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読書論エッセイ

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@Kazuがお届けする、読書の楽しさを共有したり、再認識できることを目的としたエッセイをまとめています。読書が好きな人にも、そうでない人にも、読書について、発見があることを目的に…
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#読書

知的生活はいかにして可能か・読書論エッセイ

レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』が描くディストピアは、本を所有することはおろか、本…

読書老子
1か月前
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平静書の役割、最も親しい書物との交際について(読書論エッセイ)

読書を続けていると、積読本、ある程度付き合いのある書物、付き合いは多いが、そこまで親しく…

読書老子
3か月前
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一人で古人と対話する静かな時間をもつことの意味

この間、一人で自分と対話する静かな時間をもつことが大切だと考えているという趣旨の記事を書…

読書老子
6か月前
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愛読書が意味するもの(読書論エッセイ)

ショルダーバックに入れていた飲みかけのコーヒーが少しこぼれていた。公園の神社にいたのだが…

読書老子
11か月前
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科学古典読書時代スタートのための記録(読書論エッセイ)

中学校に入学した直後に科学部に入部したことを今でも記憶している。 わたしは、科学に憧れて…

読書老子
1年前
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古典読書時代スタート(読書論エッセイ・読書雑記)

読書の秋が来ました。さきほど、都内の自然公園を歩いていたのですが、暖かく、絶好の散策日和…

読書老子
1年前
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不読の読について考えてみることは決して無駄ではない(読書論エッセイ)

 花村太郎著『知的トレーニングの技術』で、読書術の秘中の秘、不読の読について、語られている。最初に読んだときから、この考え方に共感を覚えた。  読書という行為は、ちゃんと読もうとすると、ある程度の知的体力がいると思う。少なくとも、私の場合はそうだ。書物を絶対に読みたくないときがある。座右だと自認している書物でさえ、例外ではない。  書物を読みたくないときとは、ぼんやりと考えごとをしているときだ。手が離せない時もある。歩いているときにも、書物のことをほとんど考えてないことが多い

最近、買った本、読んだ本、行った古本市について(読書雑記・読書論エッセイ

一冊、一冊の本について丁寧にレビューする前に、蔵書に加わった、読みかけの本や貸し出しした…

読書老子
2年前
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