児童養護施設での生活と、一番辛かった事と、施設を出所する日。(経験談)
はじめに
30年も前の話なのですでに改善されている事もたくさんあると思います。
私が目にした中では、現在は中学校卒業で独立ではなく、高校卒業まで居られる環境があると言う事です。
芸人のやす子さんが児童養護施設で高校を卒業していると言う事を拝聴し、時の流れと不幸の連鎖が少しでも断ち切られる環境が整えばと思います。
1.施設の職員は神様ではない。
施設での生活に慣れてきて気がついた事。
施設の職員は神様ではない。
なので、当然人間特有の人に対する好き嫌いがあります。
施設に入ってから気がついた事は、小学5年生になっても毎日夜尿症(おねしょ)を繰り返してしまう子が居ました。
私が居た施設では、職員のことを⚪︎⚪︎姉さん、⚪︎⚪︎兄さん、親しくなると、⚪︎⚪︎ねぇ(ねぇさん)、⚪︎⚪︎にぃ(にぃさん)。と呼んでいました。
いくつくらいだったのだろうか。
⚪︎⚪︎ねぇと呼んでいた優しい職員の女性がいました。
主に私たちの棟の面倒や世話をしていました。
私の部屋は2階でしたが、ある朝一階から大きな声で怒鳴る声が聞こえてきたことに気がつきました。
施設での生活に慣れてきた私は、一階に音を立てない様に、でも、慎重さには欠ける速さで一気に駆け降ります。
そして気づかれないようにそっと覗きました。
そうすると、⚪︎⚪︎ねぇが(仮称)鈴木君を怒鳴りつけている姿が目に入ってきました。
夜尿症だという事はすぐに気がつきました。
のぞいたすぐ後にすぐに布団のシーツとおねしょシーツを洗濯場に駆け足で持っていき、戻ってきた後はすぐに布団を庭の縁側に干していたからです。
それまで気が付きませんでしたが、⚪︎⚪︎ねぇは鈴木君に毎朝怒鳴っていた事、何かあるたびにとても当たりが強く、言葉遣いが他の子に対する言葉とは違っていました。
小学2年の自分はすぐに⚪︎⚪︎ねぇに嫌われない様に色々言うことを聞き、愚痴をこぼすことがあれば子供ながら同意し、⚪︎⚪︎ねぇが嫌いだと感じた子とは距離を置く様になりました。
今思えば自分も卑怯者だと思いますが、それがそこで暮らしていく処世術だとその時は思っての行動なんだと今は自分を納得させています。
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児童相談所と児童養護施設での日々。
児童相談所へ入る事になったきっかけと児童養護施設への入所、そして出所する事になるまでの体験談を綴りました。 その後の生活についても書いてい…
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