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『御手洗潔と進々堂珈琲』島田荘司

京都大学に在籍中の若かりし日の御手洗潔みたらいきよしと、京大そばの珈琲店「進々堂」にて彼と会うひとときを楽しみにしている浪人生・サトル。
世界一周旅行から帰国した御手洗の旅先での話を聞くのがサトルは好きだった。

異国の街で御手洗が出会った3つの話が語られる。

数年ぶりに読む御手洗潔のお話でしたが、とても良かったです。
聞き手のサトルの素直な人柄に好感が持てますし(最初に収められたサトルの故郷の話ですでに彼に寄り添う気持ちになっていました)、博識さをひけらかさない、気さくな御手洗の語り口が心地好く。

3つ(プラスひとつ)の物語の根底にあるのは、人としての尊厳。人種。差別。自分のルーツである民族への誇り。

余談ですが、ちょうど数日前に、長野まゆみさんの『野川』を読んだところで、
「自分の目で実際に見たわけではないけれど、人から話を聞いたり本を読んだりして、誰かの体験を通じて想像という翼で自身もそれを感じることができる」
というようなテーマに感銘を受けたばかりだったので、わたしのなかでこの『御手洗潔と進々堂珈琲』はフィクションであると承知しつつも、胸に迫るものがありました。
とくに『戻り橋と彼岸花』は。

そして、御手洗潔のニュートラルな視点はこの頃からすでに確立していたのだなと思いました。
相手が誰であろうと、困っている人を前にしたら速やかに手を差しのべる優しさ、善意。
あたりまえのようで、なかなかできることではありません。

『占星術殺人事件』でしたか、石岡くんとはじめて出会ったときの御手洗も、記憶を失って混乱の最中にあった石岡くんに対して親身というか、とても寛容だった印象があります。
(※二人の出会いは『異邦の騎士』でした。訂正いたします。)



新潮社のライトノベル系レーベルから発行されていますが、内容はかなりずっしりきます。


(2015年8/12 読書日記より)

***

【追記】

御手洗潔シリーズは『アトポス』あたりまでの初期の作品と、ほかに数冊しか読んでいないので、現在どのようになっているのかは確認できておりません。
冒頭にありますように、この『御手洗潔と進々堂珈琲』がひさしぶりに手に取ったシリーズ作品だったと記憶しています。

シリーズ作品でいちばん印象に残っているのは、御手洗潔が、その事件を機にコーヒーを飲むことをいっさいやめると宣言した『数字錠』です。
わたしの知る限り、あの事件以来、彼は本当に一度もコーヒーを飲むことはなく紅茶を飲んでいたはず。
(今作では御手洗潔は大学生なので、まだコーヒーを飲んでいるわけです)

彼がもう二度とコーヒーは飲まないと決めたのも、あのとき御手洗とともにカップを手にしていた人物に対する優しさ……といってよいのか、相手の境遇に寄り添い、自身の一部を捧げるかのような、真心からきたものだったと思います。
とても切ない場面でした。


余談ですが、綾辻行人さんの『館シリーズ』に登場する探偵役の「島田潔」の名前を目にするたび、この御手洗潔シリーズを連想してしまいます。

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