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ワタシとはいったい何なのか?【十牛図について】

ハローエブリワン!

ワタシは小学生くらいから図書室や図書館に通う本の虫であります。
そこでなんと!京極夏彦に出会ってしまう…。辞書みてえーに分厚い本。仰向けに寝ながら読むと顔面に落ちてきて凶器でした。気をつけよう。良くわからん単語を調べながらウトウトしながら一生懸命読んだのが良い思い出です。

そこでハマったのが『鉄鼠の檻』です。

禅関連の単語が多く、そこでまたしても出会ってしまう。『十牛図』に。
牛と人が出てくる十の図。まんまですね。

悟りの過程をイラストと詞でわかりやすく解説してる図です。詳しく知りたい人はググるよろし。ワタシは図書館で十牛図に関する本を借りて読み始めました。

牛が『本当の自分』をあらわし、人がいわゆる『エゴ』をあらわしている。

逃げ出した牛を探すところから始まります。連れ戻し飼いならし、いつしか牛と人は一体になり、そもそも牛と人は一体であったことを思い出し、更には牛も人も一切のことを忘れ、全てが元にもどり、世俗で人を救いながら生きていく。

ワタシはこの、最後の図になりたくてなりたくてたまりませんでした。なぜなら、ワタシの中の牛は探しても見つからなかったから。当たり前なんですね。ワタシは最初から牛と共にあったのに、そのことをすっかり忘れて人として一生懸命牛を探していたのです。


全ては空である、という概念に辿り着きます。結局のところ悟りとかどーでも良くなりました。悟っても悟らなくても、ワタシは人であり牛であり空であり、幸せに生きることが出来るからです。体験にこだわり過ぎて、眼の前の幸せをおろそかにしては本末転倒というもの。しかしながら、その体験を経験したからこそ、この境地に辿り着いたので、それも全てあるがままでいいのかも。人には人の数だけ学びがあるのですね。

ワタシとは何か?ワタシを観察しているもうひとりの私がいます。確実に、何かある。ワタシをワタシと思いこんでいる。しかし証明するものは何もない。どうにかしてワタシはワタシを幸せにしようと頑張っている。恐怖し、卑下し、努力し、怒り、喜び、悲しみ、それを私はワタシが生まれた時から、ずっーーーっと見守っていたのです。

ワタシって、何て不思議で何て愛おしいんでしょう。

あでぃおす。良い一日を!


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