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烏賊墨色ノ悪夢 第七話

 11月3日午後。

「雨谷玖瑠美の兄の、雨谷光賢だ。普段はIT系のジャーナリストをしている」

「烏丸瞳子。高校二年生です」

「僕は小栗峰行。普段は【クリオネさん】名義で動画投稿をしてます。本名は公表してないので、オフレコでお願いしますよ」

「鈍山警察署刑事課所属の虎落繭美よ。あくまでも現状は個人的な捜査の域だけどね」

 段永樹の死の二日後。都合を合わせた四人は、光賢が借りた都内の会議用のレンタルルームへと集合していた。他三人と直に連絡を取った繭美以外はこれが初対面なので、先ずは簡単な自己紹介を行った。やり取りを円滑に進めるために、現状の説明は繭美経由で瞳子や峰行にも行き届いている。

「小栗さんはネット怪談の類にも詳しいはずだ。そもそも【未来の私】の噂はいつから始まったものなんだ?」

「そもそもあの話は、噂と呼べるほどの規模ではないと僕は考えています。僕の持つオカルト界隈の情報網は迅速かつ正確です。真偽の程やネタにするか否かは別として、大小問わず日々無数の情報が網に引っ掛かる。にも関わらず僕がこの話題を知ったのは、和仁の死と彼のメールがきっかけです。
 
 ローカルな都市伝説ならともかく、画像生成AIなんて真新しいかつ身近になりつつある媒体発祥の噂なんて、あっという間にSNSやネット掲示板を駈け廻りそうなものだが、実際にはそうなっていない。ここから推察するに、【未来の私】に関する情報は、噂が巡って和仁に辿り着いたのではなく、最初から和仁にダイレクトに届いたのではないですかね。それを裏付けるような情報もありますよ」

 峰行は持参したノートパソコンに生前の二輪が残した、【FUSCUS】と【未来の私】の情報を提出した【Minuit】と【Mezzanotte】というアカウントに関する情報を表示した。

「それぞれフランス語とイタリア語で深夜を表す言葉です。これ以前にはやはり、ネット上に【未来の私】に関する情報は見当たりませんし、僕には両者が和仁が【未来の私】を実行するよう、導線を引いたようにしか思えません。あるいは同一人物かも」

「雨谷くんこれって」
「ああ、これで三人目ってわけだ」
「三人目? どういう意味ですか」
「【FUSCUS】の開発者の名前は見たか?」
「いえ、そこまで気にしていませんでした」
「【MEDIA NOX】ラテン語で深夜を表す言葉だ。偶然の一致とは考えにくい。三者全てが同一人物の可能性も十分考えられるな」

 早速、情報交換の効果が表れ始めた。深夜を意味する三つの名前が同一人物である可能性には、各々が持つ情報だけでは行き着かなかったかもしれない。

「開発者自らが、噂という体で【未来の私】の情報を標的に吹き込んでるのだとすれば、二輪以外の人達もそうだったのかもしれないわね。趣味でイラストを描いていた真柴、美大生の生熊、専門学校でプログラミンを学んでいた吉比。誰もが画像生成AIに興味を抱く可能性を秘めている。彼らにも深夜の名を冠するアカウントから【FUSCUS】や【未来の私】への何らかの導線があったのかもしれない」

「ひょっとしたら【未来の私】を試すまでは至らなかっただけで、他にも導線を敷かれた人間はいるのかもしれないな」

 光賢が口にした可能性に誰もが顔を顰めた。
 実際に【未来の私】の噂を試そうとする人間は少数派に思える。その少数が表面化しているのが現在の事件なのかもしれない。標的にある程度の規則性が見えるとはいえ、これは事実上、無差別テロと変わらない。

「被害に遭わなかったのは幸いだけど、どうして小栗さんのところには開発者からの接触が無かったのかしら?」

 繭美が問い掛ける。オカルト系の話題を専門に扱う二輪に接触があったのなら、小栗にも同じような動きがあっても不思議ではない。

「自分で言うのもなんですけど、僕は開発者から見たら有名すぎたんじゃないでしょうか。応援に批判、善意の情報提供から支離滅裂な怪文書に至るまで、僕の元には毎日たくさんの情報が流れてくる。その中に埋もれてしまうと思ったのかも」

