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シアター母 

今ではすっかりしぼんだ梅干しみたいな感じになってしまった母だけど、若い頃は、割と美人だったように思う。

例えば女優だと、竹下景子や山本陽子に似ているとよく言われていたなあ。

要するに風呂敷に包まれた四角い海苔の缶とか持たせたら様になるタイプだ。

それでも、まあ父がスーパーサイヤ人ばりの超絶ハンサムガイだったせいもあり、正直、あまりそんな風に思ったこともなかったかな。

いろいろと事情があって、小さい頃、ほんの数ヶ月だけど、そんな母と二人きりで暮らしていた時期がある。

そのときは、母のことが大好きだった。

特に母と一緒に寝ている際に彼女の太ももの間に足を差し込んだときのあのあったかくてやわらかい感じとか。

そして、今はどうなのかというと、年に数回程度しか連絡も取ってないのに、息子から

「お父さんってマザコンだよね!」

って言われるくらいだから、やはり好きではあるんだろうな。

やれやれ、困ったもんだ。

ちなみに、このときそんな息子に向かって「オマエもなー」と心の中でつぶやいているけどね。

しかし、これまで父のことは何度か記事にしたけれど、母のことはずっと書けなかった。

それは、身内の僕から見ても

彼女がかなり香ばしい人間だ

という事実と

そして、そんな彼女に実は自分が似ているかもしれない

という事実を

認めるのが怖かったからなのかもしれない。

でも、今ならなんとなくそんな母と自分ともちゃんと向き合えそうな気持ちになっている。

だから、これからは、もしかすると母にまつわる思い出記事もポツポツと書いていくかもしれない。

まあ、彼女との記憶はどれもまだらで断片的なものばかりではあるけれど。

ちなみに、今、ふと甦ってきたのは、こんな光景である。

地方の大学の進学が決まって、いろいろと一人暮らしの準備を手伝ってくれた母と大学の最寄駅のホームで別れるとき、元々おしゃれ好きの母ではあったけれど、その時は特に派手な格好をしていて、

暗くて殺風景な田舎の駅の雰囲気とまったくなじんでないなあ

でも、やっぱりオシャレではあるよなあ

と思ったこと。

そして、電車に乗って彼女が去った後、一人取り残された薄暗い駅のホームで、なんだか泣きそうになるくらい心細い気持ちになったことだ。

要するにあの頃は全力で強がって、突っ張って、母のことも露骨にうざがっていたけれど、まだまだ子供だったんだよなあ。

で、ぶっちゃけ今だってあの頃とたいして変わっちゃないんだよなあ。

やれやれ全く困ったもんだ。

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