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#6 鴨川で考え事をすると少しだけ捗る

2023年9月24日。
久しぶりに図書館に行った。

適当に本を見繕ってカウンターに持って行くと、「5年以上ご利用が無かったので、図書館カードの作り直しが必要です。後方の黄色い紙をご記入の上、お申し込みください」と受付の女性に促された。

そうか、最後に図書館で本を借りてから5年も経つのか…。
漠然と、図書館に訪れるのは3年振りくらいに思っていたが、よーく思い返してみると、前の家で図書館の本を読んだ光景は思い出せるのだが、今の家で図書館の本を読んだ覚えはない…。

ちょ、待てよ。
ということは、5年なんかじゃ済まないぞ。
改めて数えてみると、実に9年近くの歳月が経過していたことが判明した。

自身の感覚では3年だが、実際は9年。
『感覚』と『実際』に6年も乖離があることに驚き、閉口した。

——大丈夫か、自分?
たぶんアウトだと思うよ。

閑話休題。
『本日も鴨川日和』だ。

自転車を走らせ、いつもの鴨川の川縁にやってきた。通い続けているとお気に入りの場所というのが自然に何箇所かできている。そのうちの一つが運良く空いていたので、そこに陣取り、チェアを置き腰を下ろす。

今日は、前期が終わるので、前期の振り返りを兼ねてコンピテンシーシートの自己評価欄を埋める作業をしに鴨川に来たのだ。

本来ならこういうものは、会社の空き時間や休み時間を利用してさっさと記入するものだと思う。
実際、周りの同僚たちはそうやって済ませている。
しかし、要領が悪い私は、優先順位の低いと判断したものは後回しにし、いつまでも手を付けない悪癖がある。
つい目の前の仕事を優先し、こういったものは期日ギリギリまで放置してしまう。
しかも機首に掲げた目標の達成率も芳しくないとなると、見るのも嫌になって臭い物に蓋をする状態にしているのだった。

成長するために、日々の振り返りや棚卸しが大事なのは百も承知だが、どうも億劫になってしまうのだ。

そして、実際に振り返っていくと、己の負の部分ばかりが目に付き、なんでこんなこともできないのだろうと、自身の至らなさやいい加減さを再確認し、いちいち自己嫌悪に陥るのだから困ったものである。

そんな精神衛生上よろしくない作業は陰鬱なオフィスで行うより、天気のいい鴨川縁で涼しい川風に吹かれながら行うのがいいに決まっている。

こうしてロケーションまでお膳立てをしながら、それでもなおコンピテンシーシートを広げて己の深層に錨を下ろすことに躊躇してしまう自分の弱さを知っているので、冒頭の図書館である。

図書館で借りた2冊と
持参したみかん

鴨川へ向かう途中、思い出したかのように図書館に寄り、エッセイ本を2冊借りてきた。

エッセイは他人の思考にダイブできるから好きだ。
自分と全く違う考え方や意見を持たれている方のエッセイを読むのは、こんな考え方があるのかと参考になるし、時に刺激的で自己啓発に繋がることもある。

逆に自分と考え方や波長が近いと感じる人のエッセイは読むのは、自分のことを理解してくれている古い友人の近況報告を聞きながら相槌を打ったり、あれこれ意見を言っているような気分になれる。

少し大袈裟かもしれないが、他人の考えにどっぷり身を浸して委ねることができるエッセイ本は、自分の生き方に自信が持てない私にとって、発見があったり、だらしない自分に少しは肯定的になれる一服の清涼剤の効力があるような気がする。

エッセイを一編読んでは、コンピテンシーシートを一つ埋める。また一編読んでは一つ埋める行く…。

今回は両脇を吉本ばななさんと保坂和志さんに支えてもらいながら、半ばロズウェル事件の宇宙人のような格好でなんとか完走することができました。

仕上がったコンピテンシーシートには大したことは書かれていない。ものの20分もあれば書けてしまう内容である。
色々理由付けしたが、ただ逃げたかっただけ。鴨川縁でみかんを食べながら読書したかっただけ。
甘ったれるな、さっさとやってしまえ、である。

やさしいブロッコリーの木

少し前、5月28日に撮影した
『ブロッコリーの木』。
チェアはVASTLANDのアウトドアチェア

コンピテンシーシートを書き終えて、いつもの場所に移動して日が暮れるまで暫しの時間を過ごす。

目を閉じてうつらうつらしていると、親子連れが近づいてくる気配がした。

「ブロッコリーの木に来るの久しぶりやな」

「うん」

父親と女児である。
この親子は私の背後にある木のことをどうやら『ブロッコリーの木』と呼んでいるらしい。

「ブロッコリーの木、なんか小さくなってへん?」

「そんなことないと思う」

女児は木の前で寝ている私のことなんてお構いなしに、木に足を絡ませてよじ登ろうとしているらしい。ガサガサと音がする。ブロッコリーの木からは小さな悲鳴が聞こえた気がした。

「ブロッコリーが小さくなったんじゃなくて○○ちゃんが大きくなったんか」

「うん、そうかもしれん」

しばらくブロッコリーの木に戯れ付くと、満足したのか親子は南の丸太町通りの方に姿を消した。

ブロッコリーの木は、親子にとって子供の成長を見守るやさしい木なのだろう。

私にとっても昼寝や読書、考え事を見守ってくれる、小さな見た目とは裏腹に、とても大きなやさしい木なのである。

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