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冒険ダイヤル 第19話 赤い靴

翌日、太陽が真上に来る頃、駿と絵馬は箱根湯本駅のホームに降り立った。すぐ近くが改札なのだが、ふたりはそちらへ向かわず一旦立ち止まった。
「暑いね」
「暑いな」

絵馬はつば広の帽子とサングラスにすみれ色のワンピースというリゾート感満載のいでたちだ。
帽子からほんの少しだけ肩にこぼれた髪が儚げで、小柄な彼女をいっそう華奢に見せている。
 
駿はなんの変哲もない無地のシャツとジーンズだが、何を着ても高級品に見える羨ましいスタイルのおかげで絵馬と並んでも見劣りしない。
まあまあお似合いのカップルに見える。
絵馬のふくれっつらさえなければ。

「せっかく観光地に来るならふーちゃんと一緒が良かった」
「そうだろうな」
「学校休んであんたと出かけることになるなんて思わなかった」
不平を言いつつも深海の頼みを断れなかったようだ。

絵馬の意外な義理堅さに駿はひそかに感心していた。
もっと自分本位な子だと思っていたからだ。
しかしあからさまにがっかりされて悔しいのと、どうして悔しいのか自分でも納得がいかないのとで駿も不機嫌だった。

「十二時には着くって魁人くんに伝えたよね?」
「あいつが自分で提案したんだから時間は守るよ」
絵馬は唇を尖らせた。
「ふーちゃんがどうしてあたしにこの役をやらせるのかまだよくわかんないんだけど、説明してくれない?」
「おれは反対したんだけどな」
説明がめんどうだったので駿は話をそらした。

「ところで親になんて言って来たんだ?」
「ありのまま話してわかってもらったよ。ふーちゃんと一緒ならいいって言われた。友だちの友だちは大事にしなさいって」
「へえ、理解あるな」
「あたし、普段の行いが良いから」
 
駿と深海の両親は魁人の一家が消えた事件に心を痛めていたので、むしろ消息をつかんで欲しいと考えているらしく「事情がわかったらすぐに報告しなさい」と背中を押してくれた。
 
絵馬は虚ろな目をしてバッグをなでた。
なにか独り言を言っている。
「頑張れあたし。ルイくんのアクスタ持ってるから誰が一緒でもおんなじよ。ルイくんとおでかけしてると思えばいいの」
「何の話だよ」
駿は首を傾げていたがポケットから通知音がしてスマホを取り出した。
「あ、陸から連絡きた」
メッセージをチェックする。

「エマ、なるべく下向いててくれって。サングラス外さないで」
「ほんとに見えてるのかな?」
「服が似合ってるってさ」
そう言われて絵馬は少し気を良くしたらしい。
「あたしたち幼馴染に見えるかな?」
「見えるように頼むよ」
人の波に巻き込まれないように売店前のスペースに陣取って、ふたりは次の指示を待っていた。

   *

「いいなあエマちゃんは可愛くて」
深海はスマホのカメラをズームにして窓の下を眺めた。
「僕は今日のふかみちゃんも格好いいと思うけど」
陸はにこにこしながらカフェのテーブルに頬杖をついてこちらを見ている。

彼の茶色い髪は日に焼けて毛先が金色になりかけていた。
どことなくふわっとした動物をイメージさせる。
絵馬たちより先に着くために早起きしたせいか寝癖がついたままで、後頭部がアニメのキャラクターみたいに跳ね上がっていた。

「ありがとう。でも、いつもこんな私服ってわけじゃないからね」
今日の深海は作業用の地味なツナギに黒いキャップを目深にかぶっていた。海洋生物の調査研究をしているお父さんから借りてきたものだ。
ショートヘアですらりと背が高い深海は遠目には男性に見えた。
何かの整備業者が制服のまま休憩しにカフェに来ている雰囲気だった。
 
このカフェは箱根湯本駅の構内にあってホームから階段を昇ってすぐの場所に位置している。
深海と陸が座った窓際の席と窓ガラスの間にずらりと鉄道模型が展示されていて、そのすき間を覗くとホームが見下ろせるのだ。
 
