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共通テスト2024古文全訳『車中雪(草縁集)』本文と現代語訳・解説と分析をわかりやすく!

受験生の皆様、受験が気になる皆様、お疲れ様です。

共通テスト2024年の国語・古文「車中雪(草縁集)」を全訳したので、意訳や解説と共に現代語訳を置いておきます。

「車中雪」は、江戸時代の擬古物語『草縁集』に収録されています。作者は天野政徳。
*擬古物語とは? ・・・平安時代の貴族を主人公にした創作物語のこと。天下の名作・源氏物語をマネした人たちが多いです。「光源氏ステキ!あの時代の雅な感じがいい!」という作家たちが、妄想空想たくましく書いた小説ってことですね。

今回の話は、主人公が「雪いいよねー。見たいなー」と思って桂にやってきて、「雪やっぱいいなー。キレイだなー。ふふん(歌)」という話です。雪国の人にとっては共感できるところもあるのでは。

とりあえずいきましょう。長文、ご容赦あれ。


■共通テスト2024古文・本文『車中雪(草縁集)』出題箇所「桂の院つくりそへ給ふものから~」

第三問 次の文章は、「車中雪」という題で創作された作品の一節である(『草縁集』所収)。主人公が従者とともに桂(京都市西京区の地名)にある別邸(本文では「院」)に向かう場面から始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。

 桂の院つくりそへ給ふものから、あからさまにも渡り給はざりしを、友待つ雪にもよほされてなむ、ゆくりなく思し立たすめる。かうやうの御歩きには、源少将、藤式部をはじめて、今の世の有職と聞こゆる若人のかぎり、必ずしも召しまつはしたりしを、とみのことなりければ、かくとだにもほのめかし給はず、「ただ親しき家司四人五人して」とぞ思しおきて給ふ。
 やがて御車引き出でたるに、「空より花の」とうち興じたりしも、めでゆくまにまにいつしかと散り失せぬるは、かくてやみぬとにやあらむ。「さるはいみじき出で消えにこそ」と、人々死に返り妬がるを、「げにあへなく口惜し」と思せど、「さて引き返さむも人目悪かめり。なほ法輪の八講にことよせて」と思しなりて、ひたやりに急がせ給ふほど、またもつつ闇に曇りみちて、ありしよりけに散り乱れたれば、道のほとりに御車たてさせつつ見給ふに、何がしの山、くれがしの河原も、ただ時の間に面変はりせり。
 かのしぶしぶなりし人々も、いといたう笑み曲げて、「これや小倉の峰ならまし」「それこそ梅津の渡りならめ」と、口々に定めあへるものから、松と竹のけぢめをだに、とりはづしては違へぬべかめり。「あはれ、世に面白しとはかかるをや言ふならむかし。なほここにてを見栄やさまし」とて、やがて下簾かかげ給ひつつ、
  ここもまた月の中なる里ならし雪の光もよに似ざりけり
など興ぜさせ給ふほど、かたちをかしげなる童の水干着たるが、手を吹く吹く御あと尋め来て、楫のもとにうずくまりつつ、「これ御車に」とて差し出でたるは、源少将よりの御消息なりけり。大夫とりつたへて奉るを見給ふに、「いつも後らかし給はぬを、かく、
  白雪のふり捨てられしあたりには恨みのみこそ千重に積もれれ」
とあるを、ほほ笑み給ひて、畳紙に、
  尋め来やとゆきにしあとをつけつつも待つとは人の知らずやありけむ
やがてそこなる松を雪ながら折らせ給ひて、その枝に結びつけてぞたまはせたる。
 やうやう暮れかかるほど、さばかり天霧らひたりしも、いつしかなごりなく晴れわたりて、名に負ふ里の月影はなやかに差し出でたるに、雪の光もいとどしく映えまさりつつ、天地のかぎり、白銀うちのべたらむがごとくきらめきわたりて、あやにまばゆき夜のさまなり。
 院の預かりも出で来て、「かう渡らせ給ふとも知らざりつれば、とくも迎へ奉らざりしこと」など言ひつつ、頭ももたげで、よろづに追従するあまりに、牛の額の雪かきはらふとては、軛に触れて烏帽子を落とし、御車やるべき道清むとては、あたら雪をも踏みしだきつつ、足手の色を海老になして、桂風を引き歩く。人々、「いまはとく引き入れてむ。かしこのさまもいとゆかしきを」とて、もろそそきにそそきあへるを、「げにも」とは思すものから、ここもなほ見過ぐしがたうて。

