能『桜川』(←宝生流謡曲)を子どもの前で謡ったら起きた、とある奇跡。
このたび、数年住んだアパートを引き払うことになった。
荷物を整理してたら、出るわ出るわ、宝生流の謡本。
かつて京都で暮らしていた時代(学生~社会人)、主人も私も宝生流の仕舞と謡の稽古をしていたので、それぞれ2冊分の謡本が保管されている。
(ついでに紋付袴や舞扇も何本かある)
宮崎に引っ越してからというもの、稽古する環境も時間も金銭的余裕もなため全然謡っていなかった。
でも、主人とは「『桜川』の素謡はしたいね」という話をしていた。
◆そもそも能(謡曲)『桜川』とは。~あらすじ・作者など
『桜川』とは、百八十曲ほどあるという能(宝生流の場合。流派によって曲数は違う)の曲の中でも有名な「子別れ・狂女物」のひとつ。
作者は世阿弥元清。
(「能の曲は全部、世阿弥が書いてる」と思われがちだけれど、案外『作者不明』とか世阿弥以外が多い。でも世阿弥が書いたとされる曲は名曲揃いで、『井筒』や『高砂』などは能を知らない人でも聞いたことがあるはず)
あらすじは、超簡単に言うと次のとおり。
<桜川:簡略あらすじ> シテ(主役):桜子の母
むかしむかし、日向国に貧しい母子が住んでいた。
その家の子・桜子は、家計のために自分の身を人買いに売ってしまう。
子どもと生き別れとなった母は、子どもを探しに旅に出る。
三年後、常陸国にある磯部寺に弟子入りしていた桜子は、桜の花の名所にやってくる。
そこに、桜の花びらを掬って舞う狂女がいた。
「生き別れとなった子と同じ名前である桜を、粗末になどできない」
それが生き別れの母だと知り、桜子は母と対面する。
母は涙を流して正気に戻り、共に仲良く帰るのだった。
(↑めちゃめちゃかいつまんでますが、本当にいい話です)
つまり、宮崎(日向国)に縁のある数少ない能の曲の1つである。
ということで、引っ越し前、『桜川』の素謡を決行することにした。
◆桜川の『素謡』をするって?どういう意味?
「素謡する」というと、今回は「一曲を謡いきる」という意味ですが、『桜川』の場合
・だいたい50分ぐらいかかる
・途中『網の段』と呼ばれる有名な(難しい)箇所がある
・稽古順でいくと、平物(30曲)→入門(77曲)→初伝序ノ分(ココ!)
ということで、ふふん♪と口ずさむ的なもんではない。
まして全然稽古してないので、節も何もあったもんじゃない。
そして知らない人が聞いたらたぶんポカーン(゚Д゚)である。
なお、我が家には8歳と4歳の子どもがいる。唐突に両親が素謡を始めたら、さぞポポカーン(゚Д゚)(゚Д゚)に違いない。
◆やると決めたら、やるぞ。『桜川』。
さて、なんの変哲もない昼下がり。
「おとーさん、おかーさん、なにするの?」
娘が戯れてくる中、二人、居間に横並びになって正座する。
「シテどっちやる?」
「ワキとワキヅレがセットでしょ。シテと地頭じゃない」
謎の会話を繰り広げたうえで、おもむろに
「「よろしくお願いします」」
とお辞儀する。
ワキ「かやうに候ふ者は、東国方の人商人にて候ふ・・・」
突然、いつもと違う発声で謡い始める。
こどもたち二人の反応を横目で見ると、
「「・・・」」
ポカーンというより、神妙な顔つきであった。
◆こどもの反応で驚いたこと、2点。
今回、意外だったことが大きく2点ある。
まず、しばらくしてこどもたちが、同じように横に並んで静かに正座をし始めたことだ。
別に正座しろとも言ってないし、その辺で遊んでてもいい。
なのに、隣で正座をし始めたのにはちょっと驚いた。
「正座をした方がいいのかな」とでも思ったのかもしれない。
でも、もっと驚いたのが地謡(※注)のところ。
(※役のそれぞれが謡うのではなく、全員で謡うところ。今回は主人と私しかいないので2人で謡う)
地「名残惜しくは何しにか、添はで母には別るらん・・・」
なんと・・・合わせて謡い始めた。
もちろん、言葉にはなっていない。謡本も読めていない。
そもそも「ここは合わせて謡うところ」と言ってもない。
でも「ここは全員で声を出すところらしい」と直感的に感じたようで、耳だけで音程と発音を聞きとって、節まで合わせてくるから本気で驚いた。
初めて聞く言葉。初めて聞く音。
初めて触れる文化。
大人では受け入れがたく、非常にハードルが高いことを、こどもはやわらかい感性ですんなりとやってのけた。
「親の真似」って、こういうことか。
能楽師の家の子が能楽師になるのは、そういうことか。
驚かすつもりが、こっちが驚かされた。
もっというと、感動していた。
まぁ、この奇跡は最初の地謡のところだけで、あとは2人とも飽きて、あっちに行ってしまったのだけれど。
桜川の謡の最後にある
『子は子なりけり』
という詞が、このときほど、染み入った瞬間はない。
◆久々の『桜川』は反省点だらけ。でも名曲!
久しぶりすぎて節がわかんないところもあったし、間違いなんて揚げたらキリがない。
でも『網の段』のところはゾクゾクしたし、そういえば昔仕舞の稽古もしたなぁと思い出したし、10年前に戻るようだった。
そして改めて、『桜川』はいい曲だなぁと思った。
謡のいいところは、何十年経っても再開できるし、時代も年齢も超えて良さを感じられるところだ。
次に謡うのはいつになるかわからない。
でも、きっとまた謡うだろう。
そのときのために、大量の謡本は、一冊も捨てずにとっておく。
そして将来の私は、また同じ節をなぞり、今と違う観点で、新たな感動に出会うのだろう。
「おもしろかった」「役に立った」など、ちょっとでも思っていただけたらハートをお願いします(励みになります!)。コメント・サポートもお待ちしております。