インテリアスタイリストの目
ものを持つ。
何気なく部屋の隅に置かれたものをつくづく眺めては思いにふける。きっかけは最初の旅、そして仕事、それを縁に予期せぬ出会いの数々の証。
最初の自分の計画(コマーシャル)からは、思いもかけぬほど遠くまで旅(展覧会のキュレーション)をして、緑色の陽の名残りを留める街道(かつての西洋と東洋の交易路)で、奇遇に心開かれて手に入れたものたち。
あのとき。
きっかけは最初の旅で訪れたパリのルーブル美術館だった。お決まりの観光のつもりが実際の絵画や彫刻を見てびっくり。今まで美術の教科書でしか見たとことのなかったダ・ヴィンチのモナ・リザやサモトラケのニケが自分の想像した大きさとは全く違う。そしてやや薄暗がりのなかでひっそりと、圧倒的な天井の高さのもと、今にも翔びそうな彫像の佇まいというか雰囲気というか、建築と光とものが絶妙の調和で波動を呼び起こすとでもいうのか。
迷い込んだが最後のジャングルだった。かれこれ1週間以上も通い続けた。
そうだったのか。
次に訪ねたのは英国のヴィクトリア&アルバート博物館だった。陶磁器とテキスタイルのコレクションに集中した。とくにアジアの陶磁器と織物や刺繍や染物の選択眼は、かつて美術の教科書や日本の博物館で見聞きした、ありがたき遺品とは程遠い、それらはなんと親しみ深く愛らしい、今も欲しくなるような面白さに生き生きとして、そのものの見方のきわみに、嫉妬した。
そしてそのひとつ一つに記載された名前や地名を記憶にとどめようとして。
思い当たるふし。
日本での仕事を時々中断しては外国を旅して、自分の思考で行き詰まっていたことが嘘のように、いろんな出口があることを知り、というより目覚める機会が多かった。歴史と政治と地理と物理と化学は、すべて不可分のもので、カメラとノートとサンプル帳と巻尺と、GEMの豆辞書は必携だった。
あ、それまで業界のスカートのプリーツの裾を掴むようにして得た私の知識は、その源泉から湧き出て流れ出て潮流となってゆく過程において全く別の、いわゆる似て非なる姿に翻訳されたものに過ぎなかったのだ。
ファッション、テキスタイル、建築、デザインの思い当たるふしを巡ろうと。いわゆる文系でも理系でもない私の領域は図画工作系とでもいおうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?