■『車中雪(草縁集、桂の院つくりそへ給ふものから~)全訳(ほぼ直訳の現代語訳)

 桂の院を建て増しなさるのに、少しも行きなさらなかったのだが、(後から降る雪を待つように残る)「友待つ雪」に誘われて、突然思い立ちなさるようである。このようなお出かけには、源少将、藤式部を初めとして、今の世間の風流人と評判の若者達を多く、必ず連れなさっていたが、急なことだったので、こうだとさえほのめかしなさらず、「ただ親しい家の従者を四人五人連れて」とお決めになる。
 すぐに御車を引っ張り出しているときに、「空より花の」と面白がっていたのだが、愛でているその間に早くもと散り失せてしまったのは、こうして終わってしまうと言うことであろうか。「そうであるのは、ひどい出て消えだ」と人々はとても強く嫌がるのを、「本当にどうしようもなく残念だ」とお思いになるけれど、「そうは言っても、引き返すようなのも人目が悪いようだ。やはり法輪寺の八講の法会にかこつけて」とお思いになって、ひたすらに急ぎなさるとき、またも真っ暗闇に曇りが満ちて、以前よりもとりわけ散り乱れたので、道のほとりに御車を立てさせながらご覧になると、何がしの山やくれがしの河原も、少しの間に見た目が変わっている。
 例のしぶしぶであった人たちも、とてもひどく笑みを曲げて、「これは小倉の峰であろうか」「それは梅津の渡りだろう」と、口々に定め合っているものの、松と竹の区別でさえ、取り外しては間違えるはずのようだ。「ああ、世の中におもしろいとはこのようなのを言うのだろうよ。やはりここで見てもてはやそう」と言って、そのまま下簾をかかげなさりながら、
  ここもまた月の中にある里であるらしい、雪の光も世に似ていないことよ
などと面白がりなさるときに、見た目が好ましい童で水干を着ている童が、手を吹き吹き後ろを追ってきて、榻のところにうずくまりつつ「これを御車に」と言って差し出したのは、源少将からのお手紙であったよ。大夫が取って渡して差しあげるのをご覧になると、「いつも置いていきなさらないのを、こうして
白雪が振り捨てられた辺りでは恨みばかりが千重に積もっている」
とあるのを、ほほ笑みなさって、畳紙に、
「訪ねて来るだろうかと雪の中を行き跡をつけつつも待つとはあなたは知らなかったのだろうか」
すぐにそこにある松を雪のまま折りなさって、その枝に結び付けてお与えになった。
 だんだん暮れかかるうちに、それほど雲や霧で一面曇っていたのも、気付けば名残りなく晴れ渡って、名高い里の月の光ははなやかに差し出したので、雪の光もいっそう映え増しつつ、天地の限り、白銀を延べたようにきらめき輝いて、むやみにまぶしい夜の様子である。
 院の管理役も出てきて、「こんな風にお越しになるとも知らなかったので、早くに迎えに出申し上げなかったこと」などと言いながら、頭も持ち上げないで、何もかも追従するあまりに、牛の額の雪をかき払うと言っては、軛に触れて烏帽子を落とし、御車の道をキレイにするといっては、もったいなくも雪をも踏み回りながら、足や手の色を海老のように赤くして、桂風のもと、風邪を引きながら歩いて回る。人々は、「今は早く中に引っ張り入れてくれよ。あちらの様子もとても見たいので」と言って、一斉にそわそわしているのを「まったくだ」と思いなさるけれど、ここもなお見過ごすことができなくて。

