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日記 

日記 夢

 取り留めもない夢を見る。なんだかよくわからないタイミングで急に目が覚めて起き上がり、トイレに行っておしっこを終えるともう内容を忘れている。今、なんの夢を見ていたのか、唯一頼りだった断片的な部分のいろいろが徐々に薄くなってゆきもう思い出せなくなっている。そしていつも何か大事なものを忘れていくような気がする。
 
 たまに泣いていることがある。起きた瞬間に頬が冷たくて泣いていたことに気づく。ショッキングな夢は、頭の中にぼやぼやと残存として揺らいでいる。そういう夢はイメージが強いから朝食の時間ぐらいまでは残っているけど、これも結局1日経ってしまえば輪郭のない記憶に代わり、1週間も経てば怖かったことも忘れる。

 夢は、潜在的な意識の中で強く思ってること、また思ってはいないのに心の内に強くあり続ける記憶によって作られるらしい。だから良いことも悪いことも、どちらも当然急に現れ予防することはできない。自分を形成してる何かが夢によって作られ、時々、自分はまだこんなことを思っていたのか驚き落胆する。夢を見ない日は少ない、夢を見終え起床するまでが、昨日であったと思っている。

日記 雨

 雨が降っている、今日は外に出たくない。だけど友達と遊ぶのを約束してしまったから今さらキャンセルするわけにもいかない。当然だが仕事を始めれば、今日は雨が降っているから行かないなんてことはできない。僕はまだ大学生だから、最悪、大学は雨を理由に行かないことを選ぶことができる。仕事はそれが効かない。それだけで十分社会人になりたくない理由になり得る。

 雨だ。靴が濡れ服はダメになり傘は明日ベランダで干しとかなきゃいけない不幸が生まれる。今日を楽しむことができない原因は雨のせいにすればいい。傘が重く、行き交う人々が窮屈で、靴が重く、せっかく一緒に来たのに近くに寄って喋りながら歩くこともできない。
最悪な気分は雨がつくる。悪い気分の絵文字マークも☔️で表すことも多いだろう。

 雨なのに君は楽しそうにみえる。僕は雨が嫌いだからいつもよりテンションが低いが、君はそうはみえない。多分天候ごときでテンションが左右される僕みたいな子供じゃないんだろう君は。ずっと大人で物事を冷静にみることができる聡明な人だ。いつも偉そうなことをいってる僕よりもずっと偉いと思う。雨は君の人間の良さと、そういう性格が好きだということを思い出させてくれる、その点でいえば僕は雨を恨むことはできない。

日記 朝

 猫がこちらに気づいた、警戒するように見つめてくる。辺りを見渡して誰もいないことを確認してから猫と向き合う。今は朝、互いに距離感を保ち、僕は左右に身体を揺らしている。薄茶色と黒が混じった眼が瞬き一つせずこちらが動くのを捉えている。これが朝の距離感。

 雲一つない空のパステルブルー、立春。連なる戸建群、見える大きな大学病院、田舎の駅看板、四隅に座る優先席、灰色の送電塔、小山の中に佇む白と赤の高い棒の何かの塔、向かいに座る外国人男性は薄茶色の髪を後ろに結び顎髭を伸ばして、こんな季節だというのに半袖を着ている。

 平日の朝、家の近くを散歩をするとすれ違う老人の大体はマスクをしている。視線を落とし、あくまで互いに干渉しないよう意識した空気の振れ幅がおこり、何も起こることなく僕らは行き違い去っていく。健康を意識した高齢者たちの習慣とも呼べる散歩によってつくられた治安の空間、気怠い平和に満ちた酸素が漂っている。

 電車の隣の席、赤ちゃん抱えたお母さん。僕の右太腿ら辺を時々ずんぐりむっくりされるなぁと思ったら、赤ちゃんが自然に足をぎゅうぎゅう押したり引っ込めたりしていたせいだとわかった。思わず少し笑みが溢れた朝。

