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自分を雲の上から見ていた。


自分を雲の上から見ていた。

と言ってしまうと大袈裟なのですが、最近私の一部には、きっと私がこの世界で生きている、動いているところを、第三者的な目線で見ている私がいてくれているのかも。と思いました。

そのきっかけは、この1週間仙台で参加していたColorbathとは別の短期インターンシップで、自分のことを第三者視点から見ている自分に気づいたことです。

最初は、単純に「あ、自分、世間一般の就活をしている学生より目上の人に対する振る舞い方のクオリティや、咄嗟に出てしまう言葉選びが子供だ」とか、「職員の方にも物怖じせず自分の意見や想いをかなりストレートにぶつけることは出来ている」とか、「会話を続けるにあたって『でも、私〜』から始めてしまうことが多くて改善しないとな」という気づきでした。

でも、これらの気づきを自分の中で咀嚼しているとき、この気づきたちって自分が動いている目線から得たものではないということに気が付き、そっちを深堀ってしまったんですね。

今まで、自分の強みとして、周りの状況を俯瞰してみることが出来るというのはあるのかなと認識していました。ただ、今回の気づきは、自分が主体となって状況をみて得たものではなく、自分が主体とは少し別の存在の、客体として主体の私を見た時に得られるもので、周りの状況というより周りの状況も含めた自分自身が存在する空間を雲の上から見ているときの気づきだなぁと思いました。

それで、今までもきっと雲の上視点の私がいて、気づいてくれたことのおかげで改善できたことや成長できたことはあったのかも!と思って、その共通点を考えてみました。

あんまり意識したことがなかったので、考察にすぎないのですが、多分この雲の上視点の私が出てきて主体の私にヒントをくれるのは、誰かと一緒に何かをしている時なんだと思います。

そして、よく良く考えれば考えるほど、実は雲の上視点の私なんていなくて、きっと主体の私が常に自分と他人の違いを探して、そこからなりたい自分の姿を思い描いているだけだったんだな〜と思いました。他人との違いを受け入れる/受け入れないということではなく、単純に、自分と他人はこういうところが違うという気付きからこの人にあるこういうところが自分にもあったらいいな、自分のこの部分はいいかも!と考える、そんなシンプルなことだったのかなと。それに加えて、何かを経験したあと、外に向いた視野を最終的に自己に戻して、自分を中心に考え直す作業をすることでその時には見えなかったことにも気づけるのだと思います。(自分がそこまで気づけているかどうかは分かりませんが。)

だから、日々気付きを得られて、自分の当たり前のレベルを上げていけることは私に関わってくれる誰かのおかげです。ありがとうございます。


もっと成長していくためには、もっと外に出て何かを経験すること、と思いがちだけど、ひとりの時間を作ってその時間を大事にすることも忘れずに残りの夏休みを過ごしていきたいところです☺️


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