 動画投稿界隈の事情はよく分からないが、繭美と光賢には説得力のある意見に思えた。動画投稿者の二輪には一定の知名度があったが、それ以外の被害者はもっと個人的な活動を行っていた。首謀者は情報の大規模な拡散は望まず、ミニマムな範囲に留めようとしたのかもしれない。

「開発者については何か掴めてないんですか? 肩書的にそっち方面は、雨谷さんや虎落さんの得意分野でしょう」

 今度は小栗の方から情報を求めてきた。オカルトや動画投稿界隈の話題には明るいが、ITの分野はせいぜいパソコンや周辺機器、ガジェットの類ぐらいしか知識は持っていない。

「まだ可能性の段階だが、俺は八起深夜という日本人プログラマーの関与を疑っている。彼女の技術力と資金力ならば【FUSCUS】の開発は決して不可能ではないし、これまでの経緯を見ても、深夜という名はあまりにも意味深だ」

「八起深夜ね。ちなみにどんな人物ですか?」
「以前、雑誌の取材を受けた時の写真だ」

 光賢は自身のスマホに表示した写真を峰行と瞳子に提示した。峰行は特に心当たりが無かったようで淡泊な反応だったが、意外にも食い入るように写真を見つめたのは、これまではやり取りを静観していた瞳子であった。

「烏丸さん。彼女に見覚えがあるのか?」
「顔には見覚えはないのですが、指輪に既視感があって。すみません、どこで見たのか思い出せません」

 結局答えは出せず、瞳子は首を横に振った。確かに特徴的な指輪だが、年頃の少女だし、雑誌か何かで似たようなデザインの指輪でも見たのだろうと、光賢も追及はしなかった。

「今度は烏丸さんに聞きたいんだが、転落死した段について何か気づいたことはないか?」
「ちょっと雨谷くん。そんなストレートに聞かなくても」

 遠慮を知らない光賢を、段の死を目撃してショックを受けたであろう瞳子をおもんばかって制した。手段を選んでいる場合ではないが、だからといって配慮を怠っていいわけではない。

「大丈夫です虎落さん。私、何でも話しますから」

 予想に反して瞳子は非常に落ち着いていた。瞳子も【FUSCUS】によって危険に晒されている立場にある。解決に協力する覚悟を決めたということかもしれないが、十七歳の少女がたった二日でここまで割り切れるものなのか、繭美には疑問だった。

「最初の異変は、ふらつきでした。段さんが突然バランスを崩して膝をついたんです。直後には確か、視界が黒いとか言って、しきりに目の辺りを擦ったりしていました。音を気にする様子もあったかも。そこからは何もない場所を見て急に怯えだして、錯乱して斎場を飛び出していきました」

「視界不良に錯乱。玖瑠美の時とそっくりだ」
「生前の段さんから、佐藤根佐那さんが死の前に耳鳴りを感じていたという証言もあったわね」

 死の直前に視覚や聴覚に異常が現れた末に何かに怯えて錯乱する。やはりこれが【FUSCUS】に予言された死の、一定のパターンのようだ。

「追いついたのは段さんが転落した橋の上です。その時には段さんは落ち着きを取り戻していて、少しだけ話せました」
「段は何と言ったんだ?」
「恐ろしい怪物から逃げようとした言っていました。これまでに被害に遭った方々も同じ物を見たに違いないとも」
「その怪物とは?」
「私も気になって尋ねたんですが、直後にまた段さんの様子がおかしくなって、答えてもらうことは出来ませんでした」

 怪物という、いかにもオカルト染みたワードの登場に、峰行は夢中で瞳子の証言を手帳に記録していく。

 対する光賢と繭美は思案顔でお互いの顔を見合った。瞳子の証言は疑っていないし、他の目撃者も段が意味不明な発言をしていた旨を証言している。段が怪物と口にしたのは間違いないだろう。流石に本物の怪物が段を襲ったとまで飛躍することは出来ないが、例えば段を含む犠牲者達が、怪物の幻覚のようなものを見た結果、それから逃れる過程で事故に遭ったと考えれば、一つの筋は通る。

