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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 06理想の「ヒロイン」は強いチャンピオン?〜ヒロインは追いかけられるものである。

 プロレスと「恋愛模様」
 
 プロレスにおいて物語論的な「キャラクター」としての役割があるとすれば、それは「チャンピオンになる前」が「主人公」で、「チャンピオンになった後」が「ヒロイン」となる。
 この場合の「ヒロイン」とは当然、男か女かという些末な問題ではない。プロレスにおいてチャンピオンに挑戦するということ、負け続けているレスラーに向かっていく姿勢は「フィクションの恋愛」における「振り向いてもらえない異性」に対するアプローチのそれとよく似ている。
 時に挑発したり、褒め殺してみたり、興味のないふりをしたり、しつこくつきまとったり、求められてるのにそっけない態度をとったり、気持ちは傾いているのに条件をつけてみたりと、若干ストーカー気質な行動も含まれるが、まさしく恋愛ものの物語における「ヒロイン」を追いかける「主人公」の行動、あるいは「主人公」に対する「ヒロイン」の態度そのものである(あくまで「フィクション」の恋愛模様である)。

 プロレスのチャンピオン

 プロレスにおける「チャンピオン」とはある種、完成された「人物像」の表象だ。現実の人格や善悪のキャラクターとしての性格といった話ではなく、常に「求められるもの」としての「立場の頂点」に君臨する存在だ(もちろん防衛記録であるとかメインイベントの集客人数であるとか、更新目標となる数値化されるポイントはいくつか存在するが)。
 例えばチャンピオンの素行が悪くてもそれを注意する者はいないし(例外的に「挑戦者」のみがチャンピオンを否定できる)、逆に誰からも相手にされないチャンピオンもいない。「チャンピオン」という存在を無視することができないのである。プロレスにおいて他のレスラーから向けられるベクトルの中心にいるのがチャンピオンなのだ。
 その意味では「主人公」ではあるのだが、チャンピオンという地位から転落した瞬間「チャンピオンとしての主人公らしさ」は剥奪される。あくまでチャンピオンの「主人公らしさ」とは、チャンピオンそのものに紐付いているものなのだ。その意味ではやはり「ヒロイン」と形容した方がしっくりくる。
 主人公が地位や状況によって変化することはないが、ヒロインであれば一時的に別れたり、遠距離になれば近くに仲良くなる人物が現われたり、浮気相手だったり、過去の想い人だったり、状況や立場によって変化する。
 プロレスにおいても過去の因縁や確執でもない限り、チャンピオンから陥落したレスラーを執拗に追いかけるケースは少ない。
 
 ヒールのチャンピオンは悪役令嬢?
 
 ヒールのチャンピオンの場合はその「ヒロイン像」が特にわかりやすい。まさに最近流行りの(あくまでこれを書いている時点での)「悪役令嬢」そのものになる。
 傍若無人の限りを尽くし、不遜な態度、罵倒、暴言、乱入、反則でのノーコンテスト(先の章でも記したが、アメリカでは「反則裁定で王座は動かない」というルールがあるため、ヒールのチャンピオンはこのパターンでの勝利が多い)、逆に愛想を尽かされて「裏切られて」負けたり、ヒールユニットからの「追放」という展開が待っていたりする。チャンピオンであればどんなに横暴でも許されたが、陥落した瞬間、掌を返され、ユニットから追い出されたりする。その後、単独で活動すれば「ダークヒーロー」的なベビーフェイスになったり、対立していたユニットや過去に袂を分かった仲間に助けられたりもする。
 ほとんど「処刑(追放)される悪役令嬢」の物語の展開と同じなのである。
 まあ「悪役令嬢」というよりは「倒されるだけで終わらない悪役」に共通するストーリーラインともいえるのだが、ヒールのチャンピオンはより「チャンピオンでいること」が重要視される。逆にいえば、ヒールのチャンピオンは「(主人公として)チャンピオンになること」よりも「チャンピオンから転落した後」に大きく物語が動くキャラクターという点でも「ヒロイン的」なのである。
 
 新人レスラー=フィクションの新入生
 
 デビューしたての新人レスラーには当然、チャンピオンへの挑戦権など回ってこない。それは入学したての新入生に高嶺の花たる三年の生徒会長が振り向いてくれない「物語」と同じだ。
 それが何かで活躍したり実績を残したりとふとしたきっかけで目に止まり、声をかけられる。そして今まで歯牙にもかけない存在であった者が一個人として認識されるようになる。その後、自分と相手との「差」を具体的に実感したり、それでも尚、追いかけようとしたり、玉砕しても再度アタックしようとする…わざと印象を曖昧にするような書き方をしているが、チャンピオンに挑戦しようとする者と、学園もので高嶺の花にアタックする新入生の行動に大差がないことがわかるだろう。
「ヒロイン」とは「キャラクター」そのもののことを指すのではなく、立ち位置で変化するものなのである。ハーレムものの物語では逆の立場になったりすることもあるが、基本は「追いかけるもの」が「主人公」で、「追いかけられるもの」が「ヒロイン」となるのだ。
 
 強いチャンピオン像
 
 チャンピオンというキャラクターの本質が「ヒロイン」であるため、「強いチャンピオン」は防衛記録を重ねる期待度より、「いつ、誰に負けるのか」を次第に期待されるようになる。難攻不落でガードが堅いヒロインを主人公がどうやって落とすのか、という展開である。この場合、チャンピオンに挑戦するレスラー全てが「主人公」になるため、長く防衛しているチャンピオンほど挑戦者が応援されやすくなる。
 この場合はベビーやヒールといった図式ではなく、「チャンピオンとその他大勢」という対立構造になるため、チャンピオンが悪役になる場合が多い。勇者が明らかに魔王より強かったら物語としては興醒めだろう。その場合は魔王側が「主人公」となる。「追いかけられるもの」は常に強くなくてはいけないのだ。
「チョロイン」的な立ち位置のキャラクターも個人的には嫌いではないが、スタンダードな「難攻不落なヒロイン」のイメージがあってこそ、それとは違うヒロインの姿が目新しく新鮮に感じるものだ。
 毎回毎回、反則やノーコンテストで防衛を重ねるチャンピオンでは観ている方も飽きてしまう。やり過ぎは何ごとも毒になりやすい。「偉大なマンネリ」とはよく言ったもので、そもそも「マンネリに耐えられるだけの展開」でなければマンネリになることすらできない。
 その意味では「強いチャンピオン」は「追いかけられるもの」としても王道中の王道であり、挑戦者たる「主人公」と相対するにふさわしい理想の「ヒロイン」なのである。

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