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得意分野の絶望感

noto初めて一週間ぶりに書いてみたいと思う。
 今日も推しの子のことなのだか、推しの子の小説が面白かった。なぜなら内容はB小町メンバーの独白録であるのだが、共感することが沢山あった。
 このB小町メンバーの人はピアノを弾けたりしてB小町の中で頑張っていたのだけど、結局はピアノやアイドルでも活躍出来ずに、会社員になってしまった。
 このことはB小町メンバーが独白しているのだが「ピアノを弾けたりアイドル活動をやっても上には上がいてその人の足元に届かない」と述べている。このことは実際の私も心に刺さった。
 事実私は歴史がとても出来た。学校のテストは勿論のこと、人に歴史を教えて興味を持ってくれた時はとても嬉しく自分の自信に繋がった。そして歴史をもっと知りたいと考え大学院に進もとも考え親も大学院に進むということを期待していた。
 しかし実際に歴史の研究をしてみようと考え自信を持っていて張り切ってみたが、大学院の先輩や教授の授業を除いてみるととても太刀打ち出来ないという絶望感に叩き落とされた。なぜなら教授は勿論のこと大学院の先輩に歴史のことを訪ねてみたら、初めて聞く人物や歴史の裏側まで教えてくれたためとてつもない知識量だと思いししり「この人達でも苦しむ歴史の研究は計り知れない」と思いしらされ私は単なる歴史好きの一人だということを叩きつけられたのである。
 そして最終的には諦めの如く大学院に進まなかったのである。
 そのためこの経験がB小町のメンバーと一緒で「単なる人」というこに共感してしまいとても絶望を味わされた。
 そう考えると今何気なく仕事している人や生きてる人をみると表には見せないが、自分の得意で人に見せられることがあっても上にいる人の才能に絶望し違うことをやっている人はこの世界に溢れているものだと思うようになり、人は表には出さないが何かしらの絶望を経験しなが生きてると考えるようになった。

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