「話しの流れを切ってすまない。続けてくれ」

 ここからは段の死の瞬間と向き合うこととなる。それまでは冷静だった瞳子も記憶を手繰る表情は重苦しい。流石の光賢もこの時ばかりは急かさず、瞳子のペースで言葉が出てくるのを待った。

「……様子のおかしくなった段さんは、離せと叫びながら、何かを振り解くように必死にもがいていました。だけど体はどんとん手すりの方に後退っていって。私の目には段さんが一人で暴れているようにしか見えなかったけど、言っていることと行動があまりにもチグハグで。もう何が何だか分かりませんでした」

「そのまま段は手すりを乗り越えて?」

「……最後の落ち方はとても不自然でした。手すりに腕をかけてないのに、段さんの体が不意に橋から浮き上がって、そのまま背中から手すりを乗り越えていったように見えました」

 段の最後の姿を思い出してしまったのだろう。瞳子の言葉は次第に震えを増していった。繭美は最後まで言い終えた瞳子の肩を優しく抱き、「よく頑張ったね」と労った。

「虎落。事実だとすれば不可解な落ち方じゃないか?」
「確かにあの橋の手すりは高い。それを勢いもつけずに背中から乗り越えるなんて普通じゃ考えられない」

 あの橋は用水路にかかっているため、景観は気にせず、安全のために高い手すりが設置されていた。後ろに体重をかけたところで、そう簡単に転落には至らないはずだ。しかも瞳子の証言によると、体が浮き上がって足元が疎かになっている。まるで謎の力でも作用したかのようだ。

烏賊いか……」
「今何て?」

 消え入るような瞳子の呟きを光賢が拾った。

「手すりを乗り越えた瞬間に段さんが私に言ったんです。烏賊に気を付けろって」

 段の転落が衝撃的過ぎて今まで忘れていたが、最期の瞬間確かに彼はそう言った。恐怖に怯えながらも、あの忠告には確かな理性が宿っていた。

「烏賊というと、あの海洋生物の烏賊か? だとすればそれが何を意味するのか」
「段さんの最期の言葉だし、重要な意味があるとは思うけども」
「一ついいですか?」

 光賢と繭美が頭を捻る中、瞳子が控え目に挙手をした。

「段さんの言葉が意味するところは私にも分かりませんが、【FUSCUSフスクス】と烏賊には大きな接点がありますよ」
「どういうこと?」
「フスクスはラテン語でセピアという意味で、セピアはそもそもイカ墨を意味する言葉なんです。セピア色を生み出す顔料がんりょうもイカ墨から取れるんですよ」

 思わぬ情報に光賢と繭美は言葉を失う。美術に詳しい人間がいなかったので、瞳子からの指摘は目から鱗だった。セピア調の絵画作品を仕上げる【FUSCUS】と、セピアを生み出す烏賊とは、切っても切り離せない関係にある。

「セピアとイカ墨の話なんてよく知っていたわね」
「元々絵を描くことが好きなんです。敬愛する画家の先生がセピア調の表現が得意で、その影響で私も技法について色々と勉強していて」

 瞳子と光賢は関心して頷く。いつの間にか瞳子がこの場の主役となっていた。

「その画家というのは、海棠美墨かい?」
「そうです! 小栗さんもご存じなんですか? 海棠先生の絵はいつ見ても素晴らしいですよね!」

 同行の士を見つけたかのように瞳子は前のめりになったが、熱量についていけず峰行は苦笑を浮かべた。

「ぼ、僕自身が詳しいわけではないけど、和仁が彼女のファンでね。自宅に画集が置いてあったし、SNSでも時々彼女の話題を呟いていたはずだ。そういえば【FUSCUS】の画風は、海棠美墨とよく似ているよね」

「小栗さんもそう思いますか。私も【FUSCUS】にはずっと海棠先生の面影を感じていて」

「待ってくれ。【FUSCUS】の画風にはモデルがいるのか?」

 思わず光賢が話題に割って入る。美術方面の知識は薄く、【FUSCUS】についてもノスタルジックなセピア調を売りにしているぐらいにしか思っていなかったが、モデルが存在するなら意味合いは一気に変わってくる。

「あくまでも私の主観ですが、単にセピア調というだけでなくて、俯瞰ふかんを用いた構図とか、光と影の使い方とか、もっというと描き癖とか、その一つ一つがまるで本人のようで。【FUSCUS】には美墨先生らしさが詰まっているんです」

