか?」
「私は刑事の虎落繭美。今は独自に【FUSCUS】について調べているの。私の知り合いも【FUSCUS】に描かれた絵に酷似した形で亡くなっている」

 そう言って、繭美は警察手帳を提示した。繭美が警察関係者だと分かり、瞳子は一先ず警戒を解く。

「知り合いというと?」
「名前は雨谷玖瑠美さん。親友の妹よ。段さんや佐藤根佐那さんとは、同じ大学のサークルに所属する友人だった」
「……段さんが言っていた通り、本当に【FUSCUS】でたくさんの方が亡くなっているんですね。佐那ちゃんや、その玖瑠美さんも」
「酷なことを聞くけど、ひょっとしてあなたも【FUSCUS】で自分の死相を見たの?」

 警察から事情聴取を受けた際、瞳子は「私もああなるのかな」と、段の死を自分に重ねるような発言をし、直後に体調不良を訴えている。ショックの大きさを考えればそんな発言をしてしまうのも無理はないと現場の警察官は解釈したようだが、記録として残されたその発言は、繭美を大いに引き付けた。取り越し苦労ならそれが一番だったのだが、青ざめた瞳子の表情を見るに、彼女がすでに立派な当事者であることは確定的だった。

「……はい。それが何を意味するのかも、段さんの死で理解しました。佐那ちゃんの通夜の会場で段さんと会って、知っていることを教えてもらうはずだったんですが……こんなことに」

 死の運命を背負ってしまった少女に、どんな言葉をかけたらいいのか分からなかった。あまりにも非現実的な現象ゆえに、絶対に救ってみせると強がることも出来ない。

「色々とお話を聞きたいところだけど、流石に今日はキャパオーバーだよね。後日また会えるかな?」

 事件の真相を知るため、本音では今すぐにでも情報を聞き出したかったが、傷心の少女にさらなる負担をかけるのは良心が痛む。すでに日も暮れかけているし、一度時間を置いた方が、本人も頭の中が整理出来るだろう。

「分かりました。私も何が起きているのか知りたいですから」
「連絡先を交換しておきましょう。何かあればいつでもお姉さんに連絡してね」

 少しでも場を和ませようと繭美は笑顔で提案した。関係者間のネットワークの構築は重要だ。

「今から帰りだよね。家族のお迎えは?」

 詳しい話しは後日と決めた以上、今日の出来事を掘り返すのは瞳子の負担でしかない。単なる世間話のつもりで繭美は話題を変えたのだが。

「そもそも今日のことは報告してません。うちは家庭環境が少々複雑で、海外在住の父から生活費を振り込んでもらって、今は一人暮らしをしているんです」

 思わぬ地雷を踏んでしまった気がして繭美は言葉に詰まった。海外在住の父親が直接迎えに来れないのは仕方がないが、瞳子は人の死を目撃し、幸いにも大事に至らなかったとはいえ、不調を感じて病院で診察まで受けている。それは当然、家族に報告すべき一大事のはずだ。

 人様の家庭の事情を詮索するつもりはないが、生活費だけを送ってそこから先は不干渉な、円満とは言い難い親子関係な印象を受ける。辛い思いをした直後に家族を頼れないというのは辛い。

「車だし送っていこうか?」
「お気持ちは嬉しいですが、一人の方が落ち着きそうなのでこのまま電車で帰ります」
「そっか。気を付けてね」

 気を利かせたつもりだったが、初対面の刑事と車内に二人きりは確かに息が詰まるだろう。本人が一人を望むなら、これ以上は何も言えない。

「それでは私はこれで失礼します」
「うん。後で顔合わせの日程を連絡するね」

 繭美は駅の方向に歩いていく瞳子の背中が見えなくなるまで、手を振って見送った。

「死をばら撒いて何がしたいたのよ【FUSCUS】」

 二輪から段たちに繋がった【FUSCUS】はついに、第三者であったはずの瞳子にまで波及した。もう手段を選んでいる場合ではないのかもしれない。失われた命は戻らないが、せめてまだ生きている瞳子の命ぐらいは救ってあげたい。そうでなければ繭美は、警察官としての己に失望してしまう。

 ※※※

「約束の時間はとっくに過ぎてるのに。何やってるんだよ」

 時刻は午後6時15分を過ぎた頃。名古屋から東京に到着した小栗峰行は、駅近くのカフェで待ち合わせ相手である段永樹を待っていたのだが、約束の午後6時はとっくに過ぎているのに、段は一向に姿を現さない。

 段の方から指定してきた待ち合わせ場所だし、まさか道に迷っているなんてことはあるまい。連絡も無しに待たされ続けるのは不愉快だし、以前聞いていた番号に電話をかけてみることにした。

