「ある男」自分以外の人生を歩みたくなる時。
他人の人生と交換したくなった事はありますか?
私の答えは「YES」である。
誰でも一度は思ったことがあるのではないだろうか。
その数奇な運命を辿るヒューマンミステリー。
何の気なしに鑑賞した、
映画「ある男」
あらすじは以下の通り。
持って生まれた、残酷すぎる人生やレッテル。
一度踏んでしまった靴底についたガムのようにずっと離れない。
私と結婚したあの人は一体誰?
「ある男」窪田正孝演じる谷口大祐。
彼が亡くなり、彼の半生を辿る。
他人に成りすましてまでも、手にしたかった違う人生。
その全貌とは。
それを探っていく妻夫木演じる弁護士、城戸の
苦悩、葛藤、また彼のエッジの効いたニヒリズム。堪らないスパイスなのだ。
全て知った時の衝撃。
実力派の俳優陣たちの演技がとにかくとんでもなく、全員が主役級の存在感である。
ネタバレしたくないので
役者さんごとに感想を。
※今回は全員敢えての呼び捨て表記をするのでご了承のほど。
まず、ある男と結婚した里枝役、安藤サクラ。
愛のむきだしの頃からやばいの来たなと思っていたが、今回もすげぇ。今回の役は女の顔が見え隠れする。ワイヤー入りのブラジャーをして挑んだとの事。うん、納得。ワイヤー入りかどうかなんて、こちらはわからない。が、彼女の演じた里枝からはいつもの安藤サクラの役とは違った、「女感」がある。
初めはおぼつかなかった若い女を感じる彼女からは、後半、しっかりとした母親への成長も垣間見えた。
中学生の息子役の坂元愛登。
出てきた瞬間にビックリ!
ドラマ「不適切にも程がある」の
キヨシである!
まだ幼いキヨシにキュンとしながらも、
その圧倒的な中学生感と、演技力に思わず涙。
茜役の河合優実。
こちらも「不適切にも程がある」の純子!
思わぬ共演にテンションは上がった。
出番は少ないが、その存在感と
やはりナチュラルな演技にすぐに心奪われる。
大祐の兄役、谷口恭一役の眞島秀和。
いやぁすごい。笑
ここまでイヤミで嫌なヤツ演じれますか?
始めから最後までずっと嫌なヤツ。
多分ナチュラルボーン嫌なヤツ。
ボクシングジムの会長役、でんでん。
でんでんと言えば冷たい熱帯魚の怪演であるが、
今回は熱い人情味のある会長役で。
ある男は会長に絶対に救われていただろうと思う。
妻夫木の同僚弁護士役、小籔千豊。
まず。監督、なんで?笑
小藪さんどんな気持ちで受けたん?笑
そこ、めちゃくちゃ気になりました。
こういうヒューマン系映画の芸人さんの役って、ちょい役が多いのだが、ガッツリ重要な役割で。
彼の場面は一気に新喜劇的感が増すのだ。笑
緊張と緩和の意味での敢えての配役ですか?
監督教えてください。
大祐の元カノ後藤美涼役、清野 菜名。
可愛くて、綺麗。圧倒的透明感。
若くて、器が広くて、寛容で。
愛情深い若者役。こんな人ばかりであれば戦争は起こらないであろうと思わせてくれる慈悲深さ。人間力。
谷口大祐(本物)役、仲野太賀。
ほとんどの出番は写真で、
少ししか出ないのだが、太賀には信頼しかないよね。ラストの登場シーン。その表情に今までの彼の人生全てが集約されており、涙。
城戸香織役、真木よう子。
妻夫木の妻。あんまり好きになれない、
ほんのりイヤ〜な感じのお金持ちのお嬢さん役。
彼女から垣間見える闇が、最後の最後に効いてきて。さーせん、めちゃくちゃ怖かったっす。
小見浦憲男:柄本明。
怪演、怪演、怪演…!
怪演がすぎますよぉ…涙
大阪弁の役なのだが、関西出身の私からしたら完璧な大阪弁ではない。ただ、そんなことはどうでも良い。人を見透かす目。台詞回し。あんなん誰ができる?全く新喜劇感は出ず、(小藪さんすみません!役者と芸人は畑が違うから仕方ないですよね)本当に怖すぎて鳥肌がたった。
彼のセリフには自分という人間、全てが見透かされた気がしてドキリとした。
人は如何に、他人を色眼鏡で見ているだろうか。
真実はなんだのだ?
谷口大祐(ある男X):窪田正孝。
正直、この役は彼しか演じられなかったのでは?
アラサーでも高校生の役ができる若見えの彼だからこそ、若い時や、その後の演じ分けが素晴らしい。
狂気を宿らせる窪田正孝を見たいと語っていた監督。道で泣き叫ぶシーンは圧巻だった。
「ある男」はどんな人物であったのかの肉付けは彼ではない他人がしていく。それ故に「ある男」の決定的な説明はなく、見事に彼のグレーを演じていた。彼の苦しみ、悲しみ、闇、それが私にも流れてきて、苦しかった。圧巻でした。
弁護士の城戸役、妻夫木聡。
正直、始めから特に個性のある役ではなく、ある男を探っていく探偵のような役回りで、この映画においてはそこまで注目はしていなかった。
しかしさすがは妻夫木。最後のあのシーン。
全部持ってかれたわ。完敗。余韻半端ねぇ。
「人は関係性のなかで、それぞれ違う人間になっている」という「分人主義」を意識して演じたという妻夫木。
人は確かに、他人によって自分を使い分けている。妻夫木演じる城戸は、色々な人と対峙する。そのたびに色んな城戸という自分を見せるのだ。
さて、
揺らぐアイデンティティを描いたというこの映画。
自分とは何か?
この映画を観て、必ず考えるであろう。
自分が思っている「自分」は本当に自分なのか。
この映画における「ある男」に於いては、
彼がが居なくなってから
彼はこうだった、ああだったと言われる。
果たして「自分」が居なくなってから、
他人に「自分」が決められるのだろうか。
他人として歩むしかなかった時、
また他人として歩みたくなった時、
あなたならどうする?
知らなかった方が幸せだったことを知った時、
あなたならどうする?
色んなことを投げかけてくる。
自分って何者?
私は誰?
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