ノスタルジック小学生
昨日は元旦の1日以来、久しぶりに息子と自転車でツーリングに出かけた。
まずは近所の氏神様のいる神社に行って、僕だけまだ行けてなかった初詣に付き合ってもらう。
そして、お詣りが終わったら、神社の脇を流れる小川でカニ取りをしたり、たんぽぽの綿毛を見つけたから、近くの小高い丘に登って、そこからフーして種をばらまいたり、といつものように自然とたわむれていたら、気づいたら2時間近くが経過していた。
でも、息子の様子を見るとまだ元気そうだったから、次、どこ行こうか、と尋ねてみる。すると、
昔、通った幼稚園とその頃、友達とよく行っていた公園に行きたい
ということだったので、
神社からそこまでは20分くらいかかるけど、この調子なら大丈夫かなと思い、連れて行くことに決めた。
まず初めに訪れたのは公園。
「ここだ、ここだ」と言いながら
着くなり息子が一目散に目指したのは、人がたくさんいる広場の方ではなく、大きな岩がたくさん積まれた丘の上に木が植えられたスポットだった。
ここは、幼稚園の時、彼が友達とよく遊んだ場所だったらしく、まるで義経のひよどり越えみたいに、小気味よく岩をジャンプして渡りながら、
「そう言えば、あのときは僕にも友達がいたんだよなあ」
とぽつり。
そして、「園長先生はじめ、先生もみんないい人だったしな〜」
と彼が続けたのを聞いた僕は、
「うん、今は確かに友達もいないし、学校にも行けてないかもしれないけど、君も気づいているとおり、それは残念ながらこれまでの小学校の先生があまりよくないせいだから、先生次第で、また友達もできるはずだよ」と伝えた。
そしたら、彼も「うん、きっとそうだよね」と力強く答えてくれた。
最後には木登りでずいぶん高いところまで登る勇姿まで見せてくれたから、お父さんも随分、安心したよ。
そして、いよいよたくさんの思い出が詰まった懐かしの幼稚園へ。
残念ながら、その日は土曜日だったから、門が閉じられて中には入れなかったけど、それでも外から校庭を眺めながら、
「あのタイヤのやつ、よく遊んだなあ」
とか
「あのブランコでよく立ち漕ぎしたなあ」
とか
「どうやら今の子たちも僕らが開発した鬼ごっこをしているみたいだな」
とか話していたから、楽しかったあの頃の記憶がまざまざとよみがえっている様子がうかがえた。
「振り向くな 振り向くな 後ろには夢がない」
と言ったのは確か寺山修司だったけど、そして、
齢(よわい)わすが9歳にして、こんなふうに過去に現実逃避するなんて、と思う人もいるかもしれないけど、
こういう後ろ向きで非建設的な行動の効能については、僕自身がよく分かっているから、大丈夫である。
僕も不登校だった高校時代、ひとつ市をはさんだ小学時代に住んでいた街にひとり自転車で出かけては、昔、住んでいた自宅や小学校を訪れていたものだ。
そして、その度に、すっかり硬く冷え切った自分の心の核の部分が、ほんの少しだけ温かくなったのを確かに感じて、
「ああどうやら僕はまだ大丈夫そうだ」
なんとなくそう思えた事実を僕は知っているから。
だから、3年前の記憶に励まされるノスタルジック小学生がいても、
大いにアリだ
と僕は思うし、また行きたくなったら、お父さんは、いつでも付き合うつもりだよ。
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