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烏賊墨色ノ悪夢 第四話

 11月1日午前。

「最後までご視聴いただきありがとうございました。また次の動画でお会いしましょう! バイバイ!」

 編集した動画を通しで確認すると、【クリオネさん】は確認作業を終えて大きく伸びをした。【クリオネさん】こと小栗おぐり峰行みねゆきは、チャンネル登録者数五十万人を超える人気動画投稿者だ。

 得意ジャンルはオカルトであり、最新の怪談や都市伝説などを紹介し、そこに心理学や民俗学の知識から、独自の分析を加えた解説動画が人気を博している。三年前、大学生二年生の頃から動画投稿活動を始め、一昨年、有名な都市伝説を自分主演の再現VTRとして投稿した動画がSNSで拡散されると、練られたストーリーと低予算ながらも巧みに恐怖心を煽る演出。峰行の端正な顔立ちなどが話題を呼び大バズリ。動画は500万再生を記録し、【クリオネさん】は一躍人気投稿者の仲間入りを果たした。

 勢いは止まらず、以降に投稿した動画も高い再生数を連発し、まだ無名だった頃の過去動画にも再評価の波が来ている。今年発売された最新の都市伝説について独自に解説した書籍も十五万部越えのヒットを記録し、動画投稿活動は順風満帆だった。

 ここ数日は予定を前倒し、複数の動画を一気に撮りためていた。今日からは在住する名古屋から東京へと移動し、しばらくは向こうに滞在する予定だ。後で作業に追われないよう、ある程度のストックを用意しておく必要があった。

「空元気にしては上出来だったろう。和仁」

 デスクの写真立ての中で、今は亡き友人の二輪和仁が快活な笑顔を浮かべている。今でも彼が亡くなった実感は湧かない。

 峰行と二輪は中学時代の同級生で、同行の士としてオカルト談義で盛り上がった仲だった。親の転勤で峰行が東京から名古屋に引っ越すことになり、そこで一度は疎遠となったのだが、運命の悪戯か十年近くが経って二人は、お互いにオカルトをテーマに動画投稿の世界で活動していることを知った。

 そこから連絡を取り合って数年ぶりの再会を果たし、友人としての交流を深めていった。二輪の不可解な死は、お互いに始めてのコラボ動画を撮ろうと約束をした矢先の悲劇で、再会から最悪の形での別れまで、あっという間の出来事であった。

『もしも俺の身に何かが起きたら、峰行に後のことを託したい』

 仕事関係のメールに埋もれていた二輪からのメールに気付いたのは、彼が亡くなった二日後のことだった。送信日時は二輪が亡くなった日の夕方で、彼はこのメールを書いた数時間後に列車事故に遭ったようだ。

 電話やメッセージアプリではなく、パソコンのメールで連絡したのは、遺書のつもりで予め文章と添付ファイルを用意していたからだろう。最悪の事態を想定し、それが現実のものとなってしまった。

「人を死に至らしめる画像生成AIか」

 二輪は亡くなる直前まで、画像生成AI【FUSCUS】について調べていた。元々は動画のアイキャッチに【FUSCUS】を用いるなど、平和的に付き合っていたようだが、怪談や都市伝説系の動画投稿者としての本能か、【FUSCUS】の【未来の私】という噂に興味を持たずにはいられなかったようだ。

 とは言っても、【未来の私】の噂は実際に試すまでは、むしろ学生時代に流行るようなおまじないに似た、平和的な内容だ。二輪自身、ちょっとした面白話のつもりで知人に【FUSCUS】とセットで紹介したようだが、後にそのことを激しく後悔した旨を、峰行宛てのメールに綴っていた。悪戯に吹聴しなければ、被害は自分一人に留まっていたのかもしれないと。

 AIによって自身の死の瞬間が描かれた当初は不気味に思いながらも、最高のネタになるという高揚感の方が勝っていたようだ。しかし、徐々に身の回りで不可解な出来事が起きるようになり、好奇心は恐怖へと塗り替わっていった。結局、動画の製作も頓挫とんざしている。

 二輪の記述によると死の前から、突然視界が黒く塗り潰されるような感覚を覚えたり、前触れなく水音が聞こえたり、何かの存在に怯えるような感覚があったようだ。本人にしか分からぬ感覚ではあるが、自らの死を予感する程の恐怖心であったことは間違いない。