■解釈と読解ポイント(個人的に訳していて気になった箇所。★は特に注意する箇所)

○桂の院つくりそへ給ふものから
つくりそへ」とは、直訳すると「つくって添える」。桂の院が建物のことなので(院、って聞くと、建物なの?○○院っていう人なの?と混乱する人もいるが、リード文から考えても建物のことだよね)「建て増しする」と解釈するのがよさそう。「ものから」は逆接の接続助詞。やわらかい逆接なので「~のに~するものの」と、さらっと訳せばいい。
ということで、「桂の院つくりそへ給ふものから」の訳は「桂の院を建て増しなさるが」。

★あからさまにも渡り給はざりしを
問1傍線部ア。「あからさまなり」は受験重要古語のひとつで「急である、突然だ」の意味。下に打消がつくと「少しも~ない、ちっとも~ない」という訳になる。
渡る」は古文にはよく出てくるので、苦手な人は訳しにくいかもしれないけれど、基本「する、行く」だと思っておけばいい。
「あからさまにも渡り給はざりしを」の訳は「少しも行きなさらなかったのに」となる。

○友待つ雪にもよほされてなむ、ゆくりなく思し立すめる。
「友待つ雪」は注釈にあるとおり、「後から降ってくる雪を待つかのように」消え残っている雪のことらしい。風流な表現だなぁ。
それと、ここは「もよほす(誘い出す)」という単語があるが、一瞬「友待つ雪にも/よほされて/??」と切ってしまいそう。正確に単語ごとに品詞分解したいところ。
ゆくりなく」は「突然に」。この本文に多く出てくる「思す」は、「思ふ」の尊敬語で「お思いになる」。だから「思し立つ」は「思ひ立つ」の尊敬語ということだね。
ということで、ここは「友待つ雪に誘われて、突然思い立ちなさるようである」という訳になる。

○必ずしも召しまつはしたりしを
「召しまつはしたりし」が、「ひらがな多い!どこで切るの?」となりがち。「召し/まつはし/たり/し」と切って、「まつはす」が「付き添わせる」という他動詞になる。主人公が、出かけるときは若い奴らを連れて行ってたってことが分かればOK。

★とみのことなりければ
問1(イ)。「とみのこと」は、「とみなり(急だ)」の語彙がわかれば「急なこと、突然なこと」だと分かる。
選択肢の訳を使うと「にわかに思いついたことだったので」となる。

○かくとだにもほのめかし給はず
「かくとだに」は「こうとさえ」。「こう」という指示語なので、ここでは「桂の院にでかけるということ」を指す。いつもの面々には知らせなかったわけですね。

○「空より花の」とうち興じたりしも
問2の波線部a。「しぞ・しもは強意だ!」と思ってしまうと罠にはまるパターン。ここは「興じ/たり/し」という過去の助動詞「き」の連体形。
ちなみに「空より花の」の和歌は超有名な雪の和歌。私も大好きです。

○めでゆくまにまにいつしかと散りうせぬるは、かくてやみぬとにやあらむ
ひらがな多いですねぇ。わかりにくい。
まず「まにまに」?と思った人。これは「まにま/に」という語で、「~のままに」か、もしくは「~につれて」と訳す連語。この場合は「雪を愛でている間に」ぐらい。
「かくてやみぬ」は、直訳すると「こうして終わる」。終わったのは雪なので、意訳すると「こうして雪がやんだ」ことを指す。雪を愛でにきたのに、やんじゃったんですね。がっかり。

○人々死に返り妬がるを
注釈にもあるとおり「ひどく妬む」の意味。すごい表現。

○ありしよりけに散り乱れたれば
前半を品詞分解すると「あり/し/より/けに」。「ありし」は「さっきの」という意味。
意外に知られていないのが「けに」。「え?げに、なら分かるけど」という人、これは「格別、とりわけ」の意味。似てるけれどちょっと違います。
ここでは、一旦やんだ雪がまた降ってきた、ということですね。

