ハマった沼地(好きなモノ)の覚え書き。②物編。
非常に、個人的で、主観的な、今まで生きてきたなかで、好きなモノ、好きになった物の羅列、いわゆる、私的な覚え書き。
その物を好きになり、寄り添うように、生きられた自分がいる。
好きになった物が在ること、それという存在に自分の感性が触れられたこと、そのことを覚えておこう。
覚えておきたい。
◆emi takazawa(刺繍花、アクセサリー作家)
群馬県桐生市に伝わる伝統工芸技術・横振り刺繍は、打ち掛けなどに施される刺繍工芸の技。
薄い布に絹糸で刺繍されて作りだされる、一枚一枚の花びらが幾重にも重なり、糸の濃淡で美しいグラデーションを生み、ひとつの花をかたちづくるさまは、芸術品のように気高いけれど、糸が織り成す柔らかさ、あたたかみも感じられるところが、愛おしくて。
丁寧に丁寧に生み出された、無数の糸で出来た花花は、死ぬときに、私と一緒に、燃やしてほしい。
生の花は、いらんから。
◆土屋仁応(彫刻家)
今村夏子『こちらあみ子』の表紙の生き物が、初めて土屋さんの作品を認識した瞬間。
*『こちらあみ子』
2011年1月、筑摩書房から出版。
2010年、第26回太宰治賞を受賞した短編「あたらしい娘」を「こちらあみ子」と改題し収録、新作中編「ピクニック」を併録。
同書は2011年、第24回三島由紀夫賞受賞。2014年6月、ちくま文庫にて文庫化。
土屋さんの個展に行き、えぐえぐと、ひとり、泣いたことがある。
当時の私は、正社員として働いていたが、人事異動の関係で職場環境が変わり、また何故か、人生で最初で最後のモテ期、しかも既婚者限定という、意味が全くわからない日々を生きていた。(←笑うところ)
そんななか、上司的な位置関係の人、もちろん既婚者にアプローチされ、拒否ったら、ものの見事に職場で、まるっと無視されることになり「マジで、こいつ、死んでくれないかな…」と、毎日毎日、呪うように思っていたけど、そんな自分の負の感情は、自分自身を疲弊させるだけで、セクハラパワハラ上司は、普通に仕事をしている。
負の感情に押し潰されそうになった時、土屋さんの個展が開催されることを知り、初めて見に行った、多分、横浜の高島屋?
小動物やユニコーンなどの幻獣が、私の目の前、透き通る水晶やガラスの玉眼の、なにもかもを見透すような眼差しで、まるで深い森のなかで、ひっそりと息をし、生きているかの如く、静謐に佇んでいた。
その、木彫りとは思えない滑らかな体躯は、動物のしなやかな首から背中、背中から臀部ラインの、優しいまるみと、息づくあたたかさを、掌に思いおこさせるもので。
特に幻獣、ユニコーンの透き通る眼差しは、慈悲深い観音さまのようで、その目を覗き込んだ私は「あぁ、いいんだな」と、唐突に理解した。
自分が生きている、この世の中に「自分が、キライだと思う人が居て、いいんだ」と、すとんと、理解した。
キライな人が居る、自分という存在を、すとんと、受け入れられた。
その少し後くらいに、益田ミリ『すーちゃん、どうしても嫌いな人』というマンガを読んで、やっぱり自分だけじゃないんだなーと、息が楽になったのも同時期。
どうしても嫌いな人って存在するし、自分がその人に対して感じている負な感情を、周りの人と共有できないとき、自分だけがその人を嫌いだと思っていること自体が、なんだか悪いことみたいに感じてしまい、すごく落ち込む。
でも、どんなことがあっとしても、自分がキライだと思う人とは、距離をとっていい。
自分の心を守れるのは自分だけだし、自分のイヤだという気持ちを、一番最初に理解してあげられるのも自分だけだと思うから。
キライでいいし、イヤな人から逃げてもいいのである。
ソレを我慢して、負の感情に押し潰されて、自分を失くしてしまうよりかは、絶対にいい。
なので、私は結局のところ、正社員を辞めてます。
上記のセクハラパワハラ上司をキライなまま、ずっと我慢してたら、イヤすぎて、会社の通帳を無意識で落として失くしたんで…しかも、2回。(←笑うところ)
我慢はヨクナイ、絶対にどっかにガタがくるので。
ユニコーンの眼差しに、慈悲深く尊い、何かの面影を感じ、その目を覗き込んだ私は、唐突に、赦されたのだと思ったのだ。
自分が息をしている、この瞬間に、自分がキライだなーと思う人が居てもいいし、キライな人が居る自分というのも、当たり前だが、また生きていていいのである。
そう、赦されたように感じたのは、木工のユニコーンの偶像の中に、私が、神さまの表情を垣間見たからかもしれない。
◆酒井駒子(絵本作家)
『ビロードのうさぎ』は、大学のときに出会った絵本で、薄暗い闇のなかなのに、なんて、あたたかく優しい世界を描いているんだろうと、こちらも泣きました。
ぬいぐるみのうさぎが、両手で掬われる、救われた絵の、いとけなさよ…
酒井駒子さんが描く、子どもや動物の頭のまるみや、輪郭のまろみが、とても好きだ。
あと、全体的に、仄かに薄暗い感じのトーンが、深い森のなか、日の光が短い、雪で閉ざされるような閉じられた童話の国っぽくて、そこも好き。
子どもって、太陽のように明るいだけじゃなくて、まるで校舎の裏の日影の地面みたいに、仄暗く、湿った残酷さがあると思うし、そこが、とても写実的な感じがする。
あと、酒井駒子さんが絵を描かれている、小川未明『赤い蝋燭と人魚』も、仄暗くて、そのなかの、赤色が残酷なほどに映えて、好きです。