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自己紹介② というより・・     (パーソナリティになった私)★

前回、自己紹介文を初めて投稿してから随分たってしまって・・・。


実は自分くらいしか見てないだろうし 読まれないと思っていたら
たくさんの方にスキをいただいて、正直なところ

驚きと読んでくださる方がいるんだ~と不思議な感覚でした。
本当にありがとうございます!

ところが、自己紹介というより・・
生い立ちを綴る感じになってしまってます。



もし、お時間がありましたお読みください。
私としては、自分の事を振り返る良い機会になっています。

ただ、実は小学校高学年の時の事は不鮮明でしかありません(^_^;)

人間の脳というのは、自分の見たくないことや、ダメージが大きいと
感じると 自己防衛?(脳の忘却システムで)なのか
無かったことにしてしまう様です。


脳は積極的にこの忘却システムを動かしているようで
まんまと私もこのシステムを使った様です。


人間にとっては、とても大事な機能だと感じる今日この頃ですが、
最近は、そんなことしなくても、すぐ忘れてしまいます(笑)

忘れる機能がついているから 
前に進めることもあるんだと思います。



といっても、おそらくヒブノセラピーとか催眠療法とかを受けると
潜在意識の中にはしっかりあるのだと思いますが、
もうそこまでしなくてもねぇ~(笑)


 さて、前回の続きですが、小学校5年生になって、父の様子が違って
きました。学校から帰ると暗い部屋で壁に向き合い 仕事にも行けず
自分の世界の中だけで暮らしている父がいました。


あの陽気で明るく 私たちの話を聞いてくれる父はどこへ
行ってしまったのか。


そして、父は入院。私たちは、数ヶ月後、伯父が決めてきてくれた
知らない町のアパートに住んでいました。

いつ どうやって引っ越したかを 私は
全く覚えていません。(小学校5年生なのに)

たぶん夏前 場面が急に変わるように、ぱっとそこにいたという感じ
きっと封印してしまったのでしょう。例の忘却システムで。


今までの生活がどこへ行ってしまったのか・・。
自転車もお人形たちも そこにはありませんでした。

今までの荷物が全部入るはずもなく、
きっと処分されたのでしょう。

そして、そこで数ヶ月過ごした後、今度は母方の祖父が
寿司屋を営む店の奥に転がり込むことになりました。
きっと、アパートで暮らす資金も底をついたのだと思います。

その店の奥は、6畳、2畳程度の和室がありました。
台所は2畳程度、お風呂が付いているのが幸いでしたが・・。


なんといっても、恐ろしかったのが
大人の手のひら以上の巨大な蜘蛛が出たり、ヤモリや蛇もいました(^_^;)
一応、まだ都会の方かと思うんですが・・・。
家の中で蛇に遭遇したときは、叫ぶことも出来ず、息を呑む感じ。
あちらが通り過ぎるのを 只々 見守って
でも、外に出て行ってくれたわけでもないので・・・
目の前からいなくなればよし?って感じだったのかなぁ。。私。

食べていくために母は、祖父の店を手伝いました。
今から考えると 末っ子の三女がまだ2歳になるかどうか

早朝から、注文の入ったお弁当を作り、昼前に店を開け
夜まで働いていました。

祖父は緑内障を患い、ほとんど見えなくなっていましたので
母と二人三脚でなんとか店を切り盛りしていたようです。

数ヶ月 経った頃だと思いますが、母がよく腰が痛いという
ようになり、そのうち立っていることも辛そうで、這って仕事を
する様子を見るようになりました。


普通じゃない様子に 怖いというか、不安というか
なんとも言えない感覚がありましたが、なにも言えませんでした。
大丈夫?とも言ってあげられなかった。。。
怖すぎて お母さんはいつも元気だからと勝手に自分を
ごまかしてました。

そして
何が起こっているのか分からないまま 
母は入院しなければならない事態になっていきました。

後になって脊椎カリエスという病気で、結核菌が脊椎に入り歩けない
だけでなく、退院することもできるかどうか・・・。

確かに、母のお見舞いに行くと入院して十年以上という方も
いました。

父が退院してきたころでしたが、今度は父と妹と私の3人だけの
(末っ子は親戚に預けられました)

今度は 母のいない毎日。
もう、その頃は祖父も一人では店は出来ずお店も閉めて


今まで食事の支度なんてしたことのない私が、
ご飯を炊いたりおかずを用意することになりました。

いやいや、ご飯の支度なんて とんでもなくて
毎日、暗くなるまで外で遊んでいて
無理父の姿をみて やっと帰らなきゃと思う様な子どもでしたから。

お米はガス炊飯器でなんとか炊けましたが、
おかずは見よう見まねで作った卵焼きと

お隣の魚屋さんで買ってきた魚のすり身のかまぼこ
これが毎日続いたらね~今思うと(笑)

福運が切れると、よく坂を転がり落ちるといいますけど、
ほんとそんな感じですね。

そんな生活の中、また父も入院することになり、私たち姉妹は
こんどは祖父の家に預けられました。

祖父が同居していたのは、祖母ではなく内縁の方とその息子夫婦と娘。
はっきりいって祖父以外、何の血縁関係もないのに
よく面倒をみてくださったものだと思います。

祖父は、祖母が亡くなってから ご近所だったその家族の面倒を
みていて そのいまま内縁の妻となったような
昔はよくある話?
その祖父への恩もあったのかと思いますが、なんとかそこで
小学校を卒業することができました。
祖父もその頃は失明していましたから、
本当によく私たち姉妹を預かってくださったと思います。

小学校卒業するとすぐまた引っ越し。
今度は、父方の祖母が一緒に住んでくれることになり、
伯父が近所のアパートを探してきてくれました。


伯父には本当にお世話になりました。感謝しかありません。


春から中学校生活が始まりました。そして中学一年生の夏休み
大変な病で大きな手術でしたが、沢山の方のお力と、


必ず戻ると決めていた母の思いが結実し、リハビリを経て
母は、自分の足でしっかり歩いて 帰ってきました!


その時 真っ白なワンピースを着てゆっくりと歩いてくる母の姿が 
一枚の写真のように心に焼き付いています。
夏の太陽がまぶしかったのか、母の姿はとてもまぶしくて・・・


母が退院して帰ってくるということがわかった日、妹と二人
涙で顔をくちゃぐちゃにして泣き笑いしながら
ほっとしていました。




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