父親について、2

友達、近所のおばちゃん、親戚のおばちゃん
に少し話をしたことがあったが、
「○○ちゃん(母の名前や私の名前)も悪いところがあるんじゃない?少しくらいは我慢しないと」
と言われたことを思い出す。

今なら、二次被害だと、言えるところだが、
当時は自分たちが悪いから父があんななんだと
諦めているところがあった。
逆らわなければ、怒っている時はひたすら
受け止めていれば、そのうち終わる。
と思って生きていた。

でも、他にも同じ思いをしている人がいて、
更にその人はすごく頑張って、抜け出されていた。
希望が見えた。

結果としては、その本とは少し違う形で
私達は逃げることができた。
母は結婚後40年近くをモラ父と過ごした。
私はマイナス1年。

長かった。
私は立派に、ACになった。
人の顔色を伺い、思ったことも言えず、
やりたこともわからない。
気が小さく、異常な心配性で、自己肯定感が
低い。
そして何より、生きていく意味がわからなかった。

その時点で、通り魔とか、飛行機とかの墜落
とか、車の事故とか、不慮の事故・病気で
死んでも全く未練がなかった。
むしろ、生きづらい人生が終わっていいのにな
と思っていた。

自殺未遂も数回、リストカットは結構な回数。
でも私がいなくなったら母に全て負担が行くと
思うと、死ぬこともままならない。

そんあ日々だった。

だから、のほほんと生きたいと言うのは、
私にとって最上の目標なのだ。
平和で何もない1日が
ありがたいと忘れずに生きて行きたい。

それにしては愚痴も言っているけれども。

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