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昔見た黎明の話

帰る家を失った日のことを覚えている。
17歳になってすぐの、高校3年生にあがる春だった。
ギャンブル中毒とアルコール中毒を極めきった父親が、とうとう姿を見せなくなったと思いきや多額の借金が発覚し、配偶者の印鑑も持ち出していたことも判明し、色々と立ち行かなくなっての結果だった。
逃亡から3ヶ月もしないうちに市内のパチンコ屋で見つかった父親は最後まで抵抗していたらしいが、結局離婚と自己破産以外を選ぶことはできず、そこから5年と経たずに糖尿病を拗らせ急逝する。
自信家で、虚勢を張るのが好きで、自分に出来ないことは何もないと根拠なく信じながらも、困ったときに打開策を考え実行する勇気や行動力はなく、いつか転がり込んでくるかもしれない幸運や差し伸べられるかもしれない誰かの手助けをずっと待っているような人だった。人生の反面教師にするには充分の、私にとって最大のしくじり系先生である父のことを、それでも私は決して嫌いではなかった。
もちろんその後、金の無心があるたびに軽く破滅を願ったものだが、実際本当に早々と亡くなってしまったからかもしれない。5年後の葬式にて、そこから亡くなる直前まで叔母に重ねていた借金が4桁近くまで増えていたことを聞かされ、どうにか生き返らせて5〜6発殴れないかなどと少し思いはしたものの、以降も墓参りを欠かしたことはない。
自分と同じ境遇の人が、今現在も悩まされている話を聞いてゾッとすることはよくある。

ともかくバブルが弾けた後のサラ金全盛期の中、私は実家を失った。当時借金のカタとして絶好の標的だったらしい女子高生なんて身分であったからか、私は通っていた高校近くの母方祖父母の家に預けられることとなった。

そんな事態になる前から家にお金がないなんて分かりきっており、だからこそバイト漬けの日々だった私だが、片道1時間かかる通学は毎日ほぼ寝ているのが常だった。生まれ故郷の田舎町は隣りの市に行くのにも山を2つ3つ越える必要があり、海岸沿いを走る半島唯一の電車は1時間に1本。何度も何度もトンネルを抜けた先に、通う高校と祖父母が住む街があった。
仮眠をとれば、いつも1時間などすぐだった。
でもその日の朝だけは、ずっと起きていた。

もともとあまり悩まない質の私は、悲観することも少なかった。中間子で放っておかれたせいか、何事にも執着心が薄い方だった。
生まれ育った実家が取り壊され人手に渡ることになっても、家族がばらばらになっても、少しずつ集めていた本や貯金を手放すことになっても、高校を卒業したら進学は諦めて弟のために日銭を稼げと言われても、反発心は微塵も湧かず、仕方がないと受け入れた。高校卒業も諦めようと思っていたくらいだったから、むしろまだあと1年女子高生やれてラッキーだと思った。
というか、当時そんな状況で私立短大に通っていた姉が、仕送りがなくなったことで出戻ってきたと思いきや、反発しまくって半年も経たないうちに色々とこちらに押し付けて出奔した際、逆に驚いたくらいだった。今思えばあの生き様は正しくもある。

まあどうにかなると思っていた。生きていれば上手くいかないときはあるし、何かを失くすこともある。
置き勉常習犯だった私は数日分の衣類だけ持って、お気に入りのセーラー服でいつも通り、いつもより早い時間、生まれて初めて始発の電車に乗った。

故郷は海辺の町だった。
朝日が海から昇り、西の山ごと半島を越え、夕方見えないところでまた海に沈んで行く。そういうところで育った。
潮風の匂いもベタつきもあることが当たり前すぎて、住む人はそれに気づくこともない。過疎化が進み、平日の早朝ともなれば駅に人気はほとんどなかった。
電車が動き出してすぐに、海と、水平線上に明け方の空が見えた。薄い青と少しのオレンジ色。
別段珍しい景色ではない。穏やかな波も変わらない。
トンネルに入り、抜けたら同じ海と次の駅。
またトンネルに入り、抜けたらまた海。
延々と繰り返される光景をずっと見ていた。

一番長いトンネルを抜けたら、最後にもう一度海が見えて、そこを越え、電車を乗り換えて数十分もすれば目的の駅だった。

車窓の外で、長い暗闇があけた。
目に映ったのは、海よりも手前。
視界いっぱいに広がる、遠くの入り江からずっと目前まで、何千と立ち並ぶ、家だった。

別にジェノヴァでもサントリーニ島でもない、日本の田舎の港町に敷き詰められた家の数々は、その日までまるで私の視界に入ることはなかった。
あることが当たり前だった。
自分の家だろうと他人の家だろうとその存在を強く意識することはほとんどなく、目に入らないくらい、あって当たり前だった。
それが幸せなことだったのだと、初めて私は知った。
連なる屋根の色も、近づかなければ模様のわからない外壁も、さまざまな家の中で、団欒したり喧嘩をしたりそれぞれの家庭それぞれに歴史や理由や現状があって、おそらく私の知らない幸福と問題を抱えている。
いつか取り戻したいなんて、とても思えなかった。
むしろ手に入れることは失うことであり、恐ろしいことだと、身に染み入るようだった。

それでも、夜明けの沿岸まで続く、車窓を埋め尽くすような家々は、その後見た、どんな景色よりも眩しく美しかった。
たくさんの家。そのひとつだった。
きっと二度と、手に入ることはない。

シャッターに似たトンネルに遮られ消えたあとも、光は瞳に焼きついて離れず、目は眩むばかりだった。

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