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インテリアスタイリストのつぶやき

ものを使う。

考えなしに自分勝手に使っていた道具が突然いうことをきかない。自分で治せるとたかをくくっていたらことは深刻だった。長い時間に無理なことばかり強いていたからなあ。ものには使い道という道があるんだよね…元箱に入っていた使用説明を読み始める。そ、そうだったか…もの言わぬものにものごとを教えられ、私の道は間違っていたと悟る瞬間でもある。栓抜き、爪切り、はさみ、包丁、鍋、鉄とアルミとテフロンのフライパンの使い道。


道を辿れば地図が見えて来て迷うことなく、年を重ねるごとに暮らしがだんだん楽になる。


もののゆくえ。

到着地の空港で自販機から服を買い、それを洗うこともなく着て過ごし、帰国した空港で回収箱に捨てる。たしか、前世紀末の渡航者の自慢話だ。当時は回収箱なるものだったかは覚えていない。ただ、ふ〜んと何度も頷いて、そうか、全く違う時代になるのだなと。ものがコモディティ化するという誰かのセリフ。ホテルのロビーで、外国の経済紙に bottom of pyramid というボールドのヘッダーを目にした朝。やがて暮らしも人もLLC…

You are not needed now…私はそう言われているような気がした。
大きな流れには逆らえなくとも、どこかで足を踏ん張っていよう。


ものをいう。

〇〇とは何かという本がある。写真とは何か。デザインとは何か。アートとは何か。おそらくタイトルの答えはないでしょう。わからないから〇〇とは何か、と問うているのだから。
クリエイティブなことはいずれも自分の考えを表現するクオリティそのもの、他に手段はないんじゃないかしら。クオリティは頭に描く包括あるいはシェル。すべては経験と探求の積み重ねと思考鍛錬の成果であって。なんて抵抗してはみたものの、学びと資格と派遣の仕事であればそれで事足りる。

でもなんか、テンプレートみたいな答えで…そんなんでいいの?


ものを見る。

美しいものを見た後は、自分の住む世界がきれいに見えてくる。たとえば映画館の中では暗がりにも、スクリーンの中の世界にも、やがて目が慣れてくる。劇場の扉をあけて外へ出た瞬間、幻惑に襲われたように、見慣れた街が別世界に見える。これもサブリミナル刺激なのだろうか。長いこと堆積した先入観で覆われた眼を洗い、ものごとの美点を探し出そうとする目になるのだろうか。美しいインテリア誌を浴びるように眺めいた時期があった。

そしてたくさん見て、いろんな背景と価値を知って、さらに美しい!の視界が拡張してゆく。

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