 この短時間の熱弁を見ただけでも、瞳子がどれだけ海棠美墨に傾倒しているかは誰の目にも明らかだった。主観と前置きしていたが、そんな彼女が描き癖といったマニアックな部分までもひっくるめて、【FUSCUS】と海棠美墨の共通点を指摘するのなら、その意見は決して馬鹿には出来ない。にわかである峰行が共通点を見出している点も、意見の補強には十分だ。

「八起深夜にだけ意識が向いていたが、海棠という画家についても調べてみた方がいいかもな」

「そうね。偶然の一致では片づけられない。瞳子さん。海棠美墨について詳しく教えてもらえる? 現在の活動とか、お仕事の連絡先とか」

「……美墨先生にはもう会えませんよ。先生は2年前にご病気で亡くなりましたから」

 睨むように目を細めた瞳子の言葉を受け、一気に沈黙が流れた。新たな手掛かりを見つけられたかと思ったが、故人に事情を聞くことは出来ないし、2年前に亡くなった人物が、現在起きている異常に関与しているとも考えづらい。

「それでも、海棠美墨について知っておくことには意味がある気がする。彼女の顔写真とかは残っているかな?」

「スマホのフォルダにたくさん保存してありますよ。少々お待ちください」

 瞳子の発言に隣の席の峰行は目を見開いていた。尊敬する画家とはいえ、流石に本人の画像をスマホに、それも大量に保存しておくものかと、内心引いていた。

「……そっか。ここで見たんだ」

 スマホを操作する瞳子の手が止まり、胸のつかえがとれたように微笑を浮かべた。

「どうしたの。瞳子さん」
「これを見てください。どうりでさっきの八起深夜さんの画像に見覚えがあると思った」

 瞳子のスマホに表示された、過去に海棠美墨が雑誌の取材を受けた時の写真を見てその場にいる誰もが驚愕した。黒髪にトレードマークの白いインナーカラーを入れた美墨の、黒いライダースジャケットの袖から伸びる左手、薬指には、月桂樹のデザインを落とし込んだ特徴的な指輪がはめられていた。

「八起深夜と同じ指輪だと」

 光賢はこの事実に興奮を隠しきれなかった。不敵に口角が釣りあがったのを横目に確認し、繭美は複雑な表情を浮かべている。

 【FUSCUS】の開発者と目される八起深夜。【FUSCUS】の画風のモデルと考えられる海棠美墨。どちらも関与は可能性に過ぎなかったが、指輪のデザインが両者を繋ぐ線となったことで、一気に全体像の見え方が変わった。二人が特別な関係にあったのなら、やはり海棠美墨も【FUSCUS】の誕生に大きく関与していることになる。

「雨谷くん。八起深夜の消息が途絶えたのは確か、3年前だったわよね」

「ああ、そして海棠美墨が病気で亡くなったのが2年前。時期を考えると、八起深夜は海棠美墨の発病をきっかけに表舞台から姿を消し、【FUSCUS】の開発に着手したのかもしれない。その画風が亡くなった海棠美墨と酷似しているのも意味深だ」

 連鎖的な様々な情報が繋がっていく。【FUSCUS】の死のメカニズムは未だ謎に包まれているが、【FUSCUS】が生まれた経緯は見えてきた気がする。

「八起深夜に迫る鍵は海棠美墨だ。彼女を掘り下げて行けば、八起深夜の尻尾が掴めるかもしれない」
「僕の方でもそれとなく情報収集をしてみますよ。人脈を駆使すればどちらかの関係者に行き着くかもしれない」
「私も、自分に出来る範囲で美墨先生について調べてみます」

 差し込んだ光明に光賢、峰行、瞳子の三人は気合十分といった様子だったが、繭美だけは不安気に下唇を食んでいた。捜査が進展したことは喜ばしいが、一方で三者三様にその在り方に危うさを感じていたからだ。

 光賢にとってそれは復讐心の後押しであり、峰行にとってのそれは好奇心の種、瞳子にとってのそれは危うい陶酔の影が見え隠れする。浮足立った三人の姿は、正義感で動く繭美にとってはどこか不気味に感じられた。何かよくないことが起こりそうな気がする。


第八話

第一話


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