今は売店の前に立っている駿と絵馬を観察しているところだった。
「あれがふかみちゃんでないことがばれちゃったらどうする?」
「大丈夫、ばれない」
 
自分は小学校のときに比べてかなり外見が変わった。
驚くほど身長が伸びたし体型も細くなった。
長かった髪は首筋が全部見えるくらい短く切った。少し面長になったとよく言われる。
 
しかし駿の印象は小学生のときとそれほど変わっていない。
魁人なら遠くから見ても駿だとわかるに違いない。
そして駿の隣に女の子がいたらおそらく深海だと思い込むだろう。
彼は自分より背が低くてポニーテールだったころの深海しか知らないのだから。
 
テーブルにはとっくに食べ終わったモーニングセットのトレイが置かれている。
朝早く出てきて食べる暇がなかったのと、この後どのくらい長丁場になるかわからないので今のうちにたくさん食べておこうということになった。

痩せ型の深海が見かけによらず食べるので陸はとても喜んだ。
「よく食べる人が好きなんだ、僕」
そんなことを堂々と照れもせずに口にしてもこちらがあまり身構えないで済むのは彼のあっけらかんとした人柄のおかげだった。
昨日は思い詰めていて全く食欲がなかったのに今日はとてもお腹が減った。
それも陸がいるおかげのような気がした。

「プリンもおいしそうだね。こんな時じゃなかったら食べたかったな。りっくんは食べたことあるの?」
「うん、もう何回も来てるからね。プリンシェイクもおすすめだよ」
そう言いながら陸は壁の時計を見た。魁人との約束の時間が近付いている。
 
「りっくん、今日は一緒に来てくれてありがとう」
「なんだか面白そうだったからね」
 
陸がついてくると言ってくれて深海は本当に心強かった。
電車で一時間以上かかるところへひとりで行ったことがなかったし、相変わらず方向音痴だからだ。

「僕ちょっと意外だったな。ふかみちゃんがこんな作戦に出るなんてさ」
「そう?」
「君は人の裏をかくタイプじゃないから」
「魁人の本心を知りたいの。そのためにはこのくらいしないといけないよ」

カフェの中を見渡す。
窓際の席はテーブルごとに透明なパーティションで区切られているが、背の高い深海は少し腰を浮かせただけで客の様子がわかった。
 
平日の午前中だからなのか、まだ空席が目立つ。
魁人らしき若い男性客はいない。
窓際でない可能性もあるが、陸いわく、鉄道が好きな人間がここに座らない理由がないそうだ。
魁人は謎解きが終わるまで姿を見せないつもりのようだが、深海は納得がいかない。

謎が解けたら会うとはどういうことなのか。
こっちから先に見つけてしまえばいいのではないか。
そう考えてこうして待ち伏せしている。

「りっくん、あっちの奥の席だけ隠れてるけど、あそこからもホームが見えるのかな?」
「うん、見えるよ。確か四人くらい座れるテーブルがある」
 
深海はトイレに行くふりをして奥の席に近付いた。
そこには男性客がひとりだけ座っていた。こちらに背を向けていて顔は見えなかった。
「どうだった?」
テーブルに戻ると陸が尋ねてきた。深海は首を横に振る。
「わからない。もう少しようすを見る」
こちらが先に名乗ってしまったら、まだ会う心づもりのない魁人に白を切られてしまうかもしれない。
少なくとも深海が覚えている彼はそういう奇妙な頑なさを持つ子供だった。
 
陸はまた模型の間からホームをうかがった。
「あ、魁人くんから電話があったみたいだよ」
ホームにいる駿がスマホを耳に当てているのが見えた。
それから電話を終えてスマホを持ったまま絵馬を連れて改札へ歩き出した。
 
すぐに深海のスマホに絵馬からのメッセージが届いた。
『バスロータリーに来いって』
陸が「僕らも行く?」とささやいたが、深海は手振りだけで待つように伝えた。
 
そのとき深海の後ろを人が通る気配がした。
振り向くとさっき奥の席に座っていた男性客が店から出ていくところだった。
目元は長めの前髪に覆われていてほとんどわからないけれど鼻筋のきれいなところや耳の形などが魁人に似ているような気がした。
鮮やかな赤いスニーカーだけが目に焼き付いた。

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