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やさしさにふれたなら

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※発達障がいについて書いています。
あくまで、これまでの経験から得た知見で書いています。
どんな人をも差別、偏見する意図はありません。
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小学校入学して
毎日渋ることなく通っている次男。
町内に一年生は他に男子が二人いて、
各々が言いたいことを
うぉーとか、ぎゃはーとか言いながら、
突然走り出したり、
ときに戻ってきたりしながら
(次男がギュウして♡と)
黄色い子達は学校へと向かう。


二人のうち一人のお母さんと毎朝いっしょに
途中まで三人を見送る。
私より10個も下なのに
とてもおおらかで、明るくて、
飾ることなく話せて
よかったなあと思っている。

見送りのあとの会話で、
もしかしたら発達障がいあるかもって
話してくれた。
でも、その子と接してみて、
それはないかなあと思った。

実際に発達障がいの長男(ASD)がいるのと、
友だちの息子さん(ADHD)のことも身近で
なんとなくだけれども、
察することができる場面もある。
もちろん、特性の出方は千差万別で、
網羅してるわけではない。
グレーかどうかとかいわれても
わからない。

長男が関わっていたから
特性のことが身近になるべくしてなり、
勉強もしたし、色んな専門の方とも
話した。

何にも知らないところからはじまり、
何がなんだかわからないけど、
苦しんで、絶叫して、訴える息子のことを
好きになれないことに気づいたこともある。
自分が親の立場で、どうするのが必要なのか、
どうあるべきなのか、
無理矢理にでも刷り込んでいった。

ここ何年かは
メディア、雑誌やSNSでもとりあげられて
みるみる広まって、
同時にこういう子達をケアする施設や
支援員さんの需要が増えてきている。
いくつか利用してみて、
その「質」の違いが、とても重要だと感じた。


合理的配慮、インクルーシブ教育…
これらを一色単な捉え方や、形態をとるだけ
で充分専門的なケアをしています、、
という施設、学校もある。
統率する側の自己満足すら感じたことも。

一体何を目的にして、
どんな体勢をとっていくのか、
みんなで考えて、みんなで同じ意識を描く。
専門だからと、1人の先生だけでは
とうてい対応しきれない。
先生も倒れてしまう。
学校なら、全職員が意識をもち、
情報を共有してほしい。
スタンダードになってほしい。

こう願って、親は根気よく、言葉を選び、
伝えていくことが大事だ。

なら、家庭では…?
なら、職場では…?
それへのケアは
大人に対してはどんな状態なのだろう。
そんなことを感じる機会があった。



息子さんに特性があり、
お母さんである彼女は
大人になってADHDと診断された。
幼稚園から一緒の友だち。
それを聞いたとき、
え~?そうなの?って思った。

思い返せば、時々女子の輪の中で
二度見するほど顔色が青く、
泣きそうな顔をして
黙っているときがよくあって。

いつものように話したらいいのになあ、
おもしろい人なのにって思って、
なんとなく話振って
会話に入れるように気回してた記憶がある。

とても優しくて、
困ってるときは助けに行くからーなんて
言ってくれて、
大人になってからその気持ちに
私は何度も救われた。

彼女とお茶する約束をした。
なんとも、2年ぶりくらい?

何度か約束したけど
体調とか、子どもが大変だったりで
何度も約束が流れてしまって。

この彼女以外の友だちとは、
色々あって、私のほうから縁遠くなった。

約束したこの日、
約束は12時半。
私は8分遅れてしまった。
界隈の友だちたち、昔からみなルーズなので、
約束の時間に家をでるくらいは
想定済み。
しかし、この日は
30分待っても来ず、連絡もなし。
あれ?待ち合わせ場所間違えた?
何度もLINEするけど返事がない。
そして、13時20分。
「今から家でる~」
ーー Oh!! マテナイヨ~

