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毒親育ちあるある

私は毒親の元に生まれ育ちました。
毒親育ちの方はよく分かるかと思いますが、

毒親の元に生まれた時点で
人生の9割方は詰んでいます。
少なくとも精神的なレベルでは。

普通の家庭に生まれた育った人には決して
理解出来ないであろう、想像を絶する苦悶が
そこには存在しています。

では、多くの毒親育ちに共通するであろう、
毒親育ちあるあるをご紹介していきます。



親のグチを友人に話すと、子供扱いされ、否定され、もっと心に傷がつく


仲の良い友人と話していると、親や家庭の
話題になることがありますよね。

そんな中、毒親育ちはつい親の愚痴を言ってしまいたくなる時があります。

毒親育ちは精神的に孤独で、誰も私のことを理解していないという感覚が強いです。

気の許せる仲の良い友人ができると、
分かって欲しい・話を聞いて欲しい
という人生で満たされなかった欲求が無意識的に噴出してしまうことがあります。

そうして親の愚痴を言ってしまうのですが、
残念ながら友人の理解は得られません。

「私も色々あったけど、もう大人だよ?
まだ親のことグチグチ言ってるの?」

「親には感謝しないとダメだよ!
誰のおかげて生きてこれたと思ってるの?」

と「正論」と言われてしまい、耳を傾けて
もらうことができません。

普通親育ちからしたら、親は大切にするのが当たり前でしょうから、親の悪口を言う人間を快く思わないのでしょう。

毒親育ちも頭では分かっているんです。
いつまでも親の文句など言っても仕方がないということぐらい。

でも、
圧倒的な毒を何年何十年、毎日のように浴び続けると、理性では到底抑えられないほどの毒素が溜まってしまうんですよね。

自分の苦しみを分かってもらいたくて話を
しても、その苦しみを否定され、さらには
自分自身の人間性も否定される。

この苦しみの連鎖は何とも言えない疎外感、劣等感に襲われ、より一層の苦しみを味わうはめになります。

そしてグチを言ったことを後悔し、
これ以上に傷つかないよう心を閉ざし、
精神的死人でありながらも普通の人のフリをして生きていくことを選びます。


常に他人の顔色をうかがいながら
怯えて生きている


毒親育ちは人にどう思われているかという事を過剰に気にする傾向があります。

これは常に親の顔色をうかがってきたことが強く影響しているのだと思います。

幼少期は生きていくために親の養育が絶対に
必要なのは間違いありません。

毒親たちは情緒不安定で気分屋、
子供に無関心、
または子供をストレス発散の道具として
扱うことがとても多いです。

ですから子供は親に好かれるよう、
常に顔色をうかがい、
本来の自分を封じ、親に好かれるキャラを
演じなければなりません。

その結果、
自分を殺しても人に好かれることが生き残る唯一の道である。

というような矛盾した思考のクセのような
ものが出来上がってしまいます。

なので毒親育ちは人に嫌われることを
極度に怖れ、
頑張って人に取り入ろうとするんですよね。

でも、上手くいかない。

対等に、オープンで素直な心で人と接する
ことに慣れていないので、自然な良い関係を築きづらいんです。

だから毒親育ちの人間関係の構築方法は、

常に気を張って、常に顔色をうかがう
自分の心は無視して相手にへつらう

という長年慣れ親しんだ方法に頼ってしまうという悲しい現実があります。


楽しいフリしてもホントはつまらない
、いくら頑張っても満足感がない


毒親育ちだって人生を楽しみたいんです。

ポジティブで前向きでエネルギッシュな人達に憧れ、自分もそうなれるように
生まれ変わろう!
と決意したことが皆1度はあると思います。

そうして遊び、恋愛、仕事と充実した日々を送ることを夢みて、幸せになることを夢みて人一倍の努力をしてきた人は多いでしょう。

その結果、仕事や恋人を得られることは
確かにあります。

でも、なにか満たされないんですよね。
これじゃない感というか違和感がすごい。

成功もしているはずなのに、全てが失敗しているような気がして仕方がない。

毒親育ちは心に穴が空いたままなので、
その心に何を突っ込んでも、心の穴に落ちていき、何もない無味乾燥の心のまま、
といった感じでしょうか。

遊びや飲み会などをして楽しもうと思っても表面上は楽しい感じはするのですが、
どこか冷めきった自分をはっきり感じます。

これは心の奥底にある、決して拭いきれない
自己否定感が全ての根本原因になっていると思われます。

親に大切にされるために
外部から自分を守るために
物心ついた時から自分以外の何者かを装い
自らを否定し続けた人生
では、
何をしても心底楽しめないのは当然のこと
でしょう。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、
私の経験上、大人になってから精神の土台を作り変えるのは、極めて困難を伴います。


死にたい、のではなく、消えたい、と
日常的に思うことがある


自分の存在をなかったことにしたい。

毒親育ちでこのように思うことがあるのは
きっと私だけではないでしょう。

自死を決行するのは色々と準備をしたりと
能動的なエネルギーが必要になりますが、
消えたいというのは受動的で消極的な感じ
なんですよね。

もはや死ぬことすらめんどくさい。 

死ぬのは痛そうだし怖そうだし、
そもそもこれ以上苦しみたくはない。
それならいっそ消してくれませんかね?

といった感じです。


【おわりに】永遠に終わることのない自分探しの旅に終止符を打とう。


普通親育ちはあるがままの自分を愛され、
大人になってもありのままの自分を表現して生きていくことができます。

それに比べて毒親育ちは、あるがままの自分というのが、まず分かりません。

そのため「自分探し」のために人生の膨大な期間を費やすことになります。

私もその膨大な時間を費やしてきた1人です。

本も数えきれないほど読みましたし、
セミナーやカウンセリングにも本当に沢山
いきました。

でも結局何も変わりませんでしたね。
何となく良いのはその時だけ。

もしあなたが自分探しの旅で人生が変わったのなら、それは素敵なことです。

でも私はそうではなかった。

20年近く続けた自分探しの旅でしたが、
行き着いた終着点に置いてあったのは、
ごくシンプルな答えでした。

この人生で良い。

ただそれだけでした。

そこからは理由もなく
ただ心が解れていく感覚がありました。

幸せになる必要もない
成功する必要もない
不幸をなげく必要もない

ただ、この人生で良い。

もちろん全てが解決したわけではないですし
これからも葛藤があることでしょう。

それで良いと思います。
それが私の人生ですから。

どこにもいないと探し回った自分でしたが、
「自分」はいつも共にいた気がします。


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