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【note創作大賞2024応募作品】Monument(第5話)

第二章(2/4)

眞琴

 森ノ宮さんがやってきたのは、きっかり一週間後の月曜だった。

 てっきり車椅子で現れるかと思いきや、彼女はスタスタ歩いて教壇に上ると、丁寧な筆運びで黒板に名前を記し、あたしたち五年四組に向き直った。

「森ノ宮香澄です」

 第一声が、凜と響いた。


 彼女の第一印象を言葉にすれば、「垢抜けた」の一語に尽きる。

 紺と白とでまとめられた装い。
 襟元に結ばれた、細いタイ。
 バレッタでとめた、長い黒髪。
 知らずに外ですれ違ったら高校生、とはいわないまでも中学生には見えたろう。

 黄色い帽子にランドセルを背負って歩く姿を想像すると、むしろ滑稽に思えてしまうくらい、彼女は大人びてみえた。


「ずっと病院で療養していました。学校に通うのは、これが初めてです。戸惑うことも多いと思います。ご迷惑をおかけすることも、きっとあると思います。一日も早く学校生活に慣れて、皆さんと同じ五年生として恥ずかしくない振る舞いを身につけられるよう努力します。いろいろと教えてください。よろしくお願いします」

 深々と腰を折る彼女の所作には、子供離れした気品があった。


 森ノ宮さんと共にする学校生活は、いい意味で予想を大きく裏切った。

 彼女は車椅子なんかまったく使うことなく、いつも自分の足で歩いた。掃除も給食当番も要領よくのみ込んで、なんでも自分から進んでやった。身体を動かすと、すぐ息が上がってしまうようだったけれど、その時々でできることを自ら探し、いつも率先して行動していた。

 国語、算数、理科、社会。
 勉強は、完璧だった。
 体育の授業は見学しながら、スケッチブックにクロッキー。画題は、「あたしたち」だ。
 静物や風景画なら、あたしにも自信はあったけど、彼女の躍動感あふれる人物描写には舌を巻いた。
 図工の時間は、いうまでもない。

 音楽で歌うと、彼女はすぐに息切れを起こした。リコーダーも、ハーモニカも吹けない。
 けれど、彼女はピアノが弾けた。

「どこで習ったの?」
「母に手ほどきしてもらいました」
「病院でピアノを?!」
「はい。電子ピアノですけれど」

 お母さんは音大卒だそうだ。

 家庭科の針仕事は、得意みたいだった。課題を早々に仕上げると、彼女は一心に刺繍に励んだ。
 これも病室での退屈しのぎだったらしい。


 少し大人びた優等生。

 一言でいえば、それが「森ノ宮さん」だった。
 なのに、なにかが引っかかってならない。
 言葉にならない、それがなんなのか、なぜなのか。

 強いて言えば、彼女が纏う小学生らしからぬ雰囲気、といえばいいのだろうか?

 この違和感の正体は、きっとそれに違いない。
 そうあたし自身を納得させるのに十分過ぎるほど、彼女はいつも和やかで朗らかで、なにより前向きだった。

 そしてあたしは彼女を、他人行儀な「森ノ宮さん」から、あたしの友達「香澄」へと呼び換える、そんな機会を密かにうかがい始めていた。

 でも、その日が訪れてくれたのは、ずっと後のことだった。

「おはようございます、毬野さん」

 今朝も森ノ宮は、水槽の前にいた。

「おはよう。餌やりも済ませてくれたんだ」
「はい。すみません、勝手なことをしてしまって」
「いや、助かるよ」

 照明もポンプも、もうスイッチが入っていた。水面には、ほどよい量の餌が浮かび、メダカたちが群がっている。

「餌の分量も、ちょうどいいよ。家でなにか飼っているの?」
「ずっと前ですけれど、病室で熱帯魚を」
「へえ、魚が好きなんだ?」

 それには答えず、森ノ宮はじっと水槽を見つめたままだ。 水温を確かめようと水槽に近づけたぼくの顔の隣に、森ノ宮が並んで映った。ぼくはあわてて――森ノ宮に気付かれないよう、そっと――少しだけ身体を離した。


 メダカの世話を教えたのは、森ノ宮がやってきて二日目の朝だった。

 一学期、ぼくは理科係で、少しだけ早く登校して授業で使うメダカの世話をしていた。
 その日も森ノ宮は、熱心に水槽をのぞき込んでいた。
 黙っているのも気詰まりで、一通り作業を説明したら、翌朝からぼくにはすることがなくなった。
 メダカの世話は、森ノ宮がすっかり済ませてくれていたからだ。

 今朝も森ノ宮は、水槽の前を離れようとしない。
 いったい何を見ているんだろう?
 距離に気をつけながら、ぼくは森ノ宮の視線の先をうかがった。

 それは明らかに様子のおかしい、一匹のメダカに注がれていた。
 水面に浮かんだ餌をついばもうともがきながら、ポンプの気泡や、フィルターから戻ってくる水流に翻弄されて、ぐるぐる回ってしまっている。

