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恋の先にあるもの


皆さん明けましておめでとうございます!
今年はnoteを積極的に更新するつもりですので
ぜひ見に来てください^^
本年もよろしくお願いします!

さてさて本題。

年末年始は家族といっしょに過ごすため、地元に帰省した。
家族以外にも高校の同期や当時の担任の先生に挨拶に行ったりもしたが、高校生の時の“モトカレ“にも会う機会があった。

たまたまわたしのSNSを見てくれていた彼が久々に会いたいという連絡をしてきてくれて、
という流れだった

実は彼と会うのは高校3年生の時にお別れしてから今回で2度目。どういう経緯かは忘れたが、昨年の年始も一緒に呑みに行った。

中には、元恋人同士だったふたりがわざわざ
会う約束をして昔話や近況を話す行動に違和感を感じる人たちもいるだろう、
そう思う気持ちも十分わかる。

それでも私は「彼と出逢ってお付き合いしたことが、少なからず今の自分をつくるひとつの要素になっている」と思うのだ

だからこそもう一度会って、わたしが成長した姿を見せたいし彼がいま何をしているのか、将来何を目指しているのかを知りたい。
そしてあの時はありがとうと言いたい。

だが正直なところ、会うまでいろんなことを考えた。
遊び人になってたらどうしよう
チャラチャラした人になってたらどうしよう
不真面目になってたらどうしよう

わたしにはもう関係ないのにおかしいな。
でも一度は好きになった人だ、今でも真っ当な人であってほしいと思うのは変だろうか。
うーん、恋愛って一種の脳のバグなのかも。

そんな無駄な心配を胸に、彼と再会を果たした
わけだが、結論からして、彼は良くも悪くも
まったく変わっていなかった。

相変わらずバカがつくほど正直で、素直で、根は真面目で、呆れるほどポジティブだった

「ああ、高校生のわたしはこの人に恋してたんだあ。恋も時間も何ひとつ無駄じゃなかった、この人で良かったんだ」と思うと同時に
「あの頃の決断はやっぱり正しかった」とも思った。

初々しい高校生の頃の、たった数ヶ月間の淡い恋愛だったが、彼のおかげで、彼との恋愛を通して私は自分自身を知ることができた。


今回再会したときも同じだ。
今は恋愛感情のないただの友達でも、それは
ある意味ただの“特別な友達”で、
忘れていた過去の記憶を蘇らせてくれ、
過去の自分と今の自分の違いを教えてくれる
自分はあの頃とは違ってこんなにも成長して大人に近づいたんだと思わせてくれて、
そうやってまた新しい自分を知るきっかけをくれる

恋はひとを成長させる、と言われるのはこのような理由からなんだろうか

恋の先にあるもの、それは「自分を知ること」。
これは過去の恋愛にも今現在の恋愛にも
双方に言えることだろう

ひとを好きになることが自分自身を知ることに繋がるって、文字に起こすととても素晴らしいことのように思える。

そうやって、再び自分を見つめ直すきっかけをくれた彼に感謝したい。

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