 そもそも二輪が【FUSCUS】を知ったのは、彼が日常的にSNSで募集していた視聴者からのお便りがきっかけだったようだ。【Minuitミニュイ】というアカウント名のフォロワーから【FUSCUS】をお勧めされて二輪は実際に利用。次の募集の機会に今度は【Mezzanotteメッザノッテ】というフォロワーから【未来の私】という都市伝説についての情報提供が届き、興味を示した二輪が災厄に巻き込まれたという経緯である。

 二輪自身、真相を突き止めるためにお便りを送ってきたアカウントに連絡を試みたようだが、その時点ですでに二つのアカウントは削除されており、接触することは出来なかった。

 二輪の嗜好を理解し、【FUSCUS】と【未来の私】を試すように誘導するような内容。アカウント名がそれぞれフランス語とイタリア語で真夜中を意味する単語であることから、恐らくこれは同一人物による工作であろう。終ぞ正体を掴めなかった黒幕の存在に、二輪は「はめられた」と怒りをつづっている。

「このサイトに一体どんな悪魔が潜んでいるっていうんだ?」

 峰行は自分のパソコンで【FUSCUS】を立ち上げた。開発者にも事情を伺いたいものだが、連絡先の記載や不具合を報告する機能は見受けられない。

「和仁。君は何を見たんだ?」

 今この場で【未来の私】と撃ちこめば、二輪が覗いた深淵の一端に触れることが出来るのだろうか? 危険な好奇心がキーボードのMに指を伸ばそうとする。

「止めておこう」

 何の策も無しに噂を試せば二輪の二の舞だ。そうなれば真相究明は叶わない。まだ当事者でない分、峰行の判断は冷静だった。

「名詞代わりにはなるか」

 あるアイデアを思いつき、【未来の私】の代わりに【クリオネさん】、【クリエイター】、【人間】、【男性】等と、自身に関するキーワードを入力していく。ものの数秒で画像が生成され、セピア調で表現されたリアルな小栗峰行の人物画が姿を現す。顔出しで動画投稿を行っているので、参考となる画像はネット上に幾らでも存在している。

「似ているしおもむき深い。これからはこれをアイコンにしようか」

 満更でもなさそうに笑うと、峰行は【FUSCUS】を閉じた。

 入力されたキーワードや生成された画像データはAIにも蓄積されているはずだ。ひょっとしたら動画投稿者クリオネさんの存在が製作者の目にも止まるかもしれない。

『小栗だ。今から家を発つよ。到着したらまた連絡する』

 出発の準備を終えると、小栗は夕方に東京で合う約束をしている段永樹にメッセージを送った。二輪の動画編集を手伝っていた段と数日前に連絡を取り合い、東京に出た際に詳しい事情を聴く約束を取り付けている。今日、段は友人の通夜に参列すると言っていたので、顔合わせはその後からになりそうだ。

 ※※※

 この日、佐藤根佐那の通夜がしめやかに執り行われた。
 未来ある若者に突然訪れた非業の死。生前の快活な彼女を知る誰もが沈痛な面持ちで故人を偲んだ。彼女を襲った悲劇は、警察側の見解通り不慮の事故という扱いになっている。そのため喪失感にショックを受けながらも、混乱は最小限だった。

 佐那の死に不可解な点があると知っている参列者は、親族と、雪菜から詳細を聞かされている瞳子、そして当日、佐那と一緒にいた友人代表の段永樹だけである。

「佐那の妹さんだよね。この度はご愁傷さまでした」

 通夜が終わった後。エントランスの長椅子で、やつれた様子で親友の瞳子の肩に寄りかかっていた雪菜に、段が声をかけた。

「確か段さんでしたよね。お名前は姉から時々」
「佐那のことには責任を感じている。僕が側にいながら」
「……姉が突然車道に飛び出したと聞いています。段さんのせいじゃないですよ」
「……それについては、その」
「何かあるんですか?」

 問い掛けたのは、身内である雪菜よりも冷静でいられた瞳子だった。雪菜の肩を抱きながら、どこか煮え切らない態度の段を真っ直ぐ見据えている。

 段は目を閉じると、一呼吸置いて覚悟を決めた。今この場で確認しておかないと、後々後悔することになりそうだ。

「つかぬことを聞くけど、妹さんは【FUSCUS】という画像生成AIを利用したことはあるかな?」

 今もっとも恐れていたのは、【FUSCUS】による被害が拡大していることだった。世代的に両親に画像生成AIを勧めることはそうそう無いだろうが、流行に敏感な年齢の近い妹にそれを勧めている可能性は排除しきれない。

