見出し画像

2度目の就職の話 【薬局編 ⑨】

初給与をいただいた日のこと、
廊下を歩いていたところ、岩橋さんに呼び止められました。
また何か質問をして上村さんと話のネタを共有するのだろうと思いましたが、
気付けば「何でしょう?」とこちらから尋ね返していました。

「基本給はいくらなの?」
予想通りのタイミングでの予想通りの質問でした。
1990年代初期の当時は確かに最低賃金のラインは今よりかなり低かったですが、その時代でもなお低いと感じるレベルのもの。
日本一高いと言われる電車の交通費と週2、3回の残業を含めて手取り12万もない薄給でした。
私は戸惑いながらも正直に答えると、岩橋さんの口から溜息まじりの意外な言葉が溢れたのでした。
「私も同じよ。多分ふたりだけね。」

帰宅後、母に今の職場の給料が世間一般と較べて安いのか訊ねました。
母の口からは、「そりゃ大分安いけれど、印刷所を辞めたもの。今の職場で働き続けるしかないでしょう。」というこれまた予想通りの答えが帰ってきました。
印刷所では有資格者ということでの待遇のよい採用だったものの、病院では医療事務の資格もない自分は無資格者としての勤務でした。
今、思えば、親に負担をかけない方法(職業訓練校など)で再び学びの場で仕事力を身に付けていくと同時に、心身を整えることが必要だったのでしょうが、そんなことが許される家庭の雰囲気ではなかったのです。
母は口酸っぱく念を押しました。
「一昨日もあれが本当に電車の乗り間違えの遅刻だったのか疑わしいわね。叔父さんみたいにはならないでよね。」

基本給約11万ほど。
この状態は退職までの約5年間続くことになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?