海辺のカフカ / 卒業論文のこと その3

 本作品が刊行されてから18年が経とうとしています。
ほかの近代文学においても言えることですが
今、その作品を読む意味は何なのか。
面白ければいいじゃん!という意見も激しく同意するのですが
まぁ、そんなこと言っちゃお終めぇよっていうことで
とりあえず書いています。
そもそも文学研究の意義のひとつに
「作品の価値を新たに生み出すこと」があると思っていて
ある視点で読んでみると、こんなメッセージが読み取れるよね
というの紹介してあげることだと思っています。

 その2では、カフカの成長は、外部のシステムとの戦いと書きました。
具体的に言えば、外部のシステムとはインターネットや
そこから抽出されるビッグデータのこと
それを利用して利益を生み出す解析システムなんかを念頭に置いています。
インターネット=悪だ!!
なんておじさんみたいなことを言う気はさらさらないのですが
便利だからこそ負の部分を見つめて、うまく使わなくてはいけないと
思っています。
例えばアマゾンでお買い物をしたら
購入履歴からおすすめ商品がどんどん紹介されますよね。
ほしいものたくさんありませんか?
YouTubeで動画を見たら、視聴履歴に従って
ページトップに面白そうなのがたくさん出てきて
ついつい見てしまいませんか?
 そういうおすすめをたどっていくのってすごく楽しいし、
面白いものを見つけるのも簡単なんだけど
ここでいつも不安に思うんです。
こういうシステムに紹介されて面白いとか好きだとか思ったのって
いったい誰の面白いなんだろう。誰の好きなんだろう。
本当に自分の好きなのか。
統計的に測られた「好きそうなもの」に引きずられているんじゃない?
うん。それはそうかもしれない。正しい。でも、それだけならいいけれど
単純な視聴者の統計ではなく、そこにお金を出してるスポンサーがいて
特定のコンテンツが表示されやすいようになっていたとしたら
それって誰かのビジネスの術中にはまっているんじゃない?

それ自体を一概に悪いとはもちろん言いません。
娯楽なんてまず1番に面白ければいいんだから。それが1番大事。
遊びなんだもの。
だけど、消費行動や娯楽なんかだけに収まるとも考えられない。
いつか偏った思想や主義を広める媒介となるんじゃないか。
そういう便利なシステムたちが。
いや、実際すでになっているだろう。なってしまっている。
じゃあそのシステムが悪いの?
インターネット=悪?ビッグデータ=悪?AI=悪?
そんな話じゃないよね。そもそもシステムに意思はないのだから。
うまく使えばこれほど素晴らしいものはないんだし
考えていくべきはぼくたちの在り方やシステムとの付き合い方。

 カフカの物語は、まだ15歳の少年の未熟な心と
なんだかわけのわからないけど、脅かしてくる存在との戦い。
カフカの成長を通して、今のシステムの脅威の部分と
それとの付き合い方を考えたのが、この卒業論文です。

 カフカが外部のシステムに脅かされる、心理的なふるまいは
精神分析家 ジャック・ラカンという人の考え方を借りさせてもらった。
ラカンはフロイトの弟子の一人なのだけど
特徴は、無意識は言語的な構造を持っている、と考えた点にある。
他者の語り合うイメージなのだ。
 というあたりから、次を書いていきたい。

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