若くない。
待ち時間を楽しめなくなっちゃって、
その日は生理でふらついてきてもいて。
結構貴重な休みだったし、、残念

今日はやめよって、言った。
「ごめんね、ごめんね」
謝ってくるばかり。
正直、悶々したし、呆れてしまった…

だけど、後になって事情聞いたら、
その深刻さに
気持ちはやさしく払拭された。

その日、彼女の家では、、

起きてこない長男、
知らなかった旦那さんの休み、
ー 何で教えないの?
長男に気をかけない旦那さんへの不快感
ー 長男学校行くの?行かないの?
 こんなこと、気にも掛けてないでしょ?
出かける自分を不快に思う旦那のイライラ、
ー 自分は好きなときにパチンコ行くのに

そんなこんなして、準備にならない自分に
パニックになって、
動けなくなったらしい。
先日は、遅刻続きで職場で面談、叱責。
何年も通院してる、カウンセリングも服薬も。
ヘルパーや訪問看護にも相談して…

想像以上につらそう。
それでも続く日常を、こんな調子で過ごしていたんだ。

だけど、家族が協力的ならば、少しは…?

前から知っていたけど、
片付けが苦手な彼女に、
「やる気がない」「怠けてるんでしょ」
と声をかけるのだ、旦那さんが。
即座に
「気づいたならやれば」と思う私。
威圧的な旦那さんに、彼女はいつも押されるまま。
何か言っても強く言い返されて、怯む。

怯む彼女をもまた、旦那さんは
イラつくんだろうな、と思ってしまった。



生活を共にする家族、4人。
家族だからこそ、甘える。
家族だからこそ、期待する。
家族だからこそ、助ける?
家族だからこそ、助けてもらえる?
家族だからこそ、これらがうまく行かないと
苛立つ…

家族って、どんな団体なんでしょうね?
お互いの気持ちを伝え合えないまま、
どうなりたいか、どうしたいのかも
共有できず、
各々が苦しさを抱え続ける。

どうしていくのがいいのかな…



その夜、LINEで長く話した。
きっと会って話すよりも
うんと真面目に、真剣に。

彼女と旦那さんの関わり。
彼女と子どもたちとの関わり。

やってみるしかわからないことばかり。
でも、それしかないのでは?とも思う。
意外とシンプル…
そんなことを話したりした。

彼女は不都合なことがありながらも、
丁寧に子どもたちを支えて、応援して、
お弁当もちゃんと用意して(私はできない…)
常に寄り添ってあげていた。
愛情溢れる、すごい人なのだ。

人はそれぞれに、
それぞれのつらさを抱えていて
それぞれに悩んだり、苦しかったりする。
比べてどうなどということはない。

だけど、
自分のことを伝えたらいいと思う。
少なくとも、聞いた人は「知る」のだ。

知った人は自由。
どう思おうが、感じようが、
動くか、動かないか、、自由に決めたらいい。

子どもたちは感じているだろう。
お母さんが、大変そう。
どうしたら助けてあげられるの?
わからなくて、ずっと気にかかる…

お母さんは子どもに知らせたらいい。
こんなことがつらくて、こんな風に助けてほしい。手伝ってほしいんだって。

そしたら、子どもたちは
お母さんを助けてあげられることがわかって
それをできる自分を喜び、自信がもてる。
ありがとうっていうお母さんを見て、
嬉しいと思う。

子どもの前で泣いてはダメ
母はいつも太陽のように笑っていて

そんなことないって思う。ほんとに。
こわい、昭和(大正?明治?キャー)

自分の弱きや、つらさを伝え、
何を助けてほしいのか。
何を手伝ってほしいのか。

このことを、
社会にでた長男には
きちんと伝えられるように
なってほしいと思う。
そうして、手を差し伸べてくれる人が
いてくれたらと願う。

同じフロアで働く人の
どうしようもない苦手を非難しないで
少しだけ工夫することを認めてほしい。
その場所で、持ってる強みを最大限に
発揮させてほしい。



どうか、彼女が
安心して、穏やかに
もってる愛情を存分に発揮できるように
そんな環境が少しずつでも
できていったらいいなあと思う。










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