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親にとって子供は、アクセサリーでもなければ、自分を犠牲にしてまで尽しすぎるものでもない


少しだけ前の出来事なのだが、
『この人キライだな、合わないな』と
久しぶりに思った出来事をつづりたい。

そして、前置きになるのだが、私はその
出来事に対して『不快感』は持っても
人物に対して『キライ』という
感情は基本的に持たない。
ただ、世の中生きていれば
『キライな人、合わない人』
は出てくるものだ。


ただ、私は『子供をアクセサリーとして
扱う様な人』は大嫌いだ。

彼女とは初対面。パパの友達の奧さんだ。
初回の挨拶なし。え??あれ、なし??

そして彼女は気が付いていない様だが、
話をすればする程、所作を見れば見る程、
あまりにも子供への『普段の話しかけ』
をしていない事が伝わってきて、
子供の発達は明らかに遅れていた。

なのに彼女は「私の子供は付属小学校に
入学させるの~」と意気揚々と話をして
いた。
私はこの時点で『キライな人』スイッチオン



私は他人が育てる子供の教育について、
ツベコベ言うつもりはない。


でも、その日、自分の洋服は何十万と購入
しておいて、子供の洋服は安物で買う気も
ないだとか、
自分達の娯楽にはお金を使ってホテルの
スウィートルームに泊まるけど、子供が
喜ぶであろうアミューズメントパークには、立ち寄りもせず、眼中にもないとか
私には考えられない。



なんせ私は『昭和の女』なのだから。

自分の洋服は安物でも構わないが、
子供にはいいご飯を食べさせたい、
いい洋服を着せてあげたい、
教育にお金を使ってあげたい。

そう思うのが『母親』であり『親』だと
思ってきた。


そんな事をしている夫婦をみて、私は
『不快感』と同時に彼女に対して
『キライだな、もう会わなくていいな』と
思った。


私は、歳も40歳を過ぎて、これから先
プライベートで合わない人とは
付き合わないでいいと思っている。
それは、私が『私の世界を作る』上での
必要な作業だと思う。


でも、子供の為に自分を犠牲にしてまで
尽くしすぎて『主役を子供』に
しなくてもいいと思う。

尽くすのはいいし、私も尽くす。でも、

『私の人生は私が主役』
『子供の人生は子供が主役』

主役以外は皆、『脇役』なのだ。

振り返ってみれば私の人生の『エキストラ』
なんて  うじゃうじゃ  いる。


皆、人に気を遣う。
私だって気を遣うし、気が付く。


でも、その人達にしたら私は『エキストラ』でしかない。


だったら、あまりよく見られたり、
自分をよく見せたりしなくても
結局、『類は友を呼ぶ』。

だから無理して
自分を『過大広告』はしなくていいのかも。


なんだか、そんな生き方でもいい。

 『風の時代』に吹かれる様に、
         自分を『ありのまま』風になびかせる
                                                                  ように。

人生折り返し地点からのテーマだな。


なんか、深い話です。。。
いつもありがとうございます。
また、次回。