日記 東京

 今日は代官山に行った。オシャレなお店が沢山並んでいて歩く人達は皆綺麗に着飾っている。こういうところに行くと私も街の一部と化して綺麗になった気になる。だけど細部を見ていくと、歩く女の子やショップの店員は皆しっかり綺麗な容姿をしている。代官山では、私は私を勘違いしてしまうが、彼女達は勘違いすることもないのだと感じる。

 たまにとんでもなく綺麗な人を電車で見る。今日、六本木で降りた彼女は骨格から綺麗を纏ったような美しさがあった。彼女たちにとって自らの容姿+ステータスは東京で眩しいほどに輝いているのだろう。田舎街から上ってきた私にとって信じがたい現実がそこにある。

 アイドルを追いかけている。今日は銀座でアイドルとスポンサー契約してるメーカーの
広告イベントが開催されていたから行ってきた。知らない人達でも同じアイドルを好きな一体感と安心感がある。東京にいけばこういう場面が沢山ある。退屈な日常に色をつけるようなイベントが溢れる東京に田舎出身の私は常に憧れを抱いている。

日記 雪

 さっきまでみぞれだったのに途端に雪に変わった。改めて不思議な天候だと思う。地に積もり人々の足に踏まれていけば黒ずんでしまう一方、空からつらつらと降ってくる白い結晶は透明で脆く綺麗だ。雪化粧、雪美人、雪肌、綺麗なもののイメージは雪で表すことも多い。積もるまでの雪がもつ綺麗さはある種の儚さと脆さを孕んでいる。そういう気候なのだと思う、雪は。

 子供の頃は雪が降っているとテンションが上がった。学校に行けば友達との遊びのレパートリーが増えるからだ。雪合戦、雪だるま作り、雪を使った遊びは多いし非日常感が楽しい。しかし大人になってしまうと途端にめんどくさい気候に変わる。雪が降っていると思わず舌打ちしてしまうことも少なくないし、電車が動かなくなることもあるので嫌な気候という印象に変わる。今まで雪が降ったいつの日かが、子供から大人への境界線だったのだと思っている。

 警戒級の大雪が降る、と朝の天気予報でニュースキャスターが言っていた。久々の雪だ、あんまり意識していなかったけど雪ってたまに降るから面白い。路面は凍結して滑りやすくなるから気をつけねばならないし、木々に積もる雪の落雪に気を使わねばならない。全く面倒くさい気がしてくる、雨ならば傘をさせばいいが、雪が降ってるから傘をさすのはいささか文化的に思えない。ただいま雪が降ってきた。皆、仕方ないといったふうに傘をさす。前を歩く女子高生は傘をさしておらず、彼女の黒髪に溶けていく雪。

日記 夜

 トリスと炭酸水、ちょっといいアイスクリームとおやつカルパスとじゃがりこ+有料のレジ袋。自分へのご褒美はなるべくいいものにしなければ、自分が救われないのでたまにやってるこの生活。人間的な生活とは多分こういうことで、文化的な生活とはこの帰り道にスキップをすることである。ご褒美&夜中のスキップ、これが最低限度の生活。

 目を閉じてまどろみ気付いたらもう1時間経ったのに寝れない夜が定期的にある。寝れないのは、将来の不安、減っていく金、つまらない容姿、ローテンションが続く生活、過ぎる時間だけ見逃しているこの現状のせいか、それとも単に頭が冴えるのか。少し空いたカーテンを閉め冷気をシャットダウンして、冷え性だから足元が気になる夜。

 真っ暗な部屋でブルーライトが顔を照らし画面を見続けているのは、お化けではなく私であり、この生活を続けていれば目も悪くなるし眠りも浅くなるしいいことが一つもないことは知っている。しかし、眠くなるタイミングはいつもブルーライトを浴びている最中にある。寝ようと思って寝ないように、できれば明日の仕事に行けないように、優等生じゃない大人の夜の越し方。

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