「ありますけど、それが何か?」
「【未来の私】と打ち込んだことは?」

 雪菜と瞳子はお互いの顔を見合わせた。話しが見えずにキョトンとしている雪菜とは対照的に、不穏な空気を感じていた瞳子は表情が強張っている。

「私はないですけどこの子、友達の瞳子が前に」
「何てこった……」

 安堵しかけたのも束の間、雪菜の友人が間接的に巻き込まれてしまっていた。せめて悲劇が自分たちだけに留まっていたらという、淡い期待は無残に打ち砕かれた。

「瞳子さんだったね。君は未来の私の絵を見たのかい?」
「段さん。さっきから何を言っているんですか? 私も瞳子と一緒にいたけど、別に何も出てこな――」
「忘れた頃に絵が完成して、いつの間にか保存されていました。あの絵は何なんですか?」

 言葉をさえぎる瞳子の告白に雪菜は驚嘆きっきょうし、段は沈痛な面持ちで目を伏せた。瞳子はすでに死の宣告を受けている。まだ状況を知らずとも、死の瞬間を描いたあの絵が良くないものであることは瞳子も直感的に受け入れていたのだろう。その表情は深刻そのものだ。もう彼女は立派な当事者だった。

「これから時間あるかな? 僕の知っていることを全て話すよ」
「分かりました」

 気まずそうな表情から、この場では話しにくいのだろうと瞳子は察した。ここは通夜の会場だし、もしAIが生成した絵の死相の通りに人間が死んでいるかもしれない等と、遺族である雪菜の前では口にしづらい。

「それじゃあこの後――」

 近くに喫茶店かファミレスでもないか調べようと、段はスマホを取り出したが、突然眩暈を起こしたかのようにふらつき、床に片膝をついた。スマホもその場に落としてしまう。

「何だこれは……視界が黒い……」

 そう言って、段は目頭を抑えたり、まぶたを擦ったりを繰り返す。

「あの、大丈夫ですか?」
「……何だこの音は」

 突然様子がおかしくなった段を心配し、瞳子が段の肩に触れて拾ったスマホを手渡そうとしたが。

「うわああああああああああ!」

 顔を上げた段が絶叫を上げ、瞳子の方が驚いて飛び退いてしまう。

「来るな! 来るな! 来るな!」

 段は何かに激しく怯えて後退った。彼の視線は瞳子や雪菜ではなく、何もない真っ白な壁の方を向いている。一体何が彼をそこまで恐怖させるのだろうか?

 直前までの落ち着いた印象から一転した奇行に、姉の死に傷心している雪菜はすっかり委縮してしまっている。大声で叫んだことで居合わせていた人々も異変を察し、何事かとエントラスへと集まり始めた。

「ああそうか。君はこれを見ていたのか佐那」
「待って! 突然どうしたんですか」

 佐那への共感とも取れる言葉を残すと、段は逃げるように斎場のエントランスから走り去っていく。これから大事な話しをしようとしていた瞳子の呼び止めにも、応えてはくれなかった。

「追いかけてくる。雪菜はここにいて」
「ちょっと、瞳子」

 段の背中を追いかけて瞳子も行ってしまった。後に残された雪菜は訳も分からず困惑するばかりであった。

 ※※※

「……くそっ! 何なんだよあいつは」

 喪服姿で疾走する段の姿は大いに通行人の目を引いたが、そんなものを気にしている余裕なんて無かった。後ろを振り返る勇気も持てない。それだけ斎場で目にしたものは恐ろしかった。

 瞳子と話している最中に突然目の前が真っ黒になった。意識ははっきりとしていたし、ブラックアウトとは感覚は異なる。もっと物理的に、視界を墨か何かで黒く塗り潰されたような感覚だった。その時はまだ、呼び掛ける瞳子の声が聞こえていて、近くに誰かがいるという安心を感じられていたが、追い打ちをかけるように続けて音が聞こえづらくなった。完全な無音とは異なるが、それは水中で耳が詰まっている時の不快な感覚に近い。あの瞬間、自身のあらゆる感覚を信用出来なくなってしまった。

