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今の時代がいちばんいいよ日記(2024/4/21)

双子の弟から毎年恒例のたくさんの誕生日プレゼントをもらったから、こちらもお返しをせんといかんよなあ(まあ双子だから誕生日も同じだしね)、ということで、買い物に出かけた日曜日。

しかし、駅までの歩道沿いに咲いていた満開のツツジの花に息子が気づいてしまったから、急遽、僕らの目的地は、ちょうどツツジ祭りが真っ最中の根津神社に変更と相成ったのだった。

「え、弟へのプレゼントは?」

「まあ、なんとかなるっしょ!」

と、事こういうことに関しては超が付くくらいの楽観主義な僕ら家族3人は満場一致で当初乗る予定の電車とは方向が真逆の電車に乗り込んだのだった。

そして、ちょうどお昼時だったので、電車で半分くらいの距離まで進んだところで途中下車してランチを取ることにした。

実はこの途中下車した駅周辺は、昨年の5月に東京某所に引っ越して以来、ずっと開拓したいと思っていたエリアだったのだ。

というわけで事前にググって見つけた良さげなカレー屋さんを目指して駅からの道をぷらぷらしながら歩く。

わすが10分程度のゆるい登り坂が続くその道程には、僕が思っていたとおり、いや想像以上に気になるお店がたくさんあった。

で、ついついふらっ~と寄り道したくなる衝動をどうにかこうにか抑えながら、たどり着いたカレー屋さんが、これまた、とてもよかったのだった。

カレーももちろん美味しかったけど、それ以上に、おそらくメキシコをベースにした無国籍でカラフルなインテリアがとにかく素敵過ぎて、入店した途端にもう僕のハートはずっとウキウキ、ワクワクし放しだった。

実はこの数日、いろいろあって気分が落ち込んでいたのだけど、本当にこの色とりどりな店主の大好きが詰まったフリーダムな空間に身を置いていると、まるで赤道直下のギラギラとした灼熱の太陽の光で、そんな僕のユーウツも一瞬にして焼き払われた、ような気持ちにすらなった。

落ち込んだときの自分の気持ちを立て直す方法としては、美味しいもの食べるとか、温泉やサウナに入るとか、いろいろとあると思うけど、室内装飾(インテリア)でリカバーできる人間は我ながら割とレアな気がする。

というわけで、いい感じで心身両面の栄養補給が出来た僕(たち)は、改めて電車に乗って目的地の根津神社に向かった。

ちなみに寺社仏閣巡りが趣味な僕たち(これは完全に大学時代を京都で過ごした妻の影響である)にとって、根津神社はアワ・フェイバリット神社のひとつだったから、これまでにも何度も訪れたことがある場所だった。

しかし、神社の最寄り駅(根津駅)に降り立ったとたん、明らかにいつもとは様相が異なることに気づいた。とにかく人の数が尋常じゃなかったのだ。つまり、僕らと同じく見ごろ咲きごろのツツジを観に観光客がごっそりと訪れていたのだろう。

でも、今回の人手はそれこそコロナ前よりも多いと感じるほどだった。日本人に混じって、外国の人々もかなりの割合を占めているような感じがしたから、今や物価が西欧諸国の半額程度になった日本がリーズナブルな観光国として世界中から注目を浴びているということでもあるのだろう(正直、手放しで喜べない複雑な心境でもあるけれど・・。)

僕らの予想通り、ツツジは確かに満開だったから、そういう意味では大正解だった。けど、先週末に訪れた熱海の来宮神社同様に、参拝客(いや、観光客?)のマナーの悪さを目の当たりにした僕ら3人は参拝後、完全にグロッキー状態になってしまった。

詳しい内容は割愛するけど、わざわざ神様がいる場所で、なんでみんなこんなことするのかなあ、と本当に残念で仕方なかった。

で、こういうシーンに出くわすたびに僕はいつも子供の頃に読んだ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のラストシーンを思い浮かべてしまうから、今度ちゃんと読み返してみることにしよう。

ツツジは確かに満開で綺麗だったけど・・・
彼が大好物のチョコバナナにも出会えたけれど・・・

で、そんなたくさんの人の毒気に当てられた僕らはどっと疲れ果て、いわゆる谷根千と言われるエリアをつなぐグネグネと曲がりくねった道、通称へび道を歩いているときも足どりが重たくて、たいした距離でもないのに途中で見かけたカフェで小休止せざるを得なかった。

しかし、そのカフェで休んだら、ちゃんとまた息を吹き返すことが出来た僕らは、弟への誕生日プレゼントのことも思い出して、あの「いせ辰」で彼が好きそうないい感じの和雑貨を無事、ゲットすることが出来たのだった。

そして、谷中銀座を抜けて、あの階段を登り切ったところで、息子が興味を示した紙芝居とベーゴマをひとしきりやって(こーゆーのに素直に興味を示す彼の姿がたまらなくかわゆい)、最後は日暮里駅で言問団子を買って、本日の僕らのミッション?は無事終了した。

電車に揺られて自宅の最寄駅に着いたら、外はすっかり夜だった。

その暗い夜道を歩きながら家族で他愛ない話をする頃には、僕の塞ぎ込んでいた心もずいぶん明るくなっていたけれど、息子がどうやら僕の誕生日のために手作りのプレゼントを準備しているという事実を知って、完全に息を吹き返したのだった。

このとき確かに、まるで枯れ果てた井戸みたいだった僕の心の底の方から、またあのやさしい気持ちが湧き出てくるのを感じた。

で、なぜか最近、自分の中で安全地帯がリバイバルブーム中である。今の時代がいちばんいいよと言っておきながら笑

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