純粋に『先に出す』から入ってくる
出すから入る
断捨離やお金の循環の本などでよく出会う言葉
倣って先に出してみるものの入ってこない
そう感じる時や
ありがとうという言葉だけで満足できず
もっともっと、となっていたら
無意識に見返りを求めている時かもしれない
自分がガマンしている自己犠牲での
『先に出す』は
そうなりがちではないだろうか?
けれど腑に落とせる出来事があれば
純粋にどんどん出せるようになる
今春、知人のイチゴ農家さまの摘みたてイチゴを
お世話になった方々へお贈りした。
贈答用や4パック一箱のイチゴを10名近く。
すると、立派なイチゴが私の元にやってきた。
(やってきたのはささはら菜園さまの完熟章姫
衝撃の美味しさ🍓)
実は去年も同じことが起こった。
昨年は両親と親せきにお送りしたあと
高級イチゴが私の元へやってきた🍓
今年お贈りしたのは
私が一番底にいた時に
お仕事をご依頼頂き支えてくださった皆さま。
昨年は疎遠になっていた両親へ。
ようやくお礼のお品を購入できるようになった!
育ててくれてありがとう!
どちらの年も感謝の気持ちがイチゴに変身🍓
そこには見返りも何もない。
純粋なありがとうだけ。
ありがとうをお贈りしたのに
立派なイチゴがやってきて
更にありがとうをしみじみ実感。
二年連続で
イチゴに対してイチゴがかえってきたから
『先に出すから入ってくる』が
ものすごく腑に落ちた。
「誰かが喜ぶ」
「誰かの役に立つ」
純粋にそう思うことを先に出すと
循環が起こるのではないかな?
物だけでなく発信でも同じはず
出したスペースに新しいものが入ってくる
出すものが変われば
入ってくるものも変わる
だから、自分を変えたかったら
望む未来がやってきてほしかったら
言葉や表情や在り方
自分から出すものを変えていこう
たった一人でも
喜んでくれたり役に立ったのなら
その時点で自分にも喜びがやってきているから
未来の自分の在り方を意識して
純粋な気持ちで『先に出す』をしていこう
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