 幸いにも数秒で視覚と聴覚は回復したが、顔を上げた瞬間、今度は視界の端にとんでもないものを捉えてしまった。白い壁に裂け目のようなものが見えて、そこから巨大な目がこちらを覗き込んでいたのだ。裂け目の奥では目だけではなく、多数の触手のようなものがうごめいており、その一本が今にも壁から這い出そうとしていた。そこから先は恐怖に突き動かされて、無我夢中で斎場から逃げ出していた。

 あの異形の怪物こそが、【FUSCUS】の描いた死の瞬間を現実にもたらす死神なのだろうか? だとすれば死の直前の佐那や玖瑠美の不可解な行動にも納得がいく。佐那は耳の調子がおかしいと言っていたし、光賢の証言によると玖瑠美は、黒くて見えないというような趣旨の発言を残している。これらは全て実際に段の身に起きた異変と合致する。彼女たちも同じ不調を感じていたのだろう。そしてあの異形の怪物から逃れるために、傍目には唐突な奇行と映る動きをした。今なら全てが納得できる。

「くそっ! こんな時に」

 今自分の身に起きていることを誰かに伝えないといけない。光賢や今日会う約束をしていた動画投稿者の小栗峰行の名前が浮かんだが、視界が黒くなった時にスマホを落としてそれっきりだ。誰かに連絡を取る手段が手元にない。

「やっと追いついた!」

 息を切らした少女の声でふと我に返り、段は足を止めた。恐る恐る振り返ってみると、制服姿の瞳子が肩で息をしながら、近くの手すりに手を置いていた。恐ろしい異形の死神の姿はどこにもない。逃げ切れたのだと段は安堵した。無我夢中で走り続けている内に、用水路に掛かる橋の上にやってきていたらしい。

「どうして急に逃げたりしたんですか?」
「……恐ろしいものを見た。あれは怪物だ」
「怪物?」

「君も【未来の私】と入力して自分の死の瞬間を見たんだったね。佐那を始め、僕が把握しているだけですでに三人の人間が描かれた絵の通りに亡くなっている。同じ状況に瀕してよく分かったよ。みんなあの怪物を見たんだ」

「同じ状況って、あなたも【FUSCUS】で死の瞬間を?」
「ああ。僕は水の流れる場所に倒れて……」

 言いかけて段はゾッとした。橋の下を流れる浅い用水路は、【FUSCUS】が描いた絵の背景にそっくりではないか? 恐る恐る眼下の用水路を覗き込むと、底にばっくりと空いた裂け目から覗いた、大きな不気味な目と視線がかち合う。次の瞬間、裂け目から巨大な触手が伸びてきて、段の体へと巻き付いた。

「うわああああああ! 離せ! 離せ!」

 触手は物凄い力で段を引き摺り込もうとする。全身を使って必死に抵抗するが、圧倒的な怪力の前ではなす術がない。

「急にどうしたんですか!」

 瞳子には段を搦め取る触手は見えず、突然錯乱して暴れ出したようにしか見えなかった。

「そうか。そういうことだったのか。皆こいつに引き込まれたんだな……」

 体が浮き上がり、橋の手すりを乗り越えようかという時、段は全てを理解した。佐那たちは怪物に追い詰められた末に事故に遭ったんじゃない。二輪和仁は電車が通過する踏切に、玖瑠美はベランダから地上に、佐那は道路を走るトラックの前に、それぞれこの触手に引きずり込まれたんだ。抗いようのないこの圧倒的な力に。

「危ない!」
烏賊いかに気をつけろ!」

 手を伸ばそうとする瞳子にそう伝えると、段の体は仰向けの体勢で完全に手すりを乗り越えた。数秒のタイムラグの後、鈍い衝突音と短い呻き声が聞こえた。水深のある川ならあるいは生存の可能性もあったかもしれないが、浅い用水路への転落は通常の転落と大差ない。

「そんな……どうして……」

 仰向けに倒れる段の遺体は首と背骨があらぬ方向を向き、浅い用水路に本来は赤いはずの血液が黒色で滲みだしていた。画像の現物を知らぬ瞳子は知る由もないが、その死に様は【FUSCUS】が描いた段の死相を完全に再現するものだった。

「きゃあああああああああ!」

 瞳子の悲鳴が響き渡った。


第五話

第一話


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