 電源は切れていないようで呼び出し音が鳴っているが、十コールを越えても段が電話に出る気配はない。これ以上は時間の無駄だと電話を切った。

「折り返すぐらいなら直ぐに出ろよ」

 直ぐに着信があり、段からの折り返しかと思ったが、発信者名は「鈍山警察署」となっていた。今現在はトラブルを抱えていないし、そもそも最寄りの警察署ではない。どうして知らない警察署から連絡がと疑問に思いながらも、流石に無視するわけにはいかなかった。

『直前に、段永樹さんの携帯電話におかけになりましたか? 私は鈍山警察署の虎落と申します』
「どうして警察の方が? 段くんに何かあったんですか?」
『誠に残念ながら、段永樹さんはお亡くなりになられました。今から一時間半ほど前のことです。段さんの携帯は現在、被害者の所持品として警察の方で保管しております』
「……おいおいまじかよ」

 劇的な展開に、思わず素の口調が漏れていた。友人の二輪和仁に続き、今度は彼の動画制作の手伝いをしていた段までもが亡くなった。段も【FUSCUS】で死の瞬間を見ていたことは把握していたし、二輪が後悔していたように、さらなる犠牲者が出てしまった形だ。

『お名前を伺っても?」
「申し遅れました。小栗峰行と申します」
『あなたが小栗峰行さんでしたか。段さんの行動や予定を把握するためにスマホを確認させて頂きましたが、今日あなたと会う約束をしていたようですね』

「そうですが。まさか僕が何か疑われているわけじゃないでしょうね? 断わっておきますが、彼とは今日初めて会う予定で、名古屋から出てきたばかりなんですよ」

『誤解させてしまったのなら謝ります。何もあなたを疑っているわけではありません。段さんの死に事件性はありませんが、その死には【FUSCUS】や【未来の私】の噂が関わっている気がしてならない。あなたはどこまで知っているのだろうと思いまして』

 過去の履歴から、段が峰行とのやり取りで【FUSCUS】や【未来の私】の話題に触れていることは確認が取れている。烏丸瞳子のような例もあるし、峰行もまた事件に巻き込まれている可能性を否定出来ない。

「驚いたな。最近の警察は呪いや都市伝説も捜査するんですか?」

『残念ながら組織としては動いていません。これは私が外部の知人と一緒に独自に行っている捜査です。【FUSCUS】と一連の不審死の因果関係を証明出来ればあるいは上を動かすことが出来るかもしれませんが、如何せん現状では情報が少なすぎる』

「それは残念。怪異を専門とする特殊な部署でもあれば面白かったのに」

 オカルト系の動画投稿者として、思わずロマンを口にしてしまった。流石に不謹慎だったと自重し、峰行は直ぐに取り繕った。

「失礼。今のは失言でした。僕がどこまで知っているのかというお話しでしたね。友人だった二輪和仁が多くの情報を残してくれたので、ある程度は状況は把握しているつもりです」

『念のためお聞きしますが、【未来の私】の噂を試したりは?』

「サイトぐらいは閲覧しましたが、噂は試していませんよ。二輪からもそれだけは止めておけと念を押されていましたから」

『それは幸いでした。これまでの経緯を見るに、あの噂はかなり危険ですから』

 現職の刑事がそこまで言う程だ。好奇心で噂を試さなくて良かったと峰行は安堵した。同時に真相を知りたいという欲求も強まる。

「一つ提案があるのですが」
『何でしょうか』
「あなた方の調査に僕も加えてくれませんか? ネット界隈やオカルト関係への人脈は広いと自負していますし、きっとお役に立てると思いますよ」
『小栗さんは動画投稿者でしたね』
「はい。チャンネル登録者数50万人超えですよ」

 電話越しの繭美は思案して黙り込んだ。吹聴のリスクを考えれば、発信力のある人間を引き込むべきか悩むが、詳細を把握しきれていない二輪周りの情報や、警察官の繭美やITジャーナリストの光賢にはない峰行のネットワークは魅力的だ。目を光らせるという意味でも、単独で動き回られるよりも、一緒に行動した方が得策かもしれない。一緒に調査を進める光賢も、事件解決のためなら手段は選ばないはずだ。

『では情報交換も兼ねて、一度顔合わせをしましょう。しばらくはこちらにご滞在ですか?』
「とりあえず三泊分の宿を取っていますが、必要な幾らでも期間を延長しますよ。二輪の弔い合戦のために来ていますから」
『分かりました。可能な限り早く場を設けたいと思います。改めてご連絡差し上げますね』

 詳細は直接顔を合わせてからということで、やり取りは一度締めくくられた。

「面白くなってきたじゃないか」

 これは何よりも優先して追いかけるべき案件だと峰行は確信した。今起きている不可思議な出来事は全て本物だ。友人の二輪の死に対して不謹慎かもしれないが、オカルトマニアの性として、この状況に興奮を覚えずにはいられなかった。


第六話

第一話


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