見出し画像

楽な部署も今や楽ではない

 公務員は組織の中で働かないと決めてしまえば、組織内における尊厳とかやりがいと引き換えに、いわゆる楽な部署に生かされて、あとは組織内のローパフォーマーとして処遇されることになります。

 ただ、こうした職場で静かなる退職ができたのは昔の話で、いまは全般的に人手不足で、いわゆる楽な部署のほうが精神衛生的にきつかったりもします。

 そういう職場はいろんな人を抱えており、メンタルで出たり休んだりを繰り返している人、スーパー高学歴だけどそれを仕事に結びつけるだけのコミュ力とか応用力が致命的になくて、いつまでも勝手に空回りしている人、いろいろ難しい性格の人、などです。ここに定年再延長で、何となくぶら下がっている人が加わり、周囲を見渡すと、まともな人は課長と自分と新採とかいうことも少なくないようです。

 私も最初の職場は、技術系の士気は高い現業的な職場でしたが、事務系は若い人と、人事的には恵まれていないシニアの方たちと、共働きで家庭優先の女性職員で構成され、あと明らかにおかしい人は数名、という感じで、大学卒業して入った職場としては、なかなかの衝撃でしたが、その分、自分の好きなように仕事ができ、そこから数年で異動し、全体を見通せるようになると、何となく良い経験として、自分の中にろ過されて残りました。

 当時は就職状況もきつかったし、公務員のステータスはまだまだ高かったので、やっていましたが、今はそうした現業的な職場に新採が配属されると、人の配置は員数としても、質としても下がっており、公務員のハードルが下がっていることもあり、さっさと見切りをつけてもおかしくないとは思います。

 また、昔は福利厚生がさまざまな形で充実していましたが、行革と公務員バッシングの中で徹底的にそぎ落とされ、コンプライアンスだけは厳しくなる一方なので、表の給与水準のようなものだけでは比較できない、水面下での実負担増があり、お金の面での魅力は見た目以上に低下している、これは間違いありません。

 昔のように、イメージだけで優秀な人を釣れた時代と異なり、ネットでネガティブ情報は容易に集められるようになり、安定の魅力は低下しており、優秀な職員が取れなくなっているのは当たり前で、ここをやりがいをPRとか言っても集まるはずがなく、結局、優秀な人材の一部を外部化して、外部の評価による給与の引き上げを通じて、必要な人材確保にはお金がかかることを、役所の内外に知らしめる仕組みを、入れていくしかないように思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?