 背骨が少し曲がっていた。前にも見たことがある。
 こうなるともう、長くはもたない。

 それを憐れむでもなく、無論、面白がるでもなく。
 森ノ宮の真剣な眼差しに、いつの間にか引き寄せられていたらしい。
 ガラスに浮かんだ森ノ宮の瞳が、ひたりとぼくを捉えた。

「ごめん。なんでもない」
 ぼくは自分の席へ戻ると、居心地悪く机の中を整理するふりをした。


「あの、すみません。毬野さん。うかがってもよろしいですか?」
「えっ? ああ、なに?」

 声に弾かれて振り返る。
 森ノ宮が口を開いた。

「メダカのお世話って、一年中されているんですか?」
 ぼくは、こっそり安堵した。
「ううん。今月末――理科の授業でメダカの単元が終わるまで」

 さっき、横顔を盗み見ていた。それを咎められるのでは。
 てっきり、そう思い込んでいたぼくは、自分でもわかるほど早口になった。

 メダカたちが普段は校庭の池にいて、授業に必要な数だけ捕まえてきたこと。
 メダカの単元が終われば、元通り池に戻すこと。
 外の池の中なんかより、ヒーターで水温が保たれた、この水槽の中のほうがよっぽど快適だろう、なんて軽口まで添えて。

「よかった。毎朝早くて大変そうでしたから。あの、もしよかったら、明日から代わりましょうか。メダカのお世話」
「ありがとう。でも、これは理科係の仕事だから、やっぱりぼくがやらないとね。あっ、手伝ってくれて、ほんとに助かってるんだ。だけど、ええっと……その」

「おはよう、毬野。森ノ宮さんも」
「おはよー、毬ちゃん、香澄ちゃん」

 しどろもどろになっていたところへ、眞琴と麦が登校してくる。

「おはようございます。黛さん、麦谷さん」
「毬野、今日は日直よろしくね。あっ、森ノ宮さん。あたしたちのやること、なんとなくでいいから見ておいて。明日、啓太郎と日直だから」
「はい、よろしくお願いします」
「啓太郎も、一緒に確認。いい?」
「へーい」

 やる気なさげな啓太郎の返事に眞琴がかみつき、森ノ宮がとりなす。

 黄ばんだカーテンを膨らませる春風に、もう冷たさはない。
 湿気った土と、若草の青い香りが乗っていた。

眞琴

 森ノ宮さんは、いつも真っ先に教室にいた。
 お母さんが出勤前に、彼女を車で送ってくる。それがあたしたちの登校よりも、ずっと早かったからだ。
 そして最終下校時刻が過ぎても、校内に残る特別な許可を得ていた。仕事を終えたお母さんが、彼女を迎えにやって来るまで。

 放課後、森ノ宮さんは図書室で時間を過ごす。
 先に下校してしまうのも気が引けて、あたしたちも図書室で彼女と時を共にするようになった。

 不平たらたらの啓太郎をなだめすかして、まずは真っ先に宿題を片付ける。あとは、自由だ。

 男二人は、松平先生と相談しながら、なにやら電子工作を進めているらしい。図書室との間を行ったり来たりしている。

 あたしは調べものに熱中していた。

 去年、粘土山――丘に粘土質の地層が露出したところの通り名だ――のふもとでヘイケボタルの生息する沢を見つけた。
 それを夏休みの自由研究にできないか。
 観察の方法や、その生態、飼育と、研究計画をまとめているところだ。

 森ノ宮さんは、窓辺の机の端っこで、大判の本を繰っている。

 あたしはホタルの図鑑を棚へ戻しながら、さりげなく彼女の手元をうかがった。

 見開き一杯に広がる、夏の銀河。鮮やかに二筋、流星が夜空を切り裂いている。星空の写真集らしい。


 あたしはちょっぴり誇らしくなった。

 他を圧して棚に二段と半分ほどを占める天文関係の本――特に写真集は、あたしが司書の先生に頼んで取り寄せてもらったものが多かったからだ。

 二年前、緑地公園の科学館にプラネタリウムがオープンした。
 学校行事で訪れて以来、壮麗な星空と、それを彩る神々の物語に、あたしはすっかり魅了され、そのとりこになっていた。


「星が好きなの?」
 たまらず、あたしは訊いてみた。
「はい。流れ星が観てみたくって」
 はっと顔を上げた森ノ宮さんは静かに本を閉じ、いつになくおずおずとつづけた。
「前に、母が話してくれたんです。父と知り合ったころ、夏の高原で次々星が流れるのを観た、って」

