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自己紹介 2 家族 #3

機能不全家族


母は戦時に赤子だった
空襲を逃れたという話を聞いた
神戸生まれで、中学から栃木にやってきて
祖父は化学肥料真っ盛りの時代に、天然肥料を扱っていた、頑固で厳しいけれど一本気でかっこいい祖父だった

ご飯が終わるとキセルをふかしていた

母は幼少期は体が弱かったらしく、何度も入院していたらしい
子供を3人も産んで、どんどん元気になっている

父は戦時に子供だった、浅草の長屋生まれ
祖父は私が生まれた時と同じ時期に亡くなっており覚えていない、祖母はいかにも江戸っ子という感じの男前な女性だった、頑固で厳しくも優しい、強い女性だった
今でも祖母のことを想うと胸がくーっと
悲しみが湧いてくる
なんでだか、父方の祖母に関しては悲しさがなかなか癒えない

祖母は父とは血が繋がっていなかった
父とも父の弟である叔父とも血のつながりがなかった
その事は成人するくらいに知らされた
その時に、あぁ、家族というのは血の繋がりではないのだなと実感した
そのくらいに愛情はそこに確かにあった

父は変わり者だった
血の気が多く、しょっちゅう怒っていた
怒りの制御が出来ないようで、ガサツで横暴

正直ずっと長らく父の事が嫌いでたまらなかった
一緒に暮らすのは無理だとずっと思っていた
我慢ならないのだ

多分神経質で、静かな環境を好む私と父は本当に合わなかった
しょっちゅう怒鳴り合いの喧嘩をしていたのを思い出す

つづく

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