見出し画像

性格やライフスタイル、行動特性なども含めた多様性を認められる社会へ

私の息子は、いわゆる”普通”の小学校へ行っていない。
フリースクールに毎日通って、公園で体育をしたり、お昼ごはんは毎日みんなで作ったり、ゲームをしたり、たまにキャンプに行ったりと、あまり勉強的なことはしていないのが日常。おそらく1日20分くらいは何か勉強してる・・・という生活スタイル。

いわゆる世間的に言うと「不登校児」のくくりに入るかもしれない。でも、私にはこの言葉が最近すごく違和感を感じるようになった。

なぜなら、一度も不登校の期間もなく、フリースクールにも毎日通っているから。

学校に行くのは時間の無駄だと泣いて訴える息子に、合う学校に転校させた・・・私にとってはそういう感覚なのだ。「選択的転校」。転校先がフリースクールだっただけ。

しかし、日本の社会はそれを「正しいor正しくない」「普通or普通ではない」などのものさしでジャッジしようとしてしまう。

それが、現代のダイバーシティなの??ってすごく疑問に感じてしまうのだ。

私自身は長年、女性がほとんどのファッション企業で働いてきたし、職場や友人にはLGBTの人も少なからずいた。だから、私自身はいわゆる表層的ダイバーシティのジェンダー不平等などに関してあまり意識したことはなかった。

しかし、今発達に特性がり、いわゆる「普通」のことができないことも多い息子の子育てをしながら、発達障害の専門家の方のブランディング顧問もさせていただいている中、感じることがある。

発達の特性ある人は認めないの??っていう・・・。

ADHDや自閉症の特性をもつ子供たちは、いわゆる「普通」のことができないことも多い。
しかし、「普通」の人ができないようなことを、超人的にできることもめちゃくちゃ多いのだ。

ただ、組織にそういう方が入ると、いわゆる「当たり前」のことができない特性の強い人は、できないことばかり指摘されて認められず、かなり人間関係なども難しいケースがでてくることも多いだろう。

しかし、発達の専門家の話などによると、発達特性のある子どもは年々増え続け、今やクラスの2割〜3割程度は何かしらの特性があると予測されるらしい。(文部科学省の調査ではもっと低いが、あれには理由があるので…)

そして、それにともない、学校の「普通」についていけない子どもたちは悲鳴をあげ、学校にいかない選択をする子供も多くなっている。

ダイバーシティって、いわゆるその場での「普通」をどうにか守りたい人たちが必死になって阻止しているような気もしてくる。

学校であれば、教職員や教育委員会、職場であればそこで働く「日本的な価値観をもつ普通の人」。

でも、場所が変われば、「普通」は変わる。例えば、ファッション企業であれば、女性と男性の感性やセンスを併せ持つLGBTの方などは、結構リスペクトの目でみられることも多いし、強みでもある。

しかし、保守的な組織にいけば、それを公表できないくらいひっそりと生きる必要があるだろう。

それくらい、「普通」って何を基準に??みたいなことがあったりする。

うちの息子は、3歳くらいから、この「普通」ということに全力で反発してくる。

なぜ、自分を普通の枠に押し込められないといけないのだ!!と、とにかくそういう押し付けを嫌がるのだ。しかし、今の日本の社会だと、こういう性格だと生きるのがしんどいことも多いだろうな〜と親としては思う。

この子が大人になるまでに、日本の社会がもっと深層的なダイバーシティの推進に取り組み、性格やライフスタイル、行動特性なども含めた多様性を認められる社会になればいいなと期待しています。


この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?