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死ぬことよりも怖いこと

私は10年ほど、少し特殊な整体業的な仕事に
携わっていました。

ざっくり言うと、病気全般に対する治療家
なのですが、私が行っている方法はニッチで特殊な治療法という事で、どこに行っても治らない人、今にも死にそうな人などの重病人のお客さんがとても多かったです。

当然全ての患者さんが治る訳もなく、実際に
亡くなってしまったお客さんもいました。

文字通り生死を賭けた戦いに日夜臨んで
いましたが、そんな治療家人生で感じた、
人が自分が死ぬことよりも恐れていることを話していきたいと思います。


自分が死ぬこと以上に恐れること。
一般的に普通はどの様なことが考えられる
でしょうか?

家族の心配、財産への執着、死後の後処理、
そのようなことが頭に浮かぶと思います。

それらは確かに主な懸念ではあるのですが、
でもどれも違います。

死以上に恐いこと、それは、
自分自身を深く知ろうとすることです。

簡単に、端的に言うと、重い病気を治すにはまず自分自身を知らなければなりません。

なぜ病気になってしまったのか?
どのような生き方、考え方が病気を招いた
のかを自己分析しなければ、難病や不治の病が治る道理などありません。

しかし自己を省みるということを、ほとんどの病人はしませんし、できません。

重い病気になった時に患者が思うことは、
「なぜ自分がこんな目にあうのか」

という自己憐憫的な被害者意識であって、
自分の何に問題があったのだのだろうか、と言う責任意識ではありません。

そして最期まで悲劇の被害者を気取りながら死んでいきます。

このことについて、私は患者を責めたり批難するつもりはありません。

病人に限らず、誰しもストレスを抱えながら疲労困憊の中働いていますし、心身の苦しみを誤魔化す為に暴飲暴食など自暴自棄に奔ることもあるでしょう。

もしくは人生が楽しくて、若さに任せて
夜通し遊んだりお酒を飲み過ぎたりして、
体を労らなかったケースもあると思います。

色々理由があっての人生なのに、自分を知る
ということは、ある意味自分の今までの人生を否定することになりかねません。

人は誰だって自分を正当化したいものです。
自分を否定する位なら、自分は正しいんだ、と信じ込みながら、人は死を選択します。

末期の病人を観察していると、意外なことに死に対してあまり恐怖心を抱いているようには見えないケースがほとんどでした。

受け入れているのか、現実逃避しているのか治ると信じているか、平静を装っているのかは定かではありません。

ですが私も治療家の端くれ、自己内省する
ように促すと、強い拒否感が露わになることが度々ありました。

「酒を辞めるくらいなら死んだ方がマシ」
と言うアルコール中毒者がいるように、
「自分を知る位なら死んだ方がマシ」という
感じです。

もしかしたら私達は皆、隠れた自己愛中毒者
なのかもしれません。

その真実は、私たち自身の最期が迫った時、体験的に知ることができるでしょう。

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