見出し画像

分人×ノイズ:現代を生き抜くためのヒント #8


フォローしている発信者紹介の「分人」概念に惹かれ、平野啓一郎さんの書籍を3冊読み理解を深めました。私が特定の人と接する際、無意識に「スイッチ」が入る謎。この「スイッチ」の正体は、相手との関係性によって異なる「分人」の発現なのかもしれないと考察しています。

そんな中、三宅香帆さん著の書籍「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をタイトルに惹かれ、手に取りました。社会人になってからも本は読むものの、時間があっても読めなくなる時期が年に数回ありました。その理由は、本書の内容と前述した「分人」という考え方を組み合わせることで、自分なりに解釈することができました。

「教養と対話する分人」を育むことで、仕事や家庭など特定の何かに飲み込まれることなく、豊かな生活を送れるのではないか。 これが、私なりの答えです。まだ実験段階ですが、そこに至った思考の過程をまとめています。

【引用・参考文献】
平野啓一郎 私とは何か「個人」から「分人」へ 講談社現代新書、平野啓一郎 ドーン 講談社文庫、平野啓一郎 空白を満たしなさい 講談社、三宅香帆 なぜ働いていると本が読めなくなるのか 集英社新書

「対人関係から生まれた複数の分人で自分は構成されている」という考え方に触れ、長年抱えてきたモヤモヤが解消されました。

家庭と職場という、構成比の大きい二つの分人を持つ私。同じ身体が担っているにもかかわらず、それぞれの立場における考え方や、相手が感じる雰囲気は明らかに異なっています。そのような状況下で「私はこうありたい」という絶対的な理想を掲げても、家庭では受け入れられても職場では通用しない、あるいはその逆、といったジレンマに陥っていました。

「分人」という概念を自分自身に当てはめてみると、既に無意識に実践していた行動がありました。それは、毎晩自宅でその日の出来事を綴る日記です。

これは、家庭の分人が職場の分人を客観的に観察する行動だと考えられます。その根拠となるのは、仕事に追われ、頭の中が仕事のことばかりでいっぱいになってしまうと、日記を書けなくなることがあることです。これは、職場の分人から、自宅にいるにもかかわらず家庭の分人に切り替えられない状態にあることを示していると考えられます。つまり、日記の内容は、家庭の分人が書いていると言えるでしょう。

この日記と同様の現象が、私が物心ついた頃から続けている読書にも起きることが不思議で、それが三宅さんの書籍を手にとるきっかけとなりました。

前述の通り、社会人になってから定期的に読書が途切れる時期があります。全く読めなくなるわけではなく、具体的なハウツーが書かれた自己啓発本は読めるのですが、それ以外は全くページが進まなくなってしまいます。

現状における読書習慣の変化フローを、以下の通り理解しています。

  1. 仕事の負荷が大きくなる

  2. 職場の分人の構成比が高まる

  3. 業務遂行に役立つ情報のみを優先的に処理するようになる

  4. 読書から得られる「ノイズ(他者や歴史、社会文脈など)」が邪魔になる

  5. 「ノイズ」のない情報(ネット記事やSNSなど)に意識が向く

  6. 仕事の負荷が落ち着くまで、この状態が続く

さらに厄介なのは、1〜3が年々恒常的に発生し、本来読みたい小説や人文知関連の書籍を読むことに罪悪感を感じてしまうことです。 近年は子どもが大きくなり、以前より読書時間が確保できるにもかかわらず、この状況は続いています。これは、職場の分人の構成比が高止まりしていることが原因ではないかと推測しています。

しかし、年末年始の長期休暇では、寝る間も惜しんで小説や人文知関連の書籍を読み漁ります。職場からの距離が離れることで、本来の分人が顔を出すようです。

自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

これは、私が考える「教養」を失っている状態です。

このまま職場の分人の価値観に支配され続けると、私はいつか「ノイズ(他者や歴史、社会文脈など)」のない場当たり的な情報取得しかできなくなり、本来の自分にとっての豊かな生活からどんどん遠ざかってしまうでしょう。

私自身の結論としては、前述の通り「教養と対話する分人」を育むことで、仕事や家庭など特定の何かに飲み込まれることなく、豊かな生活を送れるのではないか。と考えます。

「分人」という概念に基づき、自分が職場の分人(あるいは人によっては家庭の分人)に飲み込まれそうになっていることをまず認識し、自分の中に眠る教養と対話できる分人を育てることが重要です。仕事や家庭に重きを置いて生活する方もいらっしゃると思いますが、異なる意見も尊重する必要があります。

さらに、分人の相互作用という観点も重要です。 例えば、教養と対話する分人が得た知識は、一見すると業務に直結しない内容であっても、世の中を俯瞰する視野や豊かな心をもたらし、結果的に職場の分人に好影響を与える可能性があります。

油断すれば、社会が定義する理想に追い立てられ、自分を見失ってしまう危険性は常に存在します。 だからこそ、分人の考え方や読書を通して、自分らしさを大切にすることの重要性を理解しておくことが重要だと私は考えています。

我が子は、新しい知識に触れた際、それが自分にとってどんなメリットがあるかなど一切考えず、純粋な感動を味わっています。その姿からも、読書が持つ、想像力や感性を育む力、そして人生を豊かにする力に改めて気づかされています。家庭の分人は、我が子から日々大切なことを学んでいます。




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?