 たぶん、ペルセウス座流星群のことだろう。

「流れ星を探して、わたしも病室から夜空を見上げたことがありました」

 こんな風に森ノ宮さんが、進んで自分のことを話してくれたのは、この時がたぶん初めてだった。

「で、見えた? 流れ星」
「いいえ、ぜんぜん。星も、数えるくらいしか観えなくて」

 大きな病院があるようなところでは、きっとそうだろう。よほど明るい星でもない限り、町の明かりに埋もれてしまう。丘に囲まれたこの辺りでも、四等星がやっとだ。

 森ノ宮さんは、写真集の表紙に、そっと手を添えた。

「一度でいいから、この本みたいな星空を眺めてみたいです」
「ホントに?」

 本棚の陰から、ひょっこりと啓太郎が顔をのぞかせた。

「聞いてたの? 啓太郎」

 てっきり理科準備室かと思っていたのに、立ち聞きだなんて悪趣味が過ぎる。 
 森ノ宮さんも驚いたのだろう。胸の上に両手を重ねていた。

「ねえ、ホントに観てみたい? 満天の星空」
「はい」
「ホントにホント?」
「観てみたいです。きっと、素敵だと思います」
「じゃあさ、一緒に観に行かない?」
「はい。あ、でも、すみません。わたし遠出はできないし、夜の外出も」
「へーき、へーき。近所だし。昼間だったらいいんでしょ? 観られるよ。もちろん流星だって」

 啓太郎の目配せに後押しされて、あたしも森ノ宮さんを誘った。

「ねえ、一緒に行かない? プラネタリウム」

 試作品のハンダをやり直し、立ち昇ったヤニの煙を吹き払う。

 麦のハンダは、ちょっと温度が高過ぎだ。球になってしまって、しっかり部品とくっついていない。

 やつが持ってきた、科学雑誌の発光ダイオード点滅回路。
 手本を見せていたつもりだったのに「飼育委員会の仕事を思い出した」とかなんとか言い出したかと思えば、麦は、そそくさと退散した。

 もうじき、最終下校時刻。
 ウサギ小屋の修繕とやらが順調に終わっていれば、行き先はひとつしかない。


 図書室をのぞくと、思った通り麦がいた。
 森ノ宮を囲んで、珍しく話が弾んでいるようだ。

「プラネタリウム。星を投影する機械。ホントの星空じゃないけど、すっごく綺麗なんだ。どう、一緒に?」
「すみません。行ってみたいけど、休日はしっかり身体を休めなさいって、お医者様からいわれていて」
「だったら、次の三連休の最終日はどう? 土日の二日は、しっかり休んで。で、その翌日の月曜日」

 らしくもなく、麦が食い下がる。

「うん。そうだよ。午前中の投影なら、午後はお家でゆっくりできるし――ねえ、毬野?」
「えっ? ああ。うん」

 反射的に、賛成みたいな答えになった。

「でも、母がなんて言うか……」

 ここのところ、月一のプラネタリウム通いが続いていた。
 眞琴の誘いを断り切れずに、というのが実状だ。
 それに森ノ宮を誘うこと自体はかまわない。
 でも、森ノ宮には森ノ宮の休日の過ごし方があるのだろうし、ぼくはどちらかと言えば、森ノ宮の考えを尊重したかった。


 第一、仮に四人そろってプラネタリウムへ行くにしても、二人は大切なことを忘れている。

 移動手段だ。

 森ノ宮が自転車に乗れる、なんてことは、万に一つもないだろう。
 特別教室や体育館への移動だけでも、息継ぎで休み時間の大半を費やしてしまう森ノ宮のことだ。
 徒歩、も難しい。
 となれば、残るは車椅子。
 森ノ宮を家まで迎えにいって、車椅子を押しながら公園へ向かう。

 所要時間も考えないといけない。
 長距離の移動、ともなれば、森ノ宮の体調だって気に掛かかる。
 体育の見学では、古びた大きな麦わら帽子を欠かさない森ノ宮のこと。
 長くても三十分以内には収めたい。

 でも、この辺りは起伏が激しい。
 急坂や階段を避けるなら、道のりはさらに遠くなる。
 車椅子を押しながらでは、歩く速度も違ってこよう。

 ――ところで、森ノ宮の家って、どこだっけ。


『最終下校時刻になりました。校内に残っている児童は、速やかに下校してください。繰り返します……』

 下校放送の「新世界より」が流れ始めた。

「じゃあね、森ノ宮さん。また明日。プラネタリウムのこと、お母さんに相談してみてね」

 三人で図書室を後にする。
 手を振る森ノ宮の姿が見えなくなると、とたんに、
「ねえねえ、毬ちゃん。ちょっと」
 ぼくの首に腕をからげて、麦が耳元で声をひそめた。

 虫が知らせた。どうせ、ろくな話じゃあるまい。

 悪い予感だけは、よく当たる。
 案の定、麦はとんでもないことを言い出した。

(つづく)

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