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障害は環境がつくると言うけれど

パンダちゃんは年長さんの時にやってきた。ちょっとビビりなところはありつつも運動器具に対して興味津々で、なんだかんだ楽しく運動療育に参加し、集団で過ごしていました。

小学校に入学してしばらくすると、なんだか様子が変わってきた。
「できないから運動したくない」
「わたしはレゴで遊びたいのに、遊ぶ時間が無い」
「プリキュアの塗り絵がなきゃイヤー!」
「宿題する時間が欲しい」

運動には参加せず遊び道具を出しにいこうとしたり、宿題やろうとしたり。
帰る時間間際になって「塗り絵がしたい。家でやるから持ち帰りたい。絶対プリキュア」と、プリキュアの塗り絵を毎度所望されたり。
みんなでの活動への参加が難しくなってきました。

宿題のワードが気になりきいてみると、ずいぶんとたくさんの宿題がでていた。
普通級なら普通の量になっちゃうのかしら…?
とはいえ、パンダちゃんには毎日終わらせることができない。たまる。
保護者が配慮を求めると「じゃあ学校で面倒みます」と、たまった宿題は学校に居残りで消化することになったそうです。

終わらない宿題。
宿題に追われる日々。
パンダちゃんの肌にはミミズ腫れが出てきた。

長期休暇明けに普通級から支援級にうつったパンダちゃんの肌はきれいになりました。
宿題は、放課後デイでのちょっとした自由時間内に自分でできる内容・量に変わっていました。
塗り絵の所望はもうされません。

新しい活動にはとりあえず「できない」と言っていたのが「わたしもやりたい」に変わり、積極性が高まりました。
ちょっと歩いただけで「レゴがいいのに。公園になんて行きたくない。疲れた」と泣いていたのが、ニコニコのまま公園まで元気に歩くようになりました。

憑き物が落ちたかのように、みんなと楽しく過ごせるようになったパンダちゃん。
というか、「なった」んじゃなくて「戻った」ですよね。
もともとあった積極性が、日々の宿題によるストレスで削がれまくっていたのではないでしょうか。

毎日毎日「できない」という思いをさせられる。

これ、自分がやりたいこと。たとえば、レゴで大作作りたいんだけどうまくいかないとかであれば、それが毎日続いたって「どうしたら作れるかな?」と楽しんで取り組めると思うんですよ。
でも、自分がやりたくもないものを毎日課せられて、できなくて、それを責められて…。(なんで体罰認定されないの?!)

支援級にうつったパンダちゃんですが、当時の担任が宿題の量を配慮をする先生のクラスであったら、普通級に在籍し続けられたのでは??と思うことがあります。
環境が障害をつくるってこういうことかな。

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