○ただ時の間に面変はりせり
問2の傍線部c。ここの「面変はり」は、人の顔じゃなくて、散り乱れる雪によって様子が変わった山々のこと。

○かのしぶしぶなりし人々も~笑み曲げて
おお、「しぶしぶなり」だ。現代と一緒で「いやいやだ」っていう意味。
「笑み曲げて」は、笑ったときに口が曲がるので、笑みを深くしている様子のこと。

○とりはづしては違へぬべかめり。
とりはづす」は、そのまま「取り外す、取り落とす」の意味もあるけど「間違う」の意味もある語。ここでは後者の方が合いそう。
ぬべかめり」は品詞分解すると「ぬ/べか/めり」なんだけど、元々は「ぬべかるめり→ぬべかんめり→ぬべかめり」という、撥音便無表記のパターン。「ぬべし(きっと~だろう)」と推定の助動詞「めり(~ようだ)」がくっついたんだね。

○かかるをや言ふならむかし
品詞分解すると「かかる/を/や/言ふ/なら/む/かし」。ひらがなが続いてわかりにくい時は品詞分解に限る。

★ここもまた月の中なる里ならし雪の光もよに似ざりけり
「月の中なる」の「なる」は存在の助動詞で「~にある」と訳す。
あと「ならし?」と思った人。これも撥音便無表記のパターンで、元々は「なるらし→なんらし→ならし」となった連語です。「~らしい、であるよ」の意味で使われます。
よに~打消」で「全く~ない」とも訳すけれど、ここは「世の中には~ない」という訳でもよさそう。

★興ぜさせ給ふほど
問2波線部d。ここの「させ」が使役か尊敬かは文脈による。
しかしここは前述の歌を詠ったことに対して「興ず」としているので、歌を歌ったのは主人公自身→主人公が別の人を興じ”させる”のは変→尊敬の助動詞だ、と判断できる。

★かたちをかしげなる童の水干着たるが
問1傍線部ウ。「かたち」は見た目のことだし、「をかしげなる」は「趣深い様子、愛らしい様子」ということなので、割と簡単に訳せる。
ちなみに「童の」の「の」は同格。全体を訳すと「見た目が愛らしい様子で水干を着ている童」という訳になる。

★大夫とりつたへて奉るを見給ふに
問2波線部e。ここは「”を”で主語が変わる」という基本を離解できているかという問題。
まず「とりつたへて」とは、「つたふ(受け継ぐ)」という語に「とり」がついたもの。「受け取って」という訳がよさそう。「奉る」は差し上げる。
だから前半は「大夫が受け取って差し上げる」になるけれど、それを「見給ふ」のは別の人。つまり主人公。
補足つきで訳すと「大夫が受け取って差し上げる(手紙)を、(主人公が)ご覧になる」という訳。

○後らかし給はぬ
後らかす」は後に残す。いつも遊びに連れていくメンバーの1人、源少将が置いてきぼりにされたことを言っている。

★白雪のふり捨てられしあたりには恨みのみこそ千重に積もれれ
「ふり」は掛詞。「白雪が降り」と「振り捨てる」が掛けられている。
「積もれれ?れれ、って?」と思った人。「積もれ/れ」と品詞分解できる。文末の「れ」は完了の助動詞「り」の已然形「こそ~已然形」で係り結びをしているんだね。

★尋め来やとゆきにしあとをつけつつも待つとは人の知らずやありけむ
「尋め来やと」の読みは「とめきやと」。「尋む(とむ)」で「探し求める」の意味。
「ゆき」は「行き」と「雪」の掛詞。
和歌における「」は、大抵「あなた」と訳すことが多い。ここでも受け手である源少将のことを指している。
意訳すると「探しに来ると思って、雪に跡をつけて、あなたを待っていたんですよ(置いてった訳じゃないよ~)」と言ってる。

