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すべての教育は「洗脳」である②

お読みいただき、ありがとうございます。
①から時間があきましたが、堀江貴文さんの「すべての教育は『洗脳』である」の自分なりのまとめ②です。

「どうして学校に行かなきゃいけないの?」  この質問に大人たちは、「学問を修めるため」「世の中で必要な知識を学ぶため」などと答える。  しかしあなたは、社会に出て以降、学校で学んだ知識のうちどのくらいが「役に立った」と感じただろうか? 5割や6割、下手をすると7割以上の知識が「役に立たなかった」のではないだろうか。  それも当然だ。学校が教えることの9割は「知識」ではないからだ。学校にとっては知識など、添え物程度の意味しかない。学校はただ、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。

すべての教育は「洗脳」である〜21
世紀の脱・学校論〜(光文社新書)

「厳しいな〜」と思いながらも、その通りかもしれないと思った自分がいました。子どもの頃、学校で学んだ知識やゆがみきった「常識」を正しいと思って、今も子どもたちに植え付けているのが私たち教師なのだから。多少は変えているかもしれないが、自分達が受けてきた教育を繰り返しているのだから。その証拠に、教師を志望する人の中には「自分は素晴らしい教育を受けてきた」「憧れの先生がいる」「あの先生のように自分もなりたい」と思っている人が多い。

「自分が受けてきた教育はおかしいと思う。自分はそれを変えて、新しい教育を目指すのだ」という思いをもって、教師を目指す人は少ないのではないだろうか、と思っています。
それだけ、学校が「洗脳」しているのだという事なのかもしれません。


企業からすると高学歴の人間は、理不尽な作業への耐性が強いという判断になる。いまだ体育会系の学生へのニーズが高いのも、要するに「従順さ」と「理不尽への耐性」が強いとみなされているからだ。

すべての教育は「洗脳」である〜21世紀の脱・学校論〜(光文社新書)

ある校長先生が、会合の中で挨拶をされた際「先日、企業の採用担当の方と話をする機会があり、『やはり部活を辞めずに頑張ってきた生徒の方がいいですね』という話を聞きました。やっぱり部活動は必要で、そういう生徒が求められているのだ」と話していました。
私は、ものすごく違和感があったのだが、周りにいた人は頷きながら話を聞いていたのを覚えています。

私の違和感は堀江さんがいう「従順さ」と「理不尽への耐性」が正体なのだと気がつきました。高学歴でなくとも、辛く、苦しい部活動を続けてきた生徒は素晴らしい。会社に入っても、「従順にいうことを聞き、理不尽なことにも耐えて、辞めずに安い給料でも働く」そういう人を採用したい、ということなのではないかと思わされました。

私自身も体育会系出身の人間です。
しかし、理不尽なことは嫌いです。従順ではあると思いますが•••。
そのはざまにいるので、学校にいながら、苦しい日々を過ごしているのだと思います。

徐々に、私も考え方が変わってきました。
もしかすると私を採用した人や昇進させた人は、「お前、ふざけるなよ」と思うかもしれませんが、私は堀江さんがいうように、今の教育は「洗脳」であると感じています。
変えていきたいし、変えていかなければならないと思っています。

じゃあ、どうしたらいい?
分かりません!

来年度までもう少し時間があるので、もう少しじっくりと考えながら、この本を何度も読み返したいと思います。

お読みいただき、ありがとうございます。
皆様からのご意見もいただければ、参考にしながら考えていきたいと思います。

ありがとうございました。

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