○「やうやう~さまなり」の段落
月の光に雪がきらめいている様子を書いている。きれいな表現だなぁ。

○いまはとく引き入れてむ。かしこのさまもいとゆかしきを。
「とく引き入れる」のは牛車かな。「かしこ」は「あちら」の意味。「ゆかし」は「見たい、知りたい」なqど文脈に合わせて訳すので、ここでは「あちらの様子もたいそう見たい」と訳せる。
主人公はじっくりと雪を見ているけれど、人々はさっさと次の様子が見たいんだね。

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◆オマケ『車中雪』意訳※注:このまま訳すと先生に叱られます!!参考までに

 「桂の豪邸を建て増ししたよ!来てね!」って言われても全然行ってなかった主人公、「いぇーい雪だ!そうだ、桂、行こう」と思い立った。こういうお出かけには、源少将くん、藤式部くんたち(推し風流人)をいつも連れていたけれど、突発的な思いつきにつき内緒にして「ま、親しい従者を四人五人で行こうっと」と決めた。
 愛車(牛)を引っ張り出して「♪ふんふふーん♪空より花の~散りくるは~」と鼻歌交じりで雪を愛でてた矢先、雪がさっさと消えてしまった。
「えー!もう消えましたよ!」と人々は大ブーイングで、主人公も「がーん・・・雪消えるの残念すぎる・・・」と思うけれど、「うーん、だけど引き返すのも格好悪いしなぁ。法輪寺のイベント参戦ってことにしよ」と思って、ひたすら急ぐと、またもどろどろどろ~と黒い雲がやってきて、さっきよりも雪がぶわーっと降ってきたもんだから、愛車を止めて見ると、○○山や××河原も、少しの間にホラ、雪景色。
 あれだけブーブー言ってた人たちも、満面の笑み。「おっ、これは小倉の峰でしょうか」「そっちは梅津の渡りですかね」と、口々に言って、松と竹すら間違えそうな気配。雪LOVEの主人公は「ああ~~雪!もう最高!やっぱここで愛でるしかない」と、そのまま下簾をかかげて
  ”まるで月の中にいるようだ、雪の光もこの世のものとは思えない~”
などと作詞作曲している際、イケメンの水干童が、手を吹き吹き後ろを追ってきて、榻のところにうずくまりつつ「これを」と言って差し出したのは、おや、源少将くんからのお手紙じゃないか。大夫が取って差し出したのを読むと、そこには
「ちょっとちょっと、いつも連れてってくれるじゃないですかー。
雪が降った、僕は振り捨てられた、恨みが山のよう!」
と書いてあり、ふふん面白い歌だね、と思って、主人公も畳紙に、
「君が追ってくると思ってさ、雪に跡をつけて待ってるんだよ。知らないだろうけど」
と、すぐにそこにある松(=「待つ」のにおわせ)を雪つきで折って、その枝に手紙を結んで「渡しといて」と言った。
 だんだん日も暮れてきた。そのうちに、曇っていた辺りも気付けば晴れて、名高い里の月の光がキラキラしてきて、雪の光もキラキラ、もう辺り一面キラキラ、めっちゃまぶしい夜だ。雪景色、最高!
 そこへ院の管理役も出てきた。「いやはや、こんな風にお越しになるとは!お出迎えもせずにすみません」などと言って何でもかんでもへこへこして、愛車(牛)の雪を払いますよ!と雪は落とすし烏帽子は落とすし、愛車の通り道をキレイにしますよ!といっては、愛でてる雪をずかずか踏んで、足や手の色を海老みたいに赤くして、桂風のもとで風邪を引いて歩いて回る。人々はみんな「オイはやくしろよ、あっちも見たいんだけど」とそわそわしているのを、主人公は「それな!」と思う一方、ここの景色もいいんだよなー、と、見過ごせない主人公だった。

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以上、ものすごい意訳でした。主人公、雪大好きなんだなぁ。雪があるかないかでテンション上がり下がりしてる